望月・六
すなっく・すまいるには最近、新しい常連客が出来た。
それほど派手な遊び方は、しない。
「俺ぁ近藤さんほど高給取りじゃねぇからな」
やってくる時刻は開店早々の六時、水曜と日曜、店が暇な曜日の、大抵は口開けの客になって。
「他から指名入ったら行けよ」
支度部屋近く、奥まったテーブルに牌を出させ、衝立で囲わせ麻雀を二時間。それでさっと引き上げる。酒は飲まない訳ではないがこれから営業として客の高い酒を飲まなければならないキャバ嬢たちには強いず、どちらかというと。
「あんたら、腹減ってんじゃねぇか。なんかとっていいぞ」
食事の方をさせる。指名は特に無く、けれど卓を囲む必要上、お茶ひきの女を三人、代わるがわる呼んでくれるから店にとってはいい客だった。無論、ドンペリをダースでとる松平片栗虎の方が上客には違いない。が、上客は売れっ子の指名が決まって居て、店には貢献するがヘルプや新入りの懐は潤さない。
ニハチの法則、といわれる定説が商売にはある。店の売上の八割は人気のある二割の商品、この場合は売れっ子が稼ぎ出す、ということだ。しかし店に客をひきつけるには「品揃え」、つまり頭数をそろえ客に選択の楽しみを与えることも大切で、裾野に広く恩恵をくれる客は、金遣いの荒い偉いサンとは別の意味で、店にとってはありがたい客だ。
女たちにとってはありがたいどころではない。若くて色男の客だし、イヤらしい事をされる訳でも口説かれる訳でもなく、マージャンの相手をしているだけで時間給は貰える上に、好きなものをとって食べられるのだから。
店の料理はツマミやスナックが殆どで、客はそれらをとって薄い水割りをちびちびと飲むが、女の子たちにはもっと腹にたまる、蕎麦や寿司が人気で、ボーイにチップをやって裏口からそれらが届くと、女は仕度部屋に引っ込んで食べてくる。その間は別の女が呼ばれて卓の席に座るが、どちらにも祝儀は支払われる。キャバ嬢たちの夜は長く、客の酒は飲んでも食べ物にはあまり手をつけないから、出勤後に客の金で腹ごしらえが出来るのはありがた いことだった。
もちろん、出前の寿司や蕎麦は、十人に奢ってやっても、並みのボトル一本分の代金にも満たない。こういう店の内情をよく承知した、分際に相応の振る舞いをして引き上げるやり方は格好が良くて、指名客を掻き分けて過ごしているような売れっ子まで。
ちょっと、ねぇ、あたしにも一杯のませてよ」
指名の合間をぬって顔を見せる。阿音はその時、かなり酔っていた。足元がふらつくほど。
新入りのヘルプに大三元をツモられて、若い客は少し憮然としていた時だったが。
「こんなところに来てマージャンなんて、変わったオトコよねぇ、アンタ」
自分の座った奥のソファの、端を開けてやる。売れっ子の先輩の登場にびびった新入りがさっと席を立って阿音を通した。
「濃い緑茶もらえるか。ぬるめで。食塩も」
女の悪態に構わず、客はボーイに手を上げて注文。着流しに引っ掛けていた羽織を脱いで、隣に来た女の肩へ掛けてやる。空調は効いていたが露出の多いドレスを着ていた阿音の肩口は、少し寒そうに見えていた。
体温のかすかに移った羽織を着せられて、ふっと、阿音の毒舌が止まる。その瞬間に、
「ポンだ」
客が牌を場に投げ、勝負が再開する。運ばれてきた茶に、客はマージャンを続けながら食塩を振って、ふぅふぅ吹いて、冷まして。
「飲んどけ。悪酔いするぞ」
酔った女に持たせる。女は受け取り、大人しく口をつけた。そのまま客の隣に黙って座っている。十五分ほどで勝負がつき、牌がかき回される間に、客は煙草を咥えた。
いつもなら女たちが争って火を点けてやりたがる。が、今回は、押しかけて寄り添って座る阿音だけに任せて。
目を伏せて息を吸い込む男の、長い睫を、すなっく・すまいるきっての売れっ子はじっと眺めていた。
「阿音さん、指名はいりました」
ボーイが呼びに来る。ゆらっと、立ち上がりながら。
「これ借りてていい?」
羽織に指をかけて、尋ねる。
「いいぜ」
「ありがと」
短く言って、さっと離れていく女に、客は見送る目線を向けなかった。ドンペリもとらない男のテーブルには普段、呼ばれても来ない上玉が自分からアシを運んだのに、手も握らなかった、訳は。
「そろそろ、おひらきにしようか。またな」
客には目当ての、別の女が居て。
「お妙ちゃん、土方さんがお帰りだよ」
いつも現金払い、三万前後の金額を支払う客の見送りだけは、マネージゃーが指示してやらせている。待たせた部下の車が店の前へ廻されて来るまでの、ニ・三分の時間。
「一体、ナニを考えているんですか」
懐手の客と並んで店先に立ちながら、整った顔立ちの、気の強い女の横顔は硬い。
「水商売のいい女にコナかけられて、礼に店に遊びに来ちゃ悪いのか?」
客は女の態度を気に留めずいい機嫌。
「こんなの、迷惑だわ。わたしが屯所に行っていた復讐?」
「まさか」
「じゃあ、なに」
「あんたの顔を見に」
「迷惑です。もう来ないで」
「そんなこと言われると余計に来たくなる」
「嘘つき」
「気が強くて頭が良くて、ずけずけモノを言う女は好きな方だ」
「趣味が悪いのね」
「そうかな」
酔客の間を縫いながら車がやってきて、酒を飲んでいる男は助手席ではなく、後部座席に乗り込んだ。
「またな」
「……もー来るなって言ってるの聞こえない?」
「聞こえない」
運転席からの操作でドアが閉じられる。
「凄い目で睨んでますぜ、姐さん」
ハンドルを握った山崎がバックミラーを見ながら言った。
「あんまりやり過ぎると刺されますよ」
「ナンとかしろって言ったのはおまえだろ、ザキ」
「言いましたが、しすぎじゃないですか。姐さんの屯所通いも納まったんですから、そろそろ止めた方が」
「なんのかの言いながら、お前あの女に甘いな」
「美人ですからね」
「まぁ、いいから黙って眺めてろ。思うところがあるんだ」
「お聞かせ願えませんかね」
「誰にも言わないか?」
「言いません」
「あれ多分バージンだぞ。あんなにいい女なのにいまいち、イロっぽくないだろ」
「はぁ……」
「あんな小娘に舐められてたまるか」
「……副長?」
「って、腹の中で、俺のオンナなところが吼えてる」
シートでゆったり足を組みながら、懐から煙草を取り出し、火をつける。
「背中向けてた間は男と女だったから可愛かったんだが、向き合えば近藤さん挟んでオンナ同士さ。負けてたまるかよ」
うそぶく、唇から紫煙がふうっと、細く吐き出されて。
「あんた、ちょっと、その顔……、カガミで……」
運転席から、山崎のうめき声。
「おかしな顔してるか?」
「このまんま、ラブホに突っ込みたいぐらい」
「お前は俺とアレとどっちがイイ?」
「あんま挑発されっと事故りますよ」
「答えろ」
「俺はチェリーじゃないですからもちろん、イロッポイ方が」
「だから、どっちだ」
「色気じゃあんたの圧勝です。勝負になりゃしません」
「左に曲がれ」
屯所へ帰るため、右折車線に入りかけていた山崎は慌ててハンドルを切った。右へ行けば官公庁街、左へ行けば、色街。
「……ホテル突っ込んでいいですか?」
「組の看板背負ってか。情熱的だな」
「ちょっと俺、マジやばいんですけど」
「おろせ」
「……は?」
唐突な言葉に戸惑いつつ、身体は殆ど反射神経で指示に忠実に、ブレーキを踏んで路肩へ寄せる。交通量の少ない裏道。キャバクラやクラブのネオン華やかな一角とは離れた、道の両側に料亭や待合の練塀が続く一角。
「朝には帰る。じゃあな」
ひらっと手を振って、少し酔った真撰組の副長は車から離れる。途端に白い練塀の一角がすっと開いて、その腰高の婀娜な後姿を飲み込んだ。夜目で分からなかったが、同じ色の板戸の裏口になっていたらしい。
「……朝まで帰んねーってコトですかい……」
呆然として、山崎は呟く。
やられた。