もともとネコの気質だったから、チヤホヤされんのは正直、悪い気分じゃなかった。

「……かまうな、ビョーキじゃねぇ」

「その顔色ははっきり病気ですぜ。貧血起こしてんでしょーが」

 多分、沖田の言うことが正しい。夜勤明けで昼前に休息所へ帰ってきた沖田を、居候の立場として一応は出迎えようと立ち上がったまま、廊下でへたり込んだ俺を見下ろす、妙に整った顔立ちの若い男が無表情の下で。

「朝メシ食った?」

「おー」

 ウソをつく俺を凄く、心配していることは分かった。

「今日は病院行く日だっけ?」

「いいや」

「なら寝れば。縁に布団敷いてやるから汗流してきなよ」

 確かに朝から体温調節がうまくいかなくて、嫌な感じの冷や汗が肌の上にじんわり沁みて、気持ち悪くはあった。

「……メンドイ」

 俺の答えに沖田が無表情を保ちきれなくて崩れる。昔っから風呂好きで、夏は日に五度も六度も、井戸端で水浴びしていた俺を知っている奴。

 無言で俺を避けて沖田が廊下の奥へ行く。それから風呂で水音。やがて隊服のシャツを腕まくりした姿で。

「ぬる湯溜めて来てやったから、腰湯つかってきな。あんた今、体ン中で水気が澱んでンだよ」

 沖田の指摘は鋭くて、カラダまさしく、そんな感じだった。手足が浮腫んでだるい。梅雨前の急に暑くなった気候に隊長が狂って、夏ばて気味でもあった。食欲がない。

「座り込んでたって治りゃしませんぜ」

 言われてゆっくり立ち上がる。廊下の壁に手をついた俺を見て、沖田が支えたそうに腕を動かす。でもそうされるのを俺が嫌がるって知っているから手を出せず心配そうに見送る。俺はよたよた風呂場へたどり着き、着物を脱ぎ捨てて、浅く溜められた湯を手桶で掬い肩から浴びた。

 浴びると汗が流れて気持ちがいい。少し元気が出て、手ぬぐいに石鹸をつけてあわ立て、背中や足を洗う。ごしごし擦りたてて湯を浴びて、すっきりしたところに。

「浴衣、ここに置いておきやすぜ」

 沖田が脱衣所から声を掛けてくる。あぁ、と答えて、ざぁざぁ湯を被る。すっきりして縁側に行くと、布団どころか蚊帳まで吊られていた。

「……」

 沖田は庭に出て、縁に日よけのルーフを取り付けている。そうして蚊帳の隣には乱雑に切った西瓜と、ビタミン剤と鎮痛剤。

「食って飲んで寝れば」

 体調不良の原因を性格に察している若い男はそう言って、今度は庭に水を撒き始める。

ここは沖田がいつか姉と暮らすために買っていた別宅で、建物は小さいが広い庭に、花をつける木が多く植えられている。生垣には蔓薔薇が赤と白の花を咲かせている。池はないが石畳の周囲には芝生が植え込まれて、その緑が水を与えられ鮮やかに冴えた。

 真撰組は退職した。住み込みが原則の男所帯に復帰する事は到底、ムリだった。現在は週に一度の検診を受けるために江戸に滞在、沖田の休息所に居候している。総合病院が近くて通院に都合がいいからだ。体の弱い姉の為に買った別宅だから、当たり前だった。

「……」

 縁に腰掛け、西瓜に手を伸ばした。女を扱いなれた男は一緒に居ても楽でいいなあと心から思いながら。女兄弟が居ると自然と、女の生理にも詳しくなる。

しゃく、っと、わざと音をたてて噛り付く。背中を向けている沖田に、食べていることがはっきり分かるように。

 西瓜は薄甘く水分が多い。その水気は体に沁みやすく、不愉快な体内の熱を散らして喉の渇きを癒していく。季節的にはまだはしりなのに十分熟れて甘かった。南方で作られ、江戸に運ばれた初物に違いない。けっこうな値段だっただろう。

 昔から西瓜は暑気払いに効くと言われている。利尿作用が強く、血管を拡張させる効果もあって体液の流れをスムーズにする。

「うまい」

「あぁ、そう」

 庭に涼しい風が吹く。芝生にしみた水が蒸発する過程で地面の熱気を奪っていく。さわさわ、頬を撫でていく風に、篭もった体熱も気持ちよく冷めていく。

 大きな西瓜を遠慮なく四個も食べて、その水分で総合ビタミン剤を飲んだ。鎮痛剤は服用しなかった。痛みは殆どない。ただ、血が足りなくて目眩がする。体は疲れているのに寝苦しくて、昨夜も何度も目を覚ました。

 でもなんだか、今は気持ちよく眠れそうな気がして。

「総悟」

「……なに」

「おやすみ」

 言って蚊帳の端を捲る。細かい目の空間は、風は通るが薄暗く涼しくて気持ちがいい。エアコンとは違う自然な、本物の涼しさ。布団も昨夜寝たのとは違う客用の新品で、なんだかひどく気持ちがいい。

 目を閉じる。殆ど即座に、意識を失った。が。

「……おやすみ、なせぇ」

 庭で小さく呟く沖田の声だけは何故かはっきりと聞こえた。

 

 

 途中で一度、厠へ行った他は夢もみずぐっすりと眠って。

「近藤さんから、二度、電話がありましたぜ。どっかメシ食いに行かないか、って」

 起きたのは夕暮れ。真っ赤に染まった空をカラスが鳴きながら山際へ飛んでいく。沖田は着物に着替えて、相変わらずきちんと袴を穿いている。そんなところはガキの頃から折り目正しい、行儀のいいヤツだった。

「なんて返事しましょうか」

「お前いってこい。俺は出前の蕎麦でいい」

「オレも、外行くの面倒くせぇや」

 縁に吊るした蚊帳を畳んでくれながら沖田が何故か嬉しそうに笑う。ぼんやりしていると布団も片付けてくれた。大丈夫か、とかは一言も尋ねられないが、表情を確認するように顔色をちらちら伺われて。

「ナンか、腹減った……」

 心配されていることが分かる。安心しろの代わりにそう呟く。

「好きなモン好きなだけ頼んでいいですぜ。酒も」

「お前そと行くの面倒って言ったな」

「蕎麦屋ぐれぇなら、全然」

 二八の美味い蕎麦を食べさせる店が徒歩二分ほどのごく近所にある。蕎麦の他にもアサリの酒蒸し、筍の煮物、もちろん天ぷら、鴨肉の煮物といった美味い小料理を出す。

「着替えなきゃダメかな」

「別にそのマンマでかまわねぇと思いますが。この時間ならまだ個室あいてるし」

 次々に、望むとおりの言葉を返してくる若い男が、可愛い。

「車呼びますかィ?」

 ごく近い距離なのにそんなことまで言い出されて。

「大丈夫だ」

 立ち上がる。ちょっと足元がフラつくがこれは空腹のせい。身体の重心が定まらない病的な目眩はもう治った。

「……あんた、今日はあんま、茶ぁ飲んじゃいけませんぜ」

 短い距離を並んで歩く。落ち着いた住宅街、車も滅多に通らない路地。それでも沖田は車道側を歩く。

「わかった」

 素直に頷いた。