焔の諸国漫遊記・4

 

 

 思い掛けないトラブルがあるから旅は楽しいのだ。

 という、物分りのいいスタイルは、12分間しか持たなかった。

「進まない列車の中というのは特殊な空間だと思わないか、ハボック」

 12分でも、もった方なのだ。やり手の軍人だったエライ男は、モノゴトの停滞を憎むほど嫌う。

「列車とは本来、目的地へ向けてレールの上を走り続けるものだ。その直線的で一途なベクトルがロマンの発端だと言える。なのに止まっては、何もかも台無しだ」

 ぶつくさ呟く黒髪の若い男が不機嫌なのは、車窓の外に広がる景色が純白でないからだ。千歳空港とこれから向かう札幌がいくら北国といっても、十月アタマに雪はまだ降らない。午後二時着、というハンパな時間だったから新千歳空港発札幌行きの特急列車はすいていて、向き合った座席に互い違いに座って、一緒に外を眺めた。

「友軍から見捨てられて、放置され孤立しているような気分だ」

 だから。

 車を借りればよかったでしょうが、とは、金髪の男は言わなかった。デキる自負心の強いエリートに失敗を指摘することは、女に対して容姿年齢をあげつらう事より遼に危険な行為だから。

 車より列車がいい、外が見えるから。自分がそう言ったことを黒髪のえらい人も分かっていて、自分の失敗に腹をたてている。ふくれっつらもそう思えば可愛い。

 窓の外は土砂降り、バケツをひっくり返したような大雨。名古屋からのフライトは順調で、ほんの一時間前までは晴れていたのに、秋の天気は変わりやすい。視界不良と落雷を顧慮して列車は一時、運行を停止した。分厚い黒灰色の雲の中から、ビカッと、稲光が閃いて世界を白く照らす。

「やっぱ大佐は、水濡れ厳禁っスねぇ」

 指向性の強い光を受けて陰影のついた表情が艶めかしくて、金髪理の男は惚れ惚れと、タメイキのように呟く。口走った内容に他意はなかったのだが。

「……なんだと?」

 機嫌の悪い主人は剣呑な表情で男を見た。ヤバイ、と男が警戒し弁解の口を開いた、絶妙のタイミングで。

「大佐、どうぞ」

 手洗いから帰って来た女が差し出したのは、車両先頭のスペースに置いてあった無料のミニコミ誌だ。観光客向けらしく裏表紙には札幌市街地の地図と、掲載店の所在地をあらわす番号が記されている。反射的に受け取った黒髪の主人は、文字が書かれていれば読む研究者としての癖のままページを披き、まず目次に目を通す。通した途端、表情は真剣になった。特集の、『北国の、とろけるスイーツ、召し上がれ』という見出しは表紙にもあって、見守る金髪の男の位置からも見えた。

「む。特製アイスクリームにお好みのリキュールをかけて食べられる店があるようだ」

「美味そうっスね。ドコですか」

「ミルク村、みるくむら……、あった、ススキノだ。お、ラーメン横丁のすぐそばだぞ」

 裏表紙の地図で確認した主人の目が純真に輝く。

「へぇ、コース決まりましたね」

「わたし、みそラーメンを食べたいです」

「俺は海鮮塩ラーメンがいいでーす」

「順からいくとわたしは醤油だな。味見をさせろよ、フタリとも」

「イエス・サー」

「アイ・サー」

 タベモノの話でわきあいあい。いつもの調子を取り戻す一行だった。

「ここのカフェも美味しそうだ。む、シフォンケーキ100円?こんな値段でやっていけるのか?」

「どこですの?六花亭?わたし、御土産にもらったことがあります。お酒の入ったボンボンが美味しかった」

「あー、それ、夜勤の時に分けてもらったよーな覚えが」

「そんなことがあったな。うーむ、しかし郊外か」

「ホテルも北区のはずれだし、ワインの酒蔵は小樽だし。駅に着いたら、車借りますね」

 金髪の部下の提案を、

「そうだな」

 主人は素直に受けて、頷く。

「夜食はラーメンとアイスでいいとして、夕食はどうする」

 ラーメンを一食にする気のない、健啖家たちはミニコミ誌を中心に額を寄せ合い、戦時中の作戦会議と同等かより真剣に、

「ここの、炙り屋、って美味そうじゃにないっスか?」

「北のお寿司を食べたいわ。すし善本店、というお店、評判がいいそうです」

「どれどれ、載っているかな。あったぞ」

 札幌駅からは少し離れていて、北海道神宮のある円山公園近くだ。季節膳1500円、おまかせ懐石15750円、おまかせ寿司5000円という価格設定も載っていたが、この種のすし屋にしては明朗会計で比較的安価といえないこともない。あくまでも、この種の店としては、だ。

「要予約、と書いてある。ハボック、電話で予約をしておけ。わたしはおまかせ懐石だ」

「アイ・サー」

「チェックインしたらホテルの温泉で寛いで、夕方から出かけましょうね」

「そうだね」

 うきうき、らんらん。そんな三人の浮かれ気分がにわか雨の雨雲を祓って、やがて列車も、ゆっくりと動き出した。

 

 ホテルはかなりの郊外、札幌駅から車で三十分ほどかかる、北区のはずれ、温泉施設も充実の、オテル・ド・レーゼン・○っポロ。二間続きのスイートの、豪奢なベッドに転がって、まだ、黒髪の主人はミニコミ誌を眺めている。

「大佐ぁ、温泉行きましょーよぉー。面倒なら、ねぇ、バスルームステキですよー?」

 可愛い飼い犬がカラダを寄り添わせて、遊んでくれとせがむのを無視して、背中を、クックッと震わせる。よっぽど面白いらしい。

「そんな雑誌の読者投稿、ドコが面白いんスかー」

 飲食店の特集・紹介ページは読み尽くして、今は別のコーナーを、もと焔の錬金術師は熱心に読んでいた。

「まぁ、お前も見ろ、ハボック」

 ぐい、と男を引き寄せて。

「二十三歳女性、明るく前向きな性格で誠実な方との出会いを捜しています。これはまぁいい。ステキな彼がみつかることを祈ろう。三十八歳未婚の男性です。結婚を前提に真剣なおつきあいをしたいです。これもまぁ、努力はヨシとしよう」

「はぁ」

「四十七歳、バツイチ女性。まぁ歳もバツイチもよいとして、医者・弁護士など、楽しく経済力があり、老後の保障してくださる方、というのは、どう思う」

「……よく分かりません……」

「お前、こういうの利用したことはあるか」

「ないです」

「わたしもない」

 紳士的なアプローチの王子様タイプの主人と、野性味がウリなワイルド派の部下。方向性は違うが二人とも十代半ばから、視界の範囲に入ってきたいい女を狙うのに忙しかった。

「三十五歳男性ニート、誠実で前向きに付き合える女性募集、というのはナニゴトだ、バチアタリめ。女性は男に強さを求めていることを知らないか。ヒモ志望にしても士道不覚悟だ。ヒモにはヒモの適性が必要なのだぞ」

「はぁ……」

「三十五歳男性、チェ・ジゥに似た女性どこかに居ませんか、居たらお友達になりましょう、だと?そんな美女がどこかに居たら、とうに周囲の男たちで熾烈な争奪戦が始まっている。出会ってさえいないお前の出る幕はない」

「……」

「二十五歳男性、ショップ巡りや雑貨店が好きでオシャレな女の子、販売員なんかやってるとドンピシャ、だとぉー?そういう女性の審美眼のシビアさを知らないな。金をかけてもかけなくてもダメを出されるのだ、おろかものめが」

「……ろーい」

 金髪の飼い犬が甘えた声を出す。主人はようやく視線をそちらに向けたが、ミニコミ誌は手離さない。

「ヒトのコトなんか、どーでもいいじゃないスか」

「そう言うが、面白いじゃないか。興味があるのだよ、わたしはこういう世間を知らないからな」

「二十七歳、独身。カラダと格闘と運転にはやや自信あり」

「ん?」

「好みは年上で黒髪、アタマがよくて過激で甲斐性のあるタイプ」

「……ほぉ」

「一生懸命、つくしますから、飼ってやって下さい」

「おい。コーナーが入れ替わってるぞ」

 交友伝言板から、里親募集記事に。

「人懐っこく、淋しがりの子犬です」

「……ドコが『子』犬なんだ」

 言いながら、主人はようやくベッドの上で金髪の若い男に向き直り。

「ん……」

ぱさりと、紙の束が、白い手から床の絨毯へ、落ちた。