焔の諸国漫遊記・2
名古屋である。名古屋城である。しゃちほこである。万博である。
その前にうなぎである。
「ひつまぶしー、ひつまぶしー」
何時の間にか節に乗せて鼻歌を作ってしまった若い男はアクセルを踏み続け、夏の長い日も暮れる頃、彼らはなんとか予約していた店へ辿り付いた。身分を隠して地元の人間に手配させたそこは、夕闇の中、家族連れとおぼしき車が広い駐車場に溢れていた。
駐車場と店を隔てる生垣そってしばらく歩く。辿り付いた玄関は民家風で靴を脱いで上がるスタイル。下足番のおじさんに予約していたものだと告げると、奥から仲居が出てきて案内してくれる。途中、入れ混みの広間では衝立で仕切られた小卓を囲んで、善男善女たちが炭火でこんがり焼けたうなぎと格闘中。甘辛なタレと脂のこげるいい匂いが店中に漂い、席につく前から食欲を感じさせる。
案内される、個室は玄関から遠かった。広間を左手に、中庭を右手にみながら、うなぎの煙ですすけた襖の広間を幾つも通り過ぎる。夏の宵とあって広間は八割がた客で埋まっている。
「足元、お気をつけて。遠くて申し訳ありませんねぇ」
中年の仲居が振り向いて愛想よく注意してくれた。長廊下が終わり、庭に背を向けるようにして、渡り廊下を歩いて奥へ進む。うなぎ屋らしくうなぎの寝床に似た、いや、どちらかというとアリの巣状の迷路は、繁盛にしたがって近隣の民家を買い足して増築を重ねていった過程がありありと見える。奥の一棟はかつて、うなぎ屋とは無煙の一宅だったのだろう。建具の質や建材の艶がさきほどまでの広間とは違っている。
「さぁさぁ、どぉぞ。すぐおビールをお持ちします。ご注文は?」
「ひつまぶしセットを五人前」
金髪の若い男の注文を、
「いいえ、六人前」
同じく金髪の美しい女が訂正する。
「足りなかったら、わたしのをわけてあげるよ?」
黒髪の主人はにこにこ笑いながら女に言った。しかし女は。
「おなかがすいています」
2、1.6、1.4といういつもの配分率では足りないと主張する。
「ま、食べ切れなかったら、残したの俺が食ってあげますよ。六人前、お願いします」
若い男に言われて仲居は、はぁと頷いた。とりあえずビールが運ばれて、金髪の二人がジャンケンする。今日は男の方が負け、禁酒することになってしまう。小鉢に漬物、みそ汁と冷奴、そして主役のひつまぶし。こんがり焼けたうなぎの乗ったごはんがおひつに入っている。一人前でもなかなかの分量だ。
空の茶碗に、まず一杯目は、そのままうなぎメシ。美味い。
二杯目はうなぎメシに、わさび、のり、みつばを載せて食べる。うなぎの旨みと脂が意外にあう。味に変化がついて実に美味い。
はぐはぐと箸を動かした一行は無言のまま、そろって三杯目に手を出す。
二杯目同様にやくみをよそった茶碗に、特製の暖かなだし汁をかけた茶漬け。
三人とも初体験だった。が、本わさびの風味と濃い目の出し汁、そして具のうなぎのふっくらとした身の豊かさがあいまって。
「……」
食べ終わるまで三人は言葉を忘れ、ビールもグラスに注がれたままで、泡がしぼんでしまうまで放置される。
「ふぅー」
最初の一人分を食べ終えて溜息。とびきり美味しいものを食べた時の『最初に戻りたい症候群』が襲い掛かる空間に、タイミングよくあと三人前のうなぎが運ばれてくる。
「名物に美味いものなし、というのは嘘だな」
言いながら、もと焔の国家錬金術師は冷奴に、テーブルに置いてあった一味トウガラシを掛け、醤油を掛けて口に入れる。トウガラシの辛味をぐーっとビールで流し込み、幸福を絵に描いた表情。
「……」
無言のまま、女は鰻との格闘を続け。
「ホント、美味いっすねぇ」
男は二回目の茶漬けはだしを控えめに掛けた。
「ジャン、お願い」
健啖に闘っていた女が、さすがに最期の一杯を残す。
「はいはーい」
だろうと予測して、とっておいたダシを、かける。
会計を済ませると既に深夜。
今夜の宿は名古屋城のお隣、ウェスティン・ナゴヤキャッスルである。
「プールが素敵なんですって。お部屋で一休みしたら泳ぎましょう」
「いいね。」
「明日はゆっくり起きてブランチ、それから名古屋市内を観光、ナイトチケットで万博、世界のワイン試飲し放題、となっています」
「うん」
たいへん能天気な一行の旅は続くのだった。