焔の諸国漫遊記・7

 

 

 大通り公園である。二月には雪祭り会場になるそこは現在、クリスマス仕様である。

 イルミネーション輝く通りを、ざくざくと歩いていく。夜空を背景にツリーやトナカイ、何故かパピヨンが瞬く。人通りは多く、通りにそって多くの店が並ぶ。

「北国は空気が澄んで、光が美しいね」

「……うん」

 さきほどよりはゆっくりとした歩調で、もと鋼と焔の国家錬金術師たちは歩いている。ゆっくりなのは光にみとれているせいもあったが、もう一つ。

 二人の手が繋がれて鋼の錬金術師の、パーカーのポケットの中にあるため、歩調をあわせる必要があって、そうダカダカとは歩けない。

ドイツビールとソーセージの屋台があって、若者達でごったがえしていた。腹に隙間がないことを恨めしく思いつつ、一行は歩き、やがて札幌随一の繁華街・ススキノへ。ニッカ・ウィスキーの看板おおきなが掲げられたそこは、テレビの中継で見る景色にそっくり。

 一つのビルに入ろうとしたもと焔の錬金術師を、もと鋼のが立ち止まり、引きとめた。

「俺、酒は飲まないよ」

 飲み屋やバーが多く入居する雑居ビル。

「アイスクリームを食べに行くんだよ」

 優しく言って、焔のは繋いでいた手を離した。あ、という正直な表情の若者の、肩に今度は手を当てて促すと、若者は大人しく歩いた。自分から寄り添うように、背中を連れに押し付けて。

 エレベーターに乗り込む。該当階で降りて、細い通路のどん詰りに、クリスマス・リースの飾り付けをした小さなドアが見えた。みるく村、という店名を目にとめながら中へ入ると、中も細長かった。カウンターに沿ってL字にスペースがとられ、そこに二人もしくは四人がけのテーブルが置かれている。

 店内は暗い。けれど小さな電飾が壁や天井でささやかに瞬き、悪い雰囲気ではない。店内はけっこう混んでいたが、それも落ち着いた混雑だった。

「お二人様ですか?」

「はい」

「え……」

「こちらへどうぞ」

 奥まった角のカップル席に案内される。続いて入ってきた金髪の『カップル』は、奥への案内を断ってカウンターの端に座った。店内が見渡せて、入り口を警戒できる席だ。

「あんたのお供たちさすがだね」

「Bセットを二つ」

 グラスのアイスクリーム、アイスにかけるリキュールを三種類、それにクレープにクッキーがついて、1200円のセット。

「泡盛と、どんぐりと、テキーラと、ヘネシーXO、レミー・マルタンのナポレオンに、ジンはなにかな、ボンベイサファイア?ならそれも」

 リキュールはざっと60種類の中から、ロイ・マスタングはさっさっと二人分をオーダーした。寿司屋のカウンターで並んだざくを目にして同じように注文できる客と同様、酒場で酒の注文が早い客は店側に親しみをもたれ愛される。マスターらしいエプロンの紳士はムダ口をきかなかったがニコッと笑い下がっていく。珍しさに引かれたどんぐり、香り目当てのヘネシーとレミーの他は透明な蒸留酒で、客の一貫した好みを感じさせる。

「アイスに酒、かけるワケ?」

「美味しいんだよ。君たしか、体質的にアルコールがダメではなかっただろう」

戦場で体温の維持とてっとり早いエネルギー補給のために、支給されたフラスコの蒸留酒を飲んでた姿を知っている。知られていることを知って、じっと若者は黒髪の相手を見た。

訴えるような乞うような、そんな視線を受け止めて、笑い流す作法には長けている。もっともそうした瞬間の、ズキリという甘酸っぱいような疼きは何度繰り返しても慣れない。ふるのが惜しい相手の時はこういう痛み方になる。惜しくても仕方がない。誰かを選ぶというのは他の可能性を棄てることであって、既に自分は、他を選んでいる。

運ばれて来たアイスとリキュール。それにクレープとミニシュークリームには、珍しいクロテッド・クリームがついていた。さすが酪農国らしい、黄身を帯びた固い本物、本格派だ。煎った黒ゴマがふってあるのはご愛嬌で、かすかな酸味と濃厚で上質、ねっとりとした味わいを、酒も甘味もどんとこい派の欲深い美食家はうっとり味わう。

テーブルの上には六種類のリキュールが、それぞれ小さなガラスの器に入って名前の札をつけられ、これまた小さなスプーンを添えて置かれている。対面の金髪の若者は、マスターがサービスで置いていってくれたリキュールをアイスに滴らせて口に運んだ。好みを尋ねられることも泣く目の前に並んだ六種の酒は、名称だけでもキツイ蒸留酒だと知れたから。

「あれ、美味い」

「全くだね」

「ちょっと、あんた……」

 若者がアイスにかけた残り、ワンショットの半分・15ccほど入ったグラスを持ち上げて、黒髪の美形はくっと煽った。白い喉を晒して一気に。暗い店内でその白さは妙に清潔に、けれど生々しく、映える。

「……そーやって飲むモンなの?」

 一応尋ねつつ、若者の顔には『ソレチガウダロ』という疑いが張り付いている。周囲の客たちは皆、仲睦まじくリキュールや蒸留酒の小さなグラスを交換しあい、味を批評しあって愉しんでいる。

 にこっと、黒髪の美形はまた微笑んだ。それはいかにも胡散臭い笑みだったが、下手な言い訳をしない正直さが取り柄で、まぁ追求しないでおくか、という気持ちになる。

「あ」

 若者がアイスにかけてゆく、残りをクイクイッと、ロイ・マスタングは飲み干し、そして。

「ルイ13世が泳いでいく」

 店内を運ばれていくボトルを、目ざとく見咎めた。まぁクリスタル・ガラス製トゲトゲのボトルはよく目立つ、知っている者には一目瞭然の代物だが。

「なに、それ」

「お酒だよ」

「そりゃ分かってるさ」

「レミー・マルタンだ」

「もう頼んでるじゃん」

「これはレミー・マルタンのナポレオンだ。もちろんこれで十分に美味いが、13世が置いてある酒場はめったにない」

「高いの?」

「ナポレオンの20倍くらいかな。最近は安く手に入るようになったが、それでも10万といったところだろう」

ぶ、っと、泡盛をかけてアイスを食べかけていた若者が、噎せる。

「……すまない、いいかな」

 若者の危機を無視してロイ・マスタングの意識はマスターの他にも二人ほどいる給仕に向いて、さっきマスターが出していた13世を、とオーダー。言いつけられた給仕は少々お待ちくださいと言ってカウンターへ。

 入れ替わりに、マスターが13世のボトルを運んで来た。にこにこした表情には目ざといですねと書いてあったが、それでも余計な口をきかず、手にしたボトルをちょっと気取って掲げて見せる。

「特別メニューか何かかな。一見だが、頼めるかな」

「もちろんです。ご案内が行き届かず申し訳ありません。……おーい、メニューを」

 もう一度、差し出されたリキュールメニューの裏側には、特別オーダーとしてプラ○○円コーナーがあった。200円からスタートして4000円まで、値段別にざっと40種類ほど。価格設定の細かさは店の良心を感じさせ、さらに品揃えは、そのへんのバーが逆立ちしても太刀打ちできない豊富さ。

「こんなのがあったか。気付かなかった」

 13世は4000円の追加だった。予算に上限のない男は気軽にそれを頼む。さらに、

「リーシャル・ヘネシーも」

 価格欄に、お尋ねくださいと書かれているそれを。

6000円になりますがよろしいでしょうか」

 ちなみにボトルで買えば、どう足掻いても123万は下らない。自由化以前はさらにその倍はしていた。

「もちろん。……この、ロマネ・コンティのブランデーというのは、あのワインのロマネ・コンティかな?」

「はい。そのワインのロマネ・コンティでございます」

「ブランデーがあるのか。知らなかった」

「気候の悪い年がありまして(1979年)、その年は品質を守るためにワインの醸造量を制限したそうです。残りは焼いて20年以上も寝かせて、最近(20045月)、発売になりました。ただ、申し訳ありません、一本だけ仕入れましたが、もう完売でして」

「……そうか」

 がっくり。そんな感じで露骨に肩を落す客に、恐縮しながらマスターは退いて行く。

「ロマネ・コンティはさすがに俺も知ってるよ。ポンパドール夫人とコンティ公がとりあいしたところだよな。でもワインぐらい、あんたならカパカパ飲めるだろ」

「ワインの味を、わたしはよく分からないんだ」

「なに寝言いってんの」

「ホントウだよ。というか、アレだ。正直なことを言うとワインのブランドを信じていない」

「最初からそう言えよ」

「というか、多分、出荷される時の味はラベルを裏切らないと思うが、ワインはナマモノだから、その後の管理で味が変わるからね。国産ワインのメーカーに、出向いて飲み歩く方が確実だ。たとえばそう、生の日本酒を冷蔵庫に入れなければどうなると思う?」

「酒のコトは知らないけど細菌学の知識で回答すれば、酢になる」

「正解だよ。酒場で一本に何万も出すのは危険すぎる賭けだ。外れた瞬間はイタリアで美女に声をかけたらトラヴェスティートだったというくらい物悲しい」

「よくわかんないけど、セツメーしなくっていいから」

「トラヴェスティートというのはね」

「だいたい分かってるから」

「オカマさんのことで」

「言うなって」

「またそれが素晴らしく美しくてわたしに優しくいかにも好意的に微笑んでくれた日にはもう、失望といおうか絶望を叫ぼうかという」

「勝手に唄ってろ」

「お待たせいたしました」

 マスターがやって来た。追加の酒をミニグラスに注いでくるのではなく、空のグラスとボトルを盆に載せてきて、客の目の前で注ぐ。高級な酒は間違いありませんよというしるしにラベルを見せながら注ぐものだ。レミー・マルタンのルイ13世とへねしー・リーシャルの他にもう一つ、瓶が置かれていて。

「もう、香りしか残っていないかもしれませんが……」

 マスターが微笑む。黒髪美形の顔が輝く。

「失礼いたします。……、あれ」

 どぽ、っと。

 結構な量が、ボトルから零れ落ちた。

 ミニグラスにいっぱい、レギューラーの分量より多く。ただし、澱と、コルクの欠片も底に沈んだが。

「……いいのかな」

「はい。こちらサービスにさせていただきます」

 にこにこ笑ってマスターは会釈して離れていく。

「とくしたじゃん」

「……いいのかな」

「いーんじゃない?ちょっと、分けてよ」

 グラスは溢れそうで持ち上げることが出来なかった。ちょいちょい、とスプーンを往復させて若者はアイスにそれをかける。口にした瞬間、口の中に、なんと言ったらいいか。

「ワインのロマネ・コンティは、澱まで甘いといわれている」

 さすがに一気のみでなく、ゆっくりと、黒髪の美形もそれを味わった。

「こんな味を知ると、ワインの方も試してみようかという気になるね」

「節操ないんじゃない、オッサン」

「トラヴェスティートは試したよ。若かったから」

「へぇ……。どーだったの」

「たいへんよろしかった。癖になると困るから一度きりでやめた」

「あんたにもそーゆー時代があった訳だ」

「一気にオッサンになったのではないからね」

「今は?」

「わたしも人体錬成を」

 す、っと。

 グラスを持っていない方の手が伸びて、テーブルの上で若者の、アイスやクレープを盛りつけた皿に添えられた手に触れる。機械鎧の右手に。

「しようとした。何度もした。周囲のオトナが止めてくれたからやめたが」

「ヒューズさん?あのいけすかない医者?」

「君を止められなかったのは君の周囲の、大人たちの罪だ」

「違う。俺自身のせいだ」

「周囲という範疇にはわたしも入る。知り合っていなくとも錬金術師の先達として、わたしの罪も深い」

「俺の判断は俺のものだ」

「必ず石を見つけ出してやる」

「……」

「待っていなさい。必ずだ。約束する」

「……」

 

 外はまた冷えてきたらしい。窓の外には、雪がちらつきだした。