戦場から戻って、身体の変化が確定的になって、沖田の別宅に世話になりながら病院通いをしていた、時期。

「あんた、イチイチ起きてこなくっていいですぜ」

 家主は優しかった。日勤の仕事が長引いて朝帰りした早朝、まだ夜明け前なのに起きてきた居候に、靴を脱ぎながらそう声をかける。玄関は薄暗い代わりに涼しい。屈む沖田の髪の毛は柔らかそうで艶々で、こんな頼りない光の中でもちゃんと天使の輪が見える。

「俺が帰ってくる物音で目ぇ覚めちまうんなら、こーゆ時間には戻らねぇよーにします」

「寂しい」

 軍靴に準じる制服の靴は脱ぎにくい。美貌の居候は式台に座って紐を解いて脱ぐ若者に近くにしゃがむ。子供の目線に合わせて膝を折る大人のように。

「……」

「何日も誰とも会わねぇと、てめぇのツラでも懐かしいもんだ」

 通院は週に二日。送迎はタクシー。その他は殆ど外出しない。病院が至近なせいで屯所は徒歩二十分ほどの距離がある。散歩にはいい距離だが、しかし。

 顔と名前が、売れている。汚れ仕事をしていたせいで恨みを買うことが多かった。

恨みという鋭い感情は組織というあいまいな対象には馴染みにくい。どうしても個人へ、現実に手を下した顔へと向かっていく。だから組織を抜けた後も復讐を警戒しなければならない。

怪我や病気で除隊して行った一般隊士でさえ、殆どが名前を変えて江戸からは離れた。ましてや幹部、それも鬼と呼ばれた副長の首を狙う攘夷志士たちは多い。個人的な復讐、敵討ちは刑法で禁じられているが、法律の条文は感情を宥めることはできない。殺されてしまえばそれまで。

「毎日昼寝してっからな。目が覚めんのはおめぇのせぇじゃねぇよ」

「……、さいで……」

 寂しい、という言葉を聞くなり目を見開いて、全身で硬直するほどびっくりした若者がようやく声を出す。が、動揺はまだ収まらないらしく靴紐を解く指先が結び目をうまく解けない。式台から体を乗り出すようにして、居候は手を伸ばし、紐を解いてやった。

「……これ」

 差し出されるのはコンビニの袋。

「西瓜と、桃のカンヅメと、あと色々」

「お前こそ俺に気ぃ使うなよ、総悟」

「……別に」

 靴を脱いだ若者は俯き目をそらす。外に出るたびに若者はコンビニの袋を提げて戻る。袋はどんどん大きくなっていく。果物やチーズ、ビールに新作マヨネーズ。たこわさにチーカマ、冷やしうどんに、冷製パスタ。

「メシ食うか?風呂、沸かしてきてやろうか」

「屯所で入ってきたよ。ちょっと食ってちょっと寝るけど、あんた付き合わない?」

「つきあう」

 居候が笑う。袋を受け取ろうとするが家主はさせなかった。そのまま二人で暗い廊下をリビングに歩いていく、途中。

「……小島のおじさんが出てくるって」

 故郷の共通の知人の名前を、若者は口にした。

小島長之助。地方行政の一角を預かる、地元ではかなりの名家の当主で近藤勲の道場の後援者だった。真撰組もと副長の親戚でもある。歳は近藤勲より十歳ばかり年上。

「あんたさぁ、これからのことって考えてんの?」

「あんまり考えてねぇなぁ」

「宮川に聞いたんだけど、あんたのこと女房にくれって話が幾つかあるんだって?」

 宮川、というのは近藤勲の生家の親類の名。江戸で立身出世を果たした勲を頼って故郷の若者たちの多くが上京し、真撰組隊士として勤務している。故郷の情報は色々な筋から聞こえてくる。

「……」

 妊娠促進剤の乱用、環境ホルモンの汚染、そんなことが原因で、性別未分化の胎児は珍しくない。両性具有もさして奇異なことではない。特に故郷にはXXYパターン遺伝子を持つ家系が多く、第二次性徴期が終わって尚、中性的な魅力を纏う人間は珍しくない。

「縁談がイヤになって江戸に出てきたって、マジ?」

 戦場から生還はしたものの体調を崩して故郷に一旦は引っ込んだ。それがまた江戸に出て来てぼんやり暮らしている。故郷は医者が居ないほど田舎でもないのに。

「紋付袴で彦三郎さんちに日に何人も来たんだって?」

 父親代わりの義兄の名前である。

 ただでさえ、もと鬼副長は小町娘の称号を他に渡したことのない美形揃い、端正な輪郭を持って生まれてくる家の出身。本人は父親の顔を知らないが、切れ長の艶な目じりと形のいい鼻梁、冷たく見えるほど整った唇、長身と手足の長さ、という貰うべき長所はきっちり譲り受けた。男の頃から目立つ美形で、女になってからは輪をかけて麗しく、夜明けのキッチンで冷蔵庫からビールを取り出す仕草まで絵になる。

「みんなさぁ、度胸あるよね。あんたみたいな怖いのを嫁さんにしたいなんて。人間ツラじゃねーんだって教えてやりてぇよ。それもと故郷の奴らは江戸でぶいぶい言わせてたアンタを知らないから、かな」

「日野の名主と親戚になりたいだけだろ」

「なるほどね、閨閥か。モテる一族は違うねぇ。……馬鹿なんじゃねぇの、そいつら」

 冷やしうどんを啜りこむ若者が叩く憎まれ口の中身より。

「総悟、くちゃくちゃ」

 茄子とツナの冷製パスタにマヨネーズをぶっかけながらビールをあおる美形は、食事の行儀の方にうるさい。

「……あんたけっこう、いいお家のご出身ですからねぃ……」

 憎まれ口が崩れて、悲しそうな表情。

「会ったときも泥だらけだったけどいい着物きてたし。結婚、すんの?」

「考えてないって言っただろ」

「……俺がしたいって言ったら出て行く?」

「あいたアナ使いてぇのか?てめぇも見境なしの一員かよ」

「セックスじゃなくってケッコン。俺としねぇ?」

「しねぇよ」

「……出て行く?」

「アナ使わせないからって追い出すほど、おまえ了見せまくもないだろう」

「ずっと居ろよ。居てよ。出て行かれんのが怖くて二ヶ月も口説けなかったぐらい肝がちいさくなっちまったよチクショウ」

「総悟。女をツラとカラダで選ぶと後悔するぜ?」

「あんた今すっげぇ自惚れたことユったよ」

 気弱な情けない表情で沖田はそれでも、健気に笑って見せる。

「でも、なんか、そう。姉上が居なくなって以来ですぜ。オンナをキレイって思うの」

 正直なほめられ方に、困った顔をしていた年上の美女も笑う。顔と体はオトコの頃からよかった。細腰のしなやかな肢体は異性にもその気のある同性にもアピールした。

「おねぇさまにならなってやってもいいぜ?ねーちゃんって呼んでみな?」

「それでもいいから、出て行かないでくだせぇ。姉上が居なくなってから俺ぁずーっと一人で……、寂しかったんです」

 真撰組は在る。仲間は居る。けれど肝心なところで一歩、引かれているような隔てられているような感じを持ち続けていた。ずっと前から幼い頃から。

 剣に関しては天才、という呼び名が滑稽でなくハマる才能を持って、周囲とは段違いで、そこで『子供』が遠巻きにされ孤独を覚えてしまったのも仕方がないこと。

「おかしなこと言っちまってすいやせん。部屋に鍵、かけていいから出て行かねぇでくだせぇ。元気になるまでうちに居てくだせぇよ。約束して」

「世話になるさ。もちっと病院、通わなくちゃならねぇしな」

「もちっとって、どれくらい?」

「……さぁ」

「何所が悪ぃの。カラダはもう、生成終わったんでしょ?」

 骨格や筋肉だけではない、内側の変貌も。

「ちょっとな。さて、寝なおすか。おやすみ」

「おやすみなせぇ。俺ぁもちっと飲んでから寝ます」

「深酒するなよ」

 言い残してテーブルの上をざっと片付けて、美女はキッチンから引き上げた。若い男は冷蔵庫の中からビールを取り出す。リビングに移動して呷りながら、壁のカレンダーを眺める。

 ふらふら、具合が悪そうだったのは先月の月末。

 数字を読みながらオンナの体調を測る。一人前の男の心得として二十八日前後の『リズム』の読み方を教えてくれたのは、そういうことに長けていた本人。まさか自分の周期を横目で読まれる日が来るとは思っていなかっただろう。教えられた方も、こんな使い方をする日が来るとは思わなかった。

 まだ少し早い。あと一週間くらい。

 押し倒してカラダから口説くにしても、上げ潮にのらなければ。潮流に逆らって櫓を漕いだところで骨折り損になる。

 安全日にナマでやりたがるほど男として情けないことはない。安全日というのは受胎の可能性がない日で、つまりオンナは発情期ではないのだ。

 艶やかな黒髪と、黒目の澄んだ切れ長の目尻、真っ白な喉、皮膚の下から透明な果汁が滲みそうな腕。ふくらとした胸元。綺麗でキモチよさそうで、セックスに対する欲求が比較的薄い沖田総悟をして尚、舌なめずりさせる香気を湛えている。

 一週間したら、今度は抱きしめてみよう。

 満ち潮が自分に味方してくれれば、潤んで緩むかも、しれない。