望月・二
夕方、帰ってきた家主は。
「はい、これはお土産。仲良く食べるんだよ」
言ってさっさと奥へ引っ込んだ。二人の従業員の前には出汁巻きタマゴやひき肉の湯葉巻きそぽろ煮、白身魚の香り揚げに栗入りのおこわ、という、妙に手の込んだ料理が詰め込まれた透明のパックが置かれて。
「まだバレてないもりアルか、あの男」
片方の頬を膨らませながら少女が言う。
「もろ料亭の残り物もって帰る気配りといい、服のヤニ臭さといい、アレで隠してるつもりなら馬鹿アル」
「仕方ないよ、銀さんも男の人なんだから。本人が言うまでは気づいていないフリをしてあげようよ」
「大人のヘタなウソに付き合うのも楽じゃないアルよ」
「同感だけど、まあでも、なんとなく知られたくない気持ちも分からないじゃないし」
「男同士はすぐそーやって庇いあうから嫌アル」
「別に庇ってる訳じゃないけど、美味しいね」
「あいついつもこんなの腹いっぱいに食べてるアルか。もしかしてあのヤニ、お金持ちアルか」
「さぁ、知らないけど、経費で落とせるんじゃない?」
「うちも経費で落とすアル」
「予算枠がないよ」
真選組の屯所の厨房は広い。独身の一般隊士は屯所に住み込みが原則で、連中には三食の他に夜食も出る。賄いを作ってくれるのは住み込みの老夫婦で、だからてっきり、水音は、そのどちらかだと思った。
「お茶―、五つー」
気楽な口調で食堂の奥、仕切りの向こうの人影に声を掛けた平隊士たちは、
「自分で煎れろ」
返ってきた返事に絶句する。言葉ではなく声に。立っていたのは賄い夫婦のどちらでもなく。
「し、失礼しましたッ!」
非番らしく私服を着流した鬼副長。
返事もせず、水音をたて続ける。
五人の平隊士は緊張したまま、互いに視線を交し合っていたが。
「あ、あの、洗いものでしたら自分たちが」
やります、と健気に申し出る。そもそも、こんな夕方の台所に、こんな幹部が、居るのが間違いなのだ。隊長クラスから上の連中には屯所の中でも個室が与えられ、食事も平隊士が使う食堂ではなく、別献立が、膳で届けられる。
「お前たちには無理だ。漆器は扱いが難しい」
平隊士たちのさらに背後から声。振り向くと食堂の入り口には、監察の山崎が曖昧な笑みを浮かべて立っている。鬼副長ほどではないがこちらも平隊士には緊張する幹部だ。
「まして蒔絵の重箱じゃ、滅多なヤツには、触らせられませんね」
言いながら食堂へ入ってきて、戸棚から布巾を手に取った。一番柔らかなガーゼ地のものを。四つ折りにして、さらに半分に折った三角形にして、それから。
「拭きますよ」
三段の重箱をぬるま湯で濯いでいた副長に手を出す。剣ダコが形を歪ませているが、基本的には指がすらりと伸びた、いかにも育ちのよさそうな、指先。
「……」
無言のまま鬼副長は重箱の蓋を渡した。その手にあるのもスポンジではなくガーゼの柔らかな布巾。そみにぬるま湯を含ませ、薄めた中性洗剤で、そーっと洗っていた、らしい。
四隅の水分を布巾の角でもって、山崎は丁寧に拭っていく。平隊士たちは山崎の柔らかな雰囲気で場が緩んだ瞬間に、会釈を残して食堂から逃げた。
「これで何日目ですかね、あの別嬪さんが昼飯を差し入れに来るのは」
「……」
「局長が屯所に帰らないのも」
「……」
「沖田隊長のご機嫌も斜めで」
「……」
「いい塗りの重箱ですね」
蒔絵の三段重ねの、箱を順次、受け取り拭き上げた山崎はそれを惚れ惚れと眺める。金銀の粉で御所車が描かれ、花の部分は螺鈿の文様になっている。白っぽい象嵌は鮑ではなく夜光貝を使ってあるからで、値段は鮑の蒔絵より高い。
「まだ重ねるなよ。もちっと乾かしてからだ」
「了解です」
拭ったのとは別の布巾を取り出し、箱と蓋をそっとその上に伏せていく。鬼副長がやれやれ、という表情で煙草に火を点けた瞬間を狙って。
「どうされるんですか?」
軽く屈んで、上目遣いに尋ねる。
「……」
口をへの字に曲げたまま三白眼の副長は答えない。
「逃げ回ってるくせにメシは全部食べて、重箱を洗い上げたりしてるから止めないんですよ、あの姐さんは」
「……」
「隊士たちにも局長不在の真相が漏れ始めてます。沖田隊長の不機嫌も臨界点です。ちなみに俺も、イラッとしてきてます」
「……」
「副長が最初に甘い顔見せたせいですよ、姐さんが強気なのは」
「……」
「まぁ、あんたいっつも、オンナには死ぬほど甘いけど」
「……」
「今度はシャレになりませんよ。局長の女を副長が横取りで隊が荒れるなんて外聞が悪すぎるでしょう」
「……」
糾弾に、鬼副長は珍しく反論をしなかった。目を閉じ、ふうっと、紫煙を吐き出して。
「……近藤さんにだと思ったんだ」
呟く。