望月・十

 

 

 真撰組副長・土方十四郎の私室は狭い。局長が起居する離れの玄関脇、ほんの供部屋。六畳の室内にはろくな調度もないが、ないからこそ刀の手入れ道具や私服、地図に書籍がそのへんに置かれ掛けられ積み上げられていて、部屋の中を雑な印象にしている。

「トシ」

 隊の応接室に通されることを固辞した客は義弟の部屋でならと、朝食をご馳走になることにした。沖田が先に立って副長の部屋へと案内し、散らかっててすいませんと家主のような口をきく。懐かしそうな様子には理由がある。昔、ずいぶん、本当に世話になった。

 多摩の地方領主で、土地ではかなり裕福な名主。武辺好みで屋敷に稽古場も設けて、近藤勲の貧乏道場の後援者だった。十代で皆伝を受けて代稽古も務めていた沖田はその道場に行くたびに、泊めてもらって食べさせてもらって、季節の新しい服を着せてもらった。世話好きな名主夫妻に優しく扱われるのが、ふたおやの味を知らない沖田には甘酸っぱいほど嬉しいことだった。

 酒の味もその屋敷で知ったし、麻疹を患ったときは医者を呼んでくれて親身な看病も受けた。心配した名主は沖田の布団を自分の隣に敷かせて、夜通し、様子を見てくれた。

 佐藤彦三郎。妻の名はのぶ。

 その妻の弟が、この乱雑な部屋の主。

「別に怒っていないから入ってきなさい」

 彦三郎はゆったり温厚に笑いながら、廊下で平べったくなる義弟に声をかける。三人分の朝食の膳が運ばれるまで正座していた副長は、給仕の見習い隊士が居なくなるなり、頭どころか肩さえ下げて廊下に突っ伏している。

「入ってお膳をいただきなさい。朝食はきちんと食べなければいけない」

 客人は義弟を待とうとした。が、下座で沖田がニコニコ、自分が食事をはじめるのを待っていることに気づいて栗材の箸をとる。かちぐりと実が称される縁起を担いで、隊では木目の詰まった丈夫なこの箸を使っている。

 客が味噌汁に口をつけるのを待って、沖田はうきうき、膳の利休卵を口に運んだ。茶懐石を齧った者には常識だが、料理の名に利休とついたらそれは胡麻料理だ。すり潰した胡麻に卵を割り込み、少量の酒と醤油で味付けしたもので、卵焼きの一種だが甘くはない。精進の席では刺身コンニャクの代わりに用いられることもある、前菜というか、取り肴のたぐい。

「のぶにはいいつけないから」

「あぁ、のぶさんの利休卵だ。うめぇ」

「……ホントだな」

 沖田の前だというのに見栄も体裁もなく、平身低頭して詫びを入れつつ朝帰りの二枚目は低い声を出した。別に凄んでいるわけではない。廊下についた手の甲の上に額を当て、姿勢が低いので声が篭もる。

「あぁ、約束する」

「ゼッタイだな?」

「しつこい。わたしが嘘をついたことがあるか」

「ねーさんに」

 客人の義弟はようやく顔を上げた。両手は膝の前についたままだ。

「問い詰められたら、わからない」

 この副長の『ねーさん』は故郷では知られた小町娘。既に二人の子持ちだがそれでも尚、二十歳の若衆を振り向かせる美貌と色艶を保っている。その姉によく似た顔の弟は、私服の着流し、髪もセットしないままで、実年齢より五つ六つ若く見えた。

「にーさんぽろっと零すかもしれないだろ」

「重々、気をつける。だから安心してご膳をいただきなさい」

 重ねて勧められ、義弟が自分の部屋にそっと、常と違って畳の縁を踏まないよう気遣いながら、入りかけた時。

「彦さんが?え、応接室じゃない?何所だ?俺の離れ?」

 局長・勲の大きな声が隊内に響くのは久しぶりだ。足音は玄関から一旦は奥に消え、山崎に訂正されバタバタと戻ってくる。

 廊下へ続く障子は開け放たれていたから。

「彦さん!」

「おぉ、勲!」

 箸を放り出して出会いがしらに抱き合う、二人の姿は山崎にも丸見えだった。膳に転がった端を鬼の副長が拾って揃えて、箸置きに戻した。

「来るなら一報してくれよ、彦さんー」

「はは、すまんすまん。急に思い立ったんだ、勲。あぁいや、もう呼び捨てはいかんな。近藤先生」

「昔どおりで構わないさ、彦さんは特別だ」

 こちらは旧友、婚姻ではなく盃を交わした義兄弟。

「近藤さん、のぶさんの利休卵を持ってきていただいてますぜ。じき膳が、あぁ、きた」

 見習い隊士ではなく山崎が局長の膳を持ってくる。沖田が座を詰め、副長が下がって客の対面をあける。近藤はにこにこ、とても嬉しそう。

「あぁ。懐かしいな。のぶさんの味だ」

 狭い六畳間に男四人、膝を重ねるようにしてメシを食っていると、泊まりの寒中稽古を思い出した。新年の数日、門弟たちが泊り込みで朝から晩まで恵子に明け暮れて、夜は自分たちで食事をつくって、道場で皆で食べた。

懐かしい。

「彦さん、いつまでご滞在ですか?」

 副長の膳の利休卵をおきたが狙う。味噌汁の蓋をガードに副長が沖田の箸を阻む。昔からこの二人はこんな攻防をよくしていた。

「明日には帰るよ」

「公用で出てこられた訳では?」

 近藤勲は不思議そうに尋ねる。地方領主として江戸に何か用事があって来たのだと、てっきりそう思ったのに。

「いや、特に用はないのだ。皆の顔を見に来ただけで」

「近藤さん」

 ぱくり、と。

 姉の手料理を箸で挟み、口に運びながら。

「今夜、にーさんを吉原に拉致ろう」

 それは真撰組副長が局長に向って、殆ど二週間ぶりに言った台詞だった。

「トシ?」

 故郷の旧知に会って舞い上がりつつ、まだ少し副長に複雑な心境らしい局長は戸惑う。

「土方さんはついさっき、朝帰りの現場を押さえられちまったんでさぁ」

 おひつのごはんをお代わりしながら沖田が笑う。

「姑息なこと考えてるらしぃですぜ。彦さんの弱み握って、口を塞ぐツモリでしょ」

「……朝帰りしたのか」

 声が少し悲しげになる局長の目の前で。

「ほら」

 杓文字を離した沖田は茶碗を副長に差し出す。自分のではないメシを持たされた副長が反射的に受け取った、瞬間、沖田の指先が機敏に動いて、ゆるく合わせた二枚目の襟をはだける。

 鎖骨の歯形が局長の目に映った。

「そ……、そうか」

 男の跡だと、局長は気づいたらしい。すぐに目をそらしたが、表情に余裕が出来る。

 『あの女』と寝て朝帰りではない。

「おい、総悟」

 副長は吼える。が、茶碗を放り出しはせず保持しつづけた。当然、蹴る殴ることは出来ない。お米を作るお百姓さんの八十八の苦労を慮り大切に頂きなさい、と、幼時から躾けられたせいで食べ物を粗末にするコトはしない男。

「そんなことをしなくても喋らないぞ」

「トシとは無関係に彦さん、どうか一席、設けさせて下さい」

「いやいや、一席は嬉しいが、そんな色町は」

「隊の贔屓の料亭、二つあるんですがどっちも吉原なんです」

「逃がさねぇぜ、にーさん」

「お前たちの招待とあれば逃げはしない。喜んでご馳走になろう。だが妓は抱かないぞ?それだけ最初から店に言っておいてくれ」

「了解です」

「分かりました」

「彦さんの言うとおりに」

 します、と、物分りよく笑う三人の頬にはきれいに揃って『逃がさねぇぜ』と書いてある。

「じゃあ彦さん、昼間は俺と遊んでくだせぇよ。今日はこれから非番なんで、若者の街をご案内しますぜ」

「なにを言う総悟。彦さんは俺と江戸城観光だ」

「にーさん夜行でついたばっかしだぜ。一眠りするだろ。ここに布団敷くから」

「えーじゃあ俺も寝るー。非番明けで眠いしぃー」

「いやここでなくて是非、奥の客間に」

「昼からお城の桜見に行きましょうねィ」

 真撰組局長と副長、それに一番隊の隊長という、三人組には知られざる共通項がある。

 三人とも、実は末っ子。

 年上の優しさに、弱い。