望月・十一

 

 

 

客人は隊の客間に入ることは固辞した。が、宿には帰さないと言い張る沖田と近藤に押されて、義弟の部屋にならお世話になるよと譲歩する。

 食事を終え茶を喫し終えて、総悟は立ち上がった。そう広くもない部屋のそこここに積み上がった会計関連の本や紳士録、新聞数紙に警視庁関連の機関紙、指名手配犯の資料、その他を無造作に抱え玄関へ通じる廊下へ出す。

「……」

 自分の部屋を勝手に片付けられても朝帰りの二枚目は文句を言わなかった。どころか自分も煙草を咥えたまま立ち上がろうとして、

「トシ」

 柔らかく咎める声にたしなめられ火を消す。歩き煙草はよせと昔から、よく注意されていた。

 がらん、とした六畳間に二人が布団を敷く間、来客と近藤勲は縁側に出て、友人知人の近況を交換し合っている。真撰組の母体は勲の道場に集っていた剣客たちで、この客人ともそれぞれに親しい。

 副長の私室には一人分の布団しかなかった。気の利く山崎が客間から豪華な客布団を運んでくる。背後には沖田が、本棟の自室から自分の布団を抱えて立っていて。

「……お前もここで寝るのか?」

「なんのために片付けたと思ってンですかい?」

 布団はどれもセミダブルのロングサイズだった。六畳に三つ布団を敷くと足の踏み場もない。

「それじゃゆっくりお休みください、彦さん。昼には、また顔を出させていただきます」

 これから勤務の近藤が刀を携え縁から立ち上がった。

「ありがとう。でも仕事の邪魔にならないか」

「お気になさらねぇでくだせぇ。副長が外泊して朝帰りしても平気なくらい、最近は平和なんです」

「……」

 朝帰りの副長には言いたい言葉もあっただろう。が、朝帰りは事実なので口を開かない。近藤勲を見送ってから、黙って着流しの着物を脱ぐ。下は動きやすいように半襦袢。裾よけはつけていない。だから半襦袢は膝下まである長めのものを仕立てさせている。生地は本麻、手もみの楊柳。薄い生成りの地は涼しげに透けている。

 襟以外は人目につかない襦袢として着るには高価で、贅沢すぎる品だ。特有のシボがった織り地で独特の凹凸がある。ごわついているが肌に気持ちのいいゴワつきで、今朝、着込んでいると寝床の中に居た男が、頬に触れた裾に目覚めて、腕を伸ばしてきた。

 それからまだ二時間も経たない。

「相変わらず洒落モノだな、トシ」

 義兄の客人が笑う。イヤミはなく、どちらかというと見目のいい身内が自慢で満足、そんな気配があった。昔からこの義兄は義弟に甘く、子供時代は膝の上で撫でながら育てたような時期がある。子猫が成人し世間にのし上がった今も、猫かわいがりの癖が抜けていない。

「夏稽古の昼寝みたいですねぃ」

 沖田はなんだか嬉しそう。夏の間の稽古は早朝から始めて昼前まで。裏の川で水浴びをして昼食を食べてからはみんなで、道場で昼寝した。

田舎の夏、正午から日暮れ近くまで、猛暑の時間は村中が寝静まる。四時近くなってから起き出して西瓜や瓜を齧り、夕の涼しい風が在所に篭もった熱気を吹き散らすのを待ってから農家は野良に出て商人は店を開け、長い陽が沈むまでまた働く。道場の場合は夕稽古を行う。

 道場の戸も窓も開け放して、蝉の声と川の流れる音を聞きながら、眠る仲間には時折この客人も混じった。郷里では名主で、自邸の一角に道場を持ち、そこに近藤勲や沖田は出張指導に通っていた。

「彦さん、風呂はいかがですかぃ?お背中流しますぜ」

「ここへ来る前に、宿で入らせてもらったよ」

 夜行列車で揺られたままでは他家の門をくぐらない、という身じまいの良さは田舎の良家の当主らしい。

「そうですか。俺も夜勤の交代時間に入りやした。土方さんは湯上りですねぇ、セッケンの臭いがすらぁ」

「……」

 最後のイヤミが言いたくて話題を振ったらしい沖田に、副長はこのヤロォと拳を固めた。が、反論も出来ずにさっさと、夏蒲団の中へ。供部屋らしくここは西向き、中庭に続く縁側に面した障子は午前中日陰だから、半間ほどは開け放して風が通るようにした。

「みなが元気でよかった。それが一番だ」

 温和な口調で穏やかに、客人がそう言う。その台詞はかなり露骨に義弟を庇っている。

「……」

 今度は沖田が黙りこむ。いいなぁ、という気持ちが、客人を挟んで寝ている副長の肌に伝わってきた。この客人はみんなの兄貴分、でもこの人を実際に『にぃさん』と呼べるのは副長の土方だけで、そしてやっぱり、他とは格別、特別に愛されている。

 両親と縁が薄かったは真撰組トップスリーに共通の属性だが、近藤勲と土方十四郎は兄弟が多く親戚も数多い。その点で沖田は二人より更に寂しい。

「のぶがな」

 客人は眠たいらしい。声がゆっくりになって、一層、穏やかな響き。

「江戸の新聞を楽しみにしている。時々、総悟君が載るから、と言って」

「……この前も載ったな。ろくでもない大活躍がなぁ」

 ぼそっと副長がようやくの反撃。市中で大暴れしてた挙句、反省の様子もなくバズーカーとともにポーズをとった写真が一面にでかでかと載った。

「嬉しいや。のぶさんに悦んでもらえるなら、江戸城にだって斬り込みやすぜ俺ぁ」

「はは、頼もしいな総悟君は」

「チョーシに乗せねぇでくれよにぃさん。こいつが無茶するたびに近藤さんと俺はあっちこっち、謝って廻るんだから」

「そういう役目はまわりもちだ、トシ」

 客人は優しい口調でするりと義弟の愚痴を丸める。そう言われるとこの副長には返す言葉がない。若い頃に無茶な喧嘩を繰り返しては、親代わりの義兄と姉に何度も迷惑をかけた。

「みなが元気で、仲良く暮らしていれば、それが一番だ……」

 すぅーっと語尾が寝息になる。それにつられて他の二人も、前後して眠りにつく。

 夜行で江戸に出てきた客人と朝帰りの副長、夜勤明けの一番隊隊長は枕を並べて、正午近くまで心地よく眠った。