焔の諸国漫遊記・10

 

 

 鮭(サケ、シャケ)のことを、北海道では秋鰺(アキアジ)という。呼び名のとおり秋に沿岸に押し寄せてくる。野生のヒグマやキタキツネは遡上を陸で待ち受けるが、短気で欲深い人間は沖へ出てまだ腹子は未熟だが身はぴちぴちと脂の乗った旬の大魚を掬い上げてしまう。

 そんな漁の成果を現地で食べつくし、栄養満点、ほっぺどころか髪までツヤツヤ・ツルピカの一行がその日、降り立った場所は。

「おお、九州はまだ夏だぞ!」

 旧板付飛行場・現在は九州地方の空の玄関口、アジアへ向って国際線も多く発着する福岡空港、である。

10月末ですよ?」

 夏、ということはないだろう。と、引きずるのが面倒くさくなったスーツケースを軽々と肩に担いで、背の高い男が言った。

「実感は夏よ。だって見て、あの気温」

 小柄だが引き締まった肢体の金髪の美女が指さす、先には電光掲示板があった。晴天の週末、日差しは眩しいほど明るい。気温は26度。朝夕は冷え込み上着が必要だが、昼の人々のまだ半そでTシャツ一枚で過ごしている。

 ちなみに出発時、新千歳空港の気温は11度だった。直行便の荷物を待ち受ける人々の腕には、脱いだコートやジャケットがもれなく掛けられている。

「しまったかな。これで秋の味覚は楽しめるのだろうか」

 ロビーのトイレから戻った黒髪の主人は、金髪の男が用意した薄いキャメル色の麻混のシャツに着替えてきた。長袖だが通気性が良くて快適らしい。表情が和んでいる。気温と湿度の変化ですぐ風邪をひく主人とともに旅を重ねるうちに、もと飼い猫のスキルもレベルアップしてきた。

 その主人の片手には早々と、売店で買ってきたらしい「ロイヤルのスイートポテト」と「博多とおりもん」。

「大丈夫ですよ。陸の気温より海の温度は先に下がりますから」

「河豚にはまだ、すこし早いかしら?」

「レンタカーとってきますから、そこの店でお茶でもしてて下さい。駐車場に入れたら呼びに来ます」

 はきはきと男は言ってスーツケースごと空港を出て行こうとする。が。

「一緒に行くぞ、ハボ。見えているじゃないか」

「え、あ。あれ、えぇっ?」

「まぁ。空港レンタカーがこんなに近いのは初めてだわ」

「わぁー、田舎の証拠っスねぇ〜」

 否、市街地に近い都市空港の高機能性の証だ、と、現地の人間にが居れば言っただろう。しかし、同じく市街地へ車で20分という好立地でありながら、函館空港でさえ空港レンタカーはロビー内にあるのはカウンターだけで、客は空港外の営業所まで送迎車でピストン輸送される。対して、福岡空港内にはずらりと並んだレンタカーのカウンターがない。綜合案内所に申し訳のように、各社のステッカーが貼ってあるだけだ。しかしそれもその筈、到着ロビーからレンタカー会社の営業所のとりどりの看板が見えている。

一行は空港の建物から出た。平置きで2時間200円の駐車場を越えて、左右二車線の道路に横たわる横断歩道を越えて、目的のレンタカー営業所へ。すたすた歩いて所要時間は三分と20秒。信号の待ち時間を含めなければ二分。

「うーむ。世間は広い」

 妙なところに感心しつつ、一行は長期プランでレンタカーを借りた。九州および山口の営業所ならば乗り捨てが出来るプランで。

ホテルはとりあえず一泊、博多駅前のハイアットを押さえている。そこまではバイパスを通って15分。

「いやー、田舎って便利っスねぇ〜」

 ナビや地図を使うまでもない案内表示に従いながら、ハンドルを握る金髪の男は上機嫌だ。

 

(福岡市の名誉のために記しておけば人口は約140万人。太古から大陸・アジアとの貿易窓口として栄え、地面を掘ればカメカンが出てくる、歴史ある都市である。市内にアサヒのビール工場があることからも分かるように、海に近いが水は美味い。市内に12もの大学を抱える学園都市としての一面も持つ。福岡空港が便利なのは旧軍用空港の歴史を引き継いでいるからだ。ありえないほど市街地に近い山襞に位置し、海上にある北九州空港が欠航しまくる風雨にも果敢に耐える)(とらないで自衛隊と海上保安庁)

 

「うむ。それから下関へ行くぞ。まず北を攻めて、徐々に南九州まで南下だ」

 指示を出す主人の手は、「日本の駅弁・新下関駅『長州ファイブ弁当』のチラシ。

「イエッサー」

「アイサー」

 今更さからわず、運転席と助手席の二人は声を合わせた。

 

 

 ホテルにチェックイン、一旦は二手に分かれ、服装を南国仕様に変えた一行はロビーで待ち合わせる。明るい外の景色を愉しんでいた金髪の女へ、

「すまない、中尉、走ってくれ!」

 エレベーターを降りるなり駆け出した若い男が声を掛ける。掛けられるまでもなく、到着した函から飛び出してきた二人の勢いに、気づいた女はさっと駆け出していた。その向こうには黒髪の主人。それぞれの荷物は財布だけ。

「どうしたの?」

 敵襲か追手か、と、緊張した女の質問に、

「ランチタイム終了が近いのだ」

 若い男ではなく黒髪のもと『偉いサン』が答える。

「ここから博多駅を突っ切った店の、『若鶏のあぶり焼ステーキ定食』が14時までだ!」

 南国の太陽を存分に浴び、芋焼酎に仕込まれたサツマイモの搾りかすを食べて育った若鶏である。

15時まで、と書いてありましたよ?」

 それは女もチェックしていた。ホテル内に支店のある地鶏料理の店で、ランチタイムの美味しそうな写真つきのチラシ部屋にあった。時刻もきちんとチェック済みである。行きましょうよ、と、二人が来たら声をかけるつもりで。

「部屋から予約しようと電話をかけたら、あぶり焼きステーキ定食は終わったと言われた。が、博多駅の向こう側の本店ならばまだ食べられるらしい。距離は800メートルほどだが、昼のオーダーストップが14時だ!」

「まぁ、タイヘン」

 女の走る速度がくっと速くなった。ハイヒールでの疾走は筋肉の重い男には真似のできない技。

「……」

 二人と一緒に駆けながら、しかし、金髪の若い男は、やや遅れ気味だ。

 なんで650円の昼の定食のために、という意識がまだ拭いきれていない。

 

 ……わけでは、ない。

 

 そんな過程は、とぉに通り過ぎた。

 ただ、男は内心、ひそかに傷ついているのである。

 部屋で二人きりになって、キスの途中で薄目をあけて、相手がランチの、チラシを見ていたのかと思うと。

 湿るココロの根本は相手への不満ではなく、オレもっとキスうまくならなきゃ、という決意で。

「あの店だ、行くぞ!」

 活き活きと躍動する、黒い瞳が少年のように輝く。

 650円の定食に負けた男は、しかし、その楽しそうな明るさに気持ちを救われて。

「間に合いましたね!」

 嬉しそうな声を、合わせる。