望月・四
熱帯の鳥の群れのようだ。
と、そんなことを考えながら、渡り廊下から咥え煙草で、鬼副長はその一段を眺める。
食堂の流しで洗い上げた重箱の包みを指先に引っ掛けて、おかげで腕組みが出来ない。月見うさぎの柄の風呂敷に灰を落とさないよう、気をつけながら、唇から煙草を空いている手に取り、中庭に灰を捨てた。
「どうぞ」
荷物のせいで携帯灰皿を取り出せない彼の前に、隊士の一人が気をきかせて灰皿を差し出す。若い新入りだが度胸がある。他の者たちは皆、興味を抱きつつびびりつつ、遠巻きに、その状況を眺めていた。
表玄関から奥へ続く廊下を華やかな着物の女たちが歩く。衣文を抜いた着付けや唇を強調する化粧から夜の女ということが分かる。十人近い女たちを連れているのは、真撰組一番隊隊長の、沖田総悟。
「いいのぉ、ホントに入ってもぉ?」
女たちは厚い化粧の飢えに心配そうな表情を貼り付けて、でも下がった目尻は興味津々だった。そして、若い総悟に語りかける語尾には媚がある。こんなに若い『客』が、『花』(時間給)をつけて店外に誘ってくれるのが珍しいのだろう。
「構わねぇさ、なにせ」
数年前までは女の子とよく間違えられていた、繊細に整った顔立ちの若い王子様の視線が脇に抱え込んだ女から離れる。いや、もともと意識は違う相手を探していた。廊下から近づいてくる黒髪の副長を意識しながら、こっちへ歩いていた。
「副長自ら、連れ込んでんだから。文句はないはずだぜぃ」
日ごろ隊の風紀にうるさいその副長の前にわざわざ、女たちを見せ付けて目線で喧嘩を売っていく。表情を消して、三白眼の男はそれを聞き流した。ただ、女たちが目の前を通り過ぎるのを眺める。二枚目の副長に流し目をくれた女も何人が居た。くれられても副長は無反応。しかし。
「よぉ」
途中で静かに、そう声を掛ける。全員が振り向いた。女たちも、両脇にうちの二人を抱え込んで先頭を歩いていく沖田も。そうして全員が虚をつかれ立ち竦む。隊員の差し出す灰皿で煙草を消した愛煙家が薄く笑っていた。マスカラで補強された女たちより何倍も艶な目尻は、緩むと磁場に近い引力を感じさせる。
視線は一人にまっすぐ向いていた。藤色の着物を着て、最後から二番目を歩いていた女に。真撰組副長、江戸ではかなり名の通ったハンサムだが強面のその男が、自分に微笑んでいるのだと、気づいた女は驚いて息を呑む。
「元気か?」
優しく尋ねられ、頷くのが精一杯。商売女を初心い娘のように緊張させる色悪は、とどめにもう一度、笑った。
立ち止まる一行を尻目に悠々と、副長は縁から奥へ行く。幹部の部屋が集まる居住区へ。細めだが腰の揺れない歩き方は、見るものが見ればそれだけで相手が尋常な使い手でないことを悟る。
「……覚えててくれたんだ……」
女が見ても、震いつきたくなる後姿だった。
「なに、いまの」
「土方さんのこと知ってるの、雪ちゃん」
「昔ね、むかぁし、もう何年も前にね」
それだけで通じた。相娼になったことがあったのだろう。真撰組が幕府の直轄部隊となり名が通った今では慎む遊びも、警視庁の外郭団体に過ぎなかった時代には散々、やっていたものだ。中でも美男の副長は色町の女に散々、騒がれた。
「一回だけだったんだけど……」
声を掛けられた女の頬がみるみる、染まっていく。一度のことを思い出したのか覚えられていた嬉しさがこみ上げてきたのか。朋輩たちに冷やかされて、耳たぶまで紅色がさした。
一触即発。
に近い、遭遇を軽くいなした副長の後ろには、いつの間にか監察の山崎が追いついていて。
「寝た女なんか星の数ほど居るのによく覚えてますね」
ほんの少しだけ皮肉に声を掛ける。
「男なら」
風呂敷包みを応接間に置いて、手があくなり煙草に火をつけ、台詞が途切れた。
「撫でた尻ぐらい覚えとけ」
さらっと言った一言に、遠巻きにしていた隊士たちが無言の悲鳴を上げる。格好いいぜフクチョー!というキアイの渦巻く中、
「……顔じゃねぇんだ……」
山崎だけは冷静に呟いていたが、聞く者はなかった。