焔の諸国漫遊記・3

 

 

 黒髪の主人は拗ねていた。金髪の大男は困っていた。金髪の美女はしらっとした顔で。

「おやすみなさい。よい夢を」

 ワインで酔った上機嫌で挨拶。そのまま足取り軽く、ホテルのカードキーを指で弾きながら歩いていく女が、ちゃんと部屋に入って鍵を閉めたことを確認した男二人は、別の部屋に入る。

「機嫌なおして下さいよぉー」

 男は、今日何度目かの哀願を口にして、主人はフンと、鼻を鳴らしたのが、答え。

 

 今日の夕方から、彼らはナイトチケットで名古屋万博へ繰り出した。展示物は適当にすいているところを覗いただけで、一目散にワイン試飲会場へ駆け込む。その前のじゃんけんで再び金髪のオトコが破れ、本日の禁酒も決まった。必ずグーを出す癖にまだ気付かない、アワレなオトコだった。

『かわいそうに。帰りに、なんでも好きなもの買ってあげるわ』

 優しく告げつつパーを出すのをやめない美女がそう告げて、買わされる主人も頷く。金髪の男は泣き笑い、せめて、という風情でつまみのチーズやサラミを、たらふく食べていた。

 そこへやって来たのは、禁未来的というかオタクの好きそうなというか、ともかく、制服を着た案内嬢はにこやかに、黒髪の主人に話し掛ける。

『お楽しみ中、失礼いたします。ロイ・増田さまでいらっしゃいますか?』

 笑ってはいけない。結婚したのでもない。単なる偽名である。

 偽名とはいえこれで運転免許も旅券もとって戸籍まででっちあげた、法的にな意味では実在人物なみの偽名だ。ちなみにもう一人の男の偽名はジャン・保田で、女の偽名はリタ・イーグルという。

 当初、偽名を考えるにあたり、秘書役の女は主に提案した。エロイ・モエタンクはどうでしょう、と。本人は真面目なつもりだったが主人は機嫌を損じて、なら君はスケ・ミニスカートと名乗りたまえと嫌味を口走り、アイ・サーと返事をされてしまった。結局三度呼んだだけで別の名前にしてくださいと主人から哀願され、女はそれにもアイ・サーと答えたが、『なら最初からつけなければいいのに』と顔に書いてあった。

 一部始終を眺めていた金髪の男の、タレ目だがハンサムでないことはない顔にも、『どうせ負けるんだから勝負しなければいいのに』と。

 ともあれ、制服の案内嬢に声を掛けられた主人は。

『何用かね、アドモアゼル』

 ワイングラスを持ったまま、得意の笑顔で振り向いた。

「ご伝言をお預かりしております。エドワード・エルリック大総統代行閣下より、『ここに網、張ってりゃ引っかかると思ったぜバカヤロウ』以上です」

 黒服の責任者や紺の服を着た警備員たちがさっと周囲を囲んで。

『……』

 笑みのまま固まる主人を、金髪の男がさっと背に庇う。

 そこまでは格好良かったのだが。

『控えろ控えろ、ここにおわすお方をどなたと心得る!』

 戦場指揮に慣れたよく通る声はその場に居る殆どの人間を振り向かせた。が、やや離れた場所で試飲を繰り返していた金髪の美女を振り向かせることはならず、またそれか、と、黒髪の主人は眉を寄せさせる。

『畏れ多くも先のロイ・マスタング大総統閣下……』

 ぽかんと、みなの反応が悪いのに若い男は気がついた。

『……の、側近筆頭にして狙撃部隊指揮官、リザ・ホークアイ少佐(終戦時)なるぞ!』

 名前を呼ばれて、金髪の彼女がさすがに振り向いた。ワインの味に意識を集中させていた彼女は場面の進行をまったく理解せず、その場に要る全員が自分を見ているのに驚いた。

 ただ、主人を、金髪の男が背後に庇っていることで、なにやら非常事態だったらしいことは、知れる。男の肩ごしに自分を見る主人の視線が冷たい。

『……』

 バツのさを誤魔化すために、珍しく、金髪の女は微笑んだ。冷めた表情が多いせいで目立たないが、笑えば華やかな美女である。

『ははぁーッ』

『失礼をお許しください』

『申し訳ございません』

 男たちの謝罪を、ワケもわかっていないのに、女は実に鷹揚に、受けた。

 

 

 それから一時間後。

「機嫌直してくださいよぉー、ごめんなさいってばぁー」

 身を揉むようにして、金髪の若い男は黒髪の主人に謝っていた。

「おかげで助かったじゃないですかー。大佐ぁ、愛してるからーぁ」

「……私の方がえらいのに」

「そりゃモチロンです。アンタがこの世で、一番えらいです」

「どうしてリザだと、みんな恐れ入る」

「偉すぎてウソみたいだからじゃないですか?水戸黄門にはみんな土下座すんのに、暴れん坊将軍はニセモノ扱いデショ?」

「がっかりして途中から、ワインの味がしなくなった」

「ごめんなさいってば。ねぇ、ご奉仕するから、赦して下さいよ」

「そんなのいつものことだから詫びにならない」

「愛してますから」

「それは分かってる」

「鋼の大将、本気で追って来ましたね」

「掴まる私ではない」

「どーかなぁ。傾向をバッチリ分析されてますからね」

「ハボック」

「暫く、ワインの匂いがする場所には行かないほーが……」

「北海道へ行こう。小樽ワインだ」

「……あんた、俺の話聞いてませんね?」

 抱き寄せ頬をすりあわせながらも、腕の中の相手は、男の背中ごし、テレビの画面に集中していた。

「そうか。フランスと違って日本は解禁日が決まっていないから、10月からは新酒が飲めるんだな」

「だから、たいさぁ(地位ではなく、愛称)」

「わたしを愛しているか?」

 見上げてくる、潤んだ瞳の、あまりの艶に、心惑わされて。

「……イエッサー」

 それ以外の返答がこの世にあることを、忘れた。