昔みた夢・7

 

 

 半裸の身体が床に伸びて、苦しそうに目を閉じてる。よく見る光景だった。俺は壊れていた時計のネジを巻いて、机の引き出しに納めてた腕時計の時刻に合わせる。夜明けが近い。

 部屋の中を動いても、床の身体はぴくりとも動かない。目は開いていて、思い出したように瞬き、意識はある様子だったが。

「……」

 それは本当によくみる光景だった。だが初めてだった。さっきまで一緒に床に転がっていた。冷えていく肩を抱きながら。

「起きろ、ロイ」

 シャツに袖を通しながら言葉をかける。声は普通に出た。

「朝だぞ」

 部屋は寒い。起きあがらせて服を着せないと凍える。それからどうしようか。一緒に部屋を出て、そのへんの店で朝食。フィッシュ&チップスのあの店は、もうなくなってしまったが。

「……、ヤロウ……」

「なんだ」

「……ヘタクソ」

「あれだけノリまくってて、それはないだろ」

「ナカで出すなよ……、こっちの身にもなれ……」

「意味が分からん」

「お前とのセックスはうんざりだ……」

 よろよろ起き上がる、身体の動きが緩慢で、関節の軋む音がこっちまで聞こえてきそうだった。肩を竦めながら、でも少し胸が痛む。誰と比べて、俺をつまらないって言ってる。あんなガキと?

 あれはお前のことなんか知らないだろう。いいから起きて、少し話をするぞ。お前と俺の勤務時間前に。

 大事な話だ。これからの俺たちについて。

「さっさと帰れ、奥方のところへ」

 グレイシアのことさえ口にすれば俺の攻撃が緩むと思ってる、お前はあさはかで可愛い。

「お前も、じきだ」

「……、後始末がある。水とタオルくらい持って来い」

「いつまでも独身でふらふら遊んじゃいられないさ。こっちに呼び戻されれば、すぐにでも見合い、結婚。お気に入りの犬だの鷹だのは引き離される。絶対に」

「ヒューズ……。気持ちが悪い、んだ」

「寂しくなったら声かけろ。遊んでやるぜ?」

「愛人になれっていう意味か?」

 即答の声は掠れて、急に起き上がったせいで痛んだのか、生々しくこっちを見た表情はすぐに伏せられて。

 俯いた睫毛の長さ。あぁ、この、角度にはなじみがある。

 一旦部屋を出た。部下に、濡らして絞ったタオルを持って来させる。部屋でやりとりを聞いていたロイは、俺に向かって、それを寄越せと手を出したが。

「掴まってろ」

 屈んで、その手を肩に掛けさせる。びくっと、冷えた肌が硬直する。そんなになにを怖がる。まさか、俺を?

「……、やめ……」

「動くな」

 痛いんだろう、動くな。若いバター犬咥えこんでるにしては、馴染んでなくって、きつい身体だった。キツさが清潔感、みたいな気がする俺は多分、嗜好が少し、かなり歪んでる。だが多分、死ぬまでこのまんま。自覚していて治らない欠点が一番純粋な自己。

「いやだ……ッ」

 抱いてる最中より、もしかしたら真剣な抵抗を押さえつける。開かせた脚の間を拭う。いやだ、いや、いや……、やめろ。そんな言葉がどんどんかわいそうな声になっていくのは、どうしてか。

 俺は知ってる。俺を好きだからだ。昔からお前は上手に、セックスの後のこのての生々しさを俺から隠してた。シーツを肩に掛けて俺から隠れて、後始末する背中を覚えてる。あぁいうことは、嗜みのある良家の子女だってしない。お前がしてたのは俺を好きだったからだ。……だろう?

「……、イ……っ」

 濡れたタオルを当てて、指先をナカに挿して二本、ばらばらに動かして中を探る。濡れた場所からたらって、滴って滲む精液。お前の中に呑み込ませた、俺の。

「う、ぅ……」

 泣いてるのか?震えてる。ショックだったか。でも分かっただろう。俺は本気だ。お前の返事は?

「……、嫌だ……、いや……」

 嘘をつくな。

「お前はもう、奥方のものだ……」

 そうかもしれない。でもお前のものにだってなれる。

「犬より鳥より、俺が役に立つぞ」

 お前を愛してる。

「臣従してやる。それでいいだろう。軍法会議所ごと、俺を配下に置け」

 お前を愛してる。他の男や、女と仲睦まじく、してるのを眺めるのは耐えられない。お前は俺のだ。身体を始末して正面から抱いた。血の気の引いた顔色で、腕の中の相手は信じられない、って表情で俺を見てる。

「乱暴して、すまなかった」

 押さえつけて抱いたことも、その前の、副官の身柄を引き取りに来いと無理矢理、俺の縄張りに引きずり出した、ことも。

「お前も悪い。自分の女を、俺に送り届けろなんて言うからだ」

 途端に頭に血が上った。冗談じゃないと思った。自分でもあの激情は不思議だった。動機はひとつ。俺は彼女を大嫌いなんだよ。

 いつもお前の隣で、お前に優しくされてるから。お前とセックスして、半ば公認の情人。醜聞だが高級軍人と副官の情事はよくあることで、しかも独身同士だから大目に見られていて、そして。

 俺が居るセントラルにまで、公然とついてきた彼女が憎らしかった。東部であの若い金髪の男と、俺を見送った朝の彼女には侮りがあった。あんな女とは離れろ。背中が寒いなら俺が抱いていてやる。中央司令部に来るなら、もうあんな女は必要ないだろう。男も。

 俺が居るんだから。返事は?

「……なにを言っているの分からない」

 チッと心の中で舌打ち。これだから女はろくでもない。こっちがちょっと下手に出るとすぐに付け上がる。しかしまぁ、ここでガツンとやっても拗らすだけだ。うまく機嫌を、掬い上げて。

「職権乱用を、誤魔化そうとしてるようにしか聞こえない。口説いて俺の機嫌をとろうとしてるだろう。……騙されない」

 違う。それは違う。本当に、愛して。

「お前は頭がいよ。その上、嘘に慣れ過ぎてる。咄嗟に気持ちなんか切り替わるんだろう。俺が頷いたら、すぐさま舌を出すさ」

 違う。

「何処にも直訴はしない。貸しにしておいてやるから、俺とリザを、帰せ」

 違う。どうしたら信じる。

「軍法会議所勤務の憲兵なんか信じる馬鹿は居ない。自分の背中も他人だろう、お前には」

 殺そうか、と。一瞬、本気で考えた。

 お前の女を憎んでる。目の前で殺してやりたいくらい。彼女の頭を撃ち抜けば納得するだろう。俺の本気を。

「本気で正気で、嘘をつく男だお前は。俺が知ってるお前の本当のところは、お前が俺を、どれだけ軽く見ているか、だけだ」

 違う。

「違わない。お前の嘘にはうんざりだ。もう帰してくれ。お前が俺のことをナメてるのだけよく分かった。……もとから分かっていたけどな。俺に逆らわれてかっとしただけだろう」

 違う。

「嫌な男だよお前は。結婚してますます嫌な感じになった。自分の女には人権も人格もなくて、踏んでも殴ってもいいと思ってるんだろう。そういうところ、大嫌いだ。もぅ俺とは関係ないけどな。奥方に、少し同情、する」

 違う。グレイシアに手を上げたことは一度もない。

「……ご令嬢だから、な」

 違う。どうしてそんなに、冷たく薄く笑う。嘲笑の裏側が俺に見えないと思ってるのか。泣き出しそうなくせに。

「どう言えば、分かる。俺はもうお前の飼い犬じゃないんだ」

 どうしてそんな風に、お前自身を傷つける言葉を。

「愛し合ってたの忘れたか」

「愛し合ったことなんか一度もなかった。忘れたのは貴様の方だ、ヒューズ。胸に手を当ててよく思い出してみろ」

「俺は愛してた」

「……、そ……」

 何かを、ロイは言おうとして、途中で嫌になったらしい。言いかけた口を噤む。そうして黙って俯いた。本当に、それは馴染みの角度だった。いつもそうやって言葉を、腹に飲み込んでいたのか。

 気付かなかった俺も悪い。でもな。

「責任とれよ、ロイ」

 反応はない。意味が分からないらしい。

「俺が嫌な男だったってんなら、そりゃお前のせいだぜ?」

 かぶりが横にふられる。

「お前のせいだ」

 ふられる。傷ついた。でもくじけなかった。

 男の癖は女がつけるもんだろう?

 セックスの初体験はともかく、お前は俺の最初の女だった。俺が嫌な男なのは、お前が俺を甘やかしたからだ。

 聞く耳をもたずに、俯く肩が寒そうで、抱き締めたのに、少しも安らがない。

 お前の飼い犬ならこんな時、どうやってお前の機嫌をとる?あの金髪とお前との接触を、見たのは本当に短い時間だった。俺からお前を引き剥がして引き摺っていった金髪はあの時、俺の方を向かなかった。強引に扱われてお前がなんだか、嬉しそうだったのは覚えてる。やつはお前より歳も若くて階級もずっと下で、媚びるの甘えるのも、さぞ楽で抵抗がないだろう。

 ……俺は、苦しい。でもな。

「セントラルには連れて来るなよ、あの犬」

 お前が欲しい。どうしても。

「三日と生かしておかないぜ」

 中央司令部は俺の縄張りだ。そこにお前の匂いをつけた、オス犬がうろつくのは我慢できない。

「ホークアイ中尉とも、早々に切れろ。いいな?」

「……どうしてそんなに威嚇的なんだ」

 静かなまま顔を上げて、悲しそうなままで俺にそう、尋ねるお前を、愛してるからだ。

「何年も忘れてたくせに今更、突然、セックスしたからって、いきなり、どうして」

 忘れたことなんか、一瞬もなかったからに決まってる。

「いうこときけよ。優しくしてやるから」

 愛人してやる。それで我慢、してやるよ。だから。

「どこまで、お前……、傲慢……」

 糾弾より嘆きの響きが強い、言葉が胸の中に、こぼれる。