昔みた夢・4

 

 

 大佐の旅支度は俺がした。着替えや生活必需品についてはよく知ってるから、簡単だったし、すぐ出来た。ちいさなボストンバックにおさまったそれを、中尉に手渡すと。

「素晴らしいわ」

 珍しく、褒めてもらえた。

「あなたに任せてよかった。大佐ご自身にお願いしていたら、出発の朝になっても、まだパンツを捜しておられたでしょう」

 日常生活能力について、俺たちの上司は評価がマイナスを掘る。率直に言って何も出来ない。でもそれは一面、仕方がないことだ。軍隊は職場であると同時に生活の場所で、偉い人には従卒がつく。そんな生活を続けていれば、旅の支度とか着替えの準備とか、出来なくなってしまうのは当然だ。

「これは」

「なに?」

「中尉に」

「……?」

 差し出した紙袋を受け取って、中身を見るなり中尉はちょっと、困った顔。中に入ってるのは出勤前に買って来た焼き菓子の詰め合わせと、紅茶のボトルと、酒瓶と、ナッツのパック。

「……これをどうしろって言うの?」

「飲み食いしてください、大佐と」

「またムリをして。こんな高いお酒」

「それで酔いつぶれて眠ってくれりゃ安いモンですよ」

「つまり私に援護物資という訳ね」

「よろしくお願いします」

 心から頭を下げた。見張りをよろしく。本当に頼みます。あの人があの男に引き摺られないように見ていて下さい。

 あいつ悪い奴ですよ。俺らのあの人に酔って抱きついて支えさせたんです。服まで、あの人に脱がせてもらってました。靴も。何の躊躇もなしにあの人、あいつを脱がせてたんです。

 俺が見てるのに、ベルトまで抜いてやって。

 襟を緩る、手つきは慣れて優しかった。

 酷い話でしょ?俺にはあんなの、一度もしてくれないのに。別に脱がせてくれなくていい。頭を撫でてくれるだけで、俺はどれだけ幸せか分からないのに。

 ……切ない。

 あの人を好きになって、俺が新しく覚えた言葉。

構ってもらえないと切ない。笑ってもらえないと切ない。こっちを向いてもらえないと切ない。俺のこと愛してくれないと、すごく、切ない。俺の前であいつに優しくしてたのを、見て。

理性が千切れたくらい、切なかった。

 千切れたから、わざと嫌がることをした。泣き出しても止めなかった。うつ伏せにして腰を抱き寄せて、背中からのセックス。腰骨の上の火傷に触れながら、抉るみたいに動かすと、喉から搾り出すような細い悲鳴が漏れた。嗜虐趣味がない男なんか居ないけど俺もご多分に漏れず、逃げようと足掻く人を押さえつけて、おかしいくらい興奮、した。

 そのまんまの姿勢で何回も犯して、もう勘弁してくれって泣き出されてやっと止めた。背中から犯すのは。仰向けにして、脚を開かせて、無防備に俺の目の前に晒される狭間を堪能した。俺のと自分の粘液に塗れた、熟れた赤さがいい景色だった。それだけなら優しく愛せたけど、嫌な色が、赤のすぐ隣にある。

 普段はそんなに色は変わらない。でも興奮させるとよく分かる、傷跡。火傷の跡だ。煙草の痕跡。焼け爛れて癒着した皮膚は再生せず、表皮はいつまでも固い傷跡のまま。つまりココはあいつがこうした時のままなんだ。そう思うと、憎くて。

 爪をたてた。本気で抉り取るつもりだった。止めろって彼が叫ぶたびに興奮した。痛いから止めろって言われていたんだけど、ナンか、違う意味に聞こえて。

 ……大事なものだから触るな、って。

 ……そういう風に、聞こえて。

 怒ってたのが悲鳴になって、切れ切れの泣き声になってようやく、俺は指を離した。浅い呼吸を繰り返す人の、肩を抱きながら、俺は。

 焼きたいと思った。

 表皮じゃなくて彼の内側に、痕をつけてみたかった。それは一瞬の妄想。現実にはできっこない。ぎゅっと抱き締めているのがせいぜい。

 こんなに俺が愛してるのに、なんであんたは、ふらふら揺れるのかな。

 

 

「……、よ」

 中尉の声に現実に戻される。最近ちょっと、俺は白昼夢づいてる。あの人のこと考えると簡単に、意識が浮いてしまうんだ。

「自信が、ないわ」

「そんな気弱なこと言わないで下さいよ」

 一緒に行けない俺は、この人だけが頼りだ。

「負けているのよ、私は最初から。……あなたも」

 そんなことはないと、反論しかけて口を噤む。強気な彼女がらしくない、不安な顔をしていたから。それはほんの一瞬、掠めただけの翳りだったけれど、悲しさが滲むほど深く。

「私たちは中佐ほど、あの人を自分のものとは思えないもの」

 確かにあの男はあの人を、自分の世話をして当然の人間みたいに扱って、振舞っていた。いう事をきく従順な……、なんだろう。

 ペットか妻みたいに?

 自分が飼ってる犬を撫でるように、傲慢に、あの人に触れてた。

「そういう男って嫌なものじゃないんですか?」

「嫌なものよ。でも気持ちは滲んで伝わって、影響されてしまうじゃない。あれだけの男が心の底から思い込んでることは、強いわ」

 中尉の溜息を、俺は笑う気分にはなれなかった。俺も目の前で見たから。あの人が引き摺られて、まったくらしくなく、あの男のネクタイを外してシャツを脱がせてやっている姿を。

「……、それって……」

 俺が詳しいことを聞き出そうとしたのと、中尉が喋りすぎを後悔する気配で唇を噛み締めるのと、

「また何か共謀しているのか、君たちは」

 俺より遅れて出勤してきた人が司令室のドアを開けるのは同時だった。

「そうです。中尉にくれぐれも頼んでました。大佐を見張っててください、って」

「まだ言っているのか。しつこいぞ」

「心配なんです。……ねぇ、大佐」

「ヒューズのことなら、この前は酔っていただけだ。醒めた後には奥方を思い出して、青くなっただろうよ」

「触られたら俺のこと思い出してください」

 ぎゅっと抱き締める。俺たち三人の他に人影はないとはいえ、ここは司令部。厳しい教育的指導を受ける事は覚悟していたが、中尉は何も言わなかった。背後に立って胸に抱きこむみたいに、ぎゅーっとしてると、ちょっとだけ安心できる。大人しく抱き締められてくる人が嬉しいけど、少しだけ悲しい。俺がこの人を実感できるのは、どう足掻いても、身体だけなのだ。

 今だけ、この暖かさだけ、俺のもの。

「俺、泣きますよ、あいつと浮気されたら。あんたの前で半日は泣きつづけますからね。鬱陶しいですよ?」

「耳栓でも用意しておこう」

「私も、泣きます」

 そんな様子は想像も出来ない中尉がそんなことを言い出して、

「君がどうしてそんなにナイーブになっているのか分からないよ」

 やっと大佐は真面目な声を出す。

「あいつは結婚しているんだ。煩いくらいの愛妻家なんだ。出張中だったここと違って、セントラルにはあいつの家と妻と娘が居る。私には見向きもしないさ賭けてもいい。久しぶりに君とセントラルのバーに行くのを楽しみにしているのに、どうしてそんなことばかり言うのかな」

「愛してるから」

 中尉ではなく俺が答えた。彼の背中を抱いたまま。すりっと懐くみたいに頬を、彼のうなじに摺り寄せる。愛情の証明も、俺に出来るのは体だけ、こんなことくらいだけ。

「あなたが中佐を、まだ愛してるから」

 俺が怖くて言えなかった言葉を、強い女は平然と口にする。

「中佐のことを、わたしより愛してるから」

「そんなことはないと、何度言ったら信じてくれるのかな」

 嘆く中尉を俺の腕の中から、抱き締めようと手を伸ばす。腕を緩めて、俺は彼がそうすることは邪魔しなかった。むしろ歓迎。二人で前後から挟んで、あの男とは、触れ合えないように。

「君を愛しているよ。あれとは比べ物にならない」

 台詞には馴れがあった。何度も同じ会話を繰り返したらしい気配が匂う。俺と同じように中尉も、きっと、何度も願ったのか。

 棄てないで、俺をすてないでよ。

 なんでもするから、そばに居らせて。

「……お前もだ。そんなに思いつめるな」

 珍しく、慰めるみたいに、首を後ろに反らして俺に、コツンと頭をぶつけて。

「そんなに心配なら、あいつとは口もきかずに帰って来る。そんな顔を、するな」

 優しく言われて泣き笑い。優しくされるのは嬉しい。でもその、珍しい優しさがやっぱり、何処かで引っかかる。

 いつものあんたじゃ、ない証拠……。

「リザ、君もだ。そんなに不安がらなくても、一緒に行くんだから大丈夫だ。君が守ってくれるだろう?」

 あんたが嫌がるならいくらでも守ってあげる。中尉も、俺も。

 怖いのはあんたがあいつを、まだ愛してること。手を引かれたら、きっとあんたは嫌がらないよ。そんな感じがする。

「みながそろそろ、来るから離すよ。……いいね?」

 予告して、ぎゅっと抱き締めてから、彼は中尉を手放した。俺も一呼吸分、遅れて同じ真似をした。離すと胸元が途端に冷えて、俺を切ない、気持ちにさせる。

 大佐は奥の執務室に入り、俺と中尉は司令部で資料を整理していく。書名が必要なのをトレーに放り込んでいたら、同じことしてる中尉と、指先がふれた。

 固くて白い手を思わず握りこんで。

「いっぱいセックスしてください」

 口から、零れてしまう、本気の本音。

「出張中、ずっと。……お願いします」

 あの人が別の手を取らないように。

 セクハラだとは、中尉は言わなかった。むしろ俺の、指先を握り返して、くれて。

「……あなたの方が、良かったかもしれないわ」

 らしくない弱気が俺の不安を、ますます煽って深刻なものにする。