鳴かない鳥

 

 

 

 

 嵐の夜だった。かなりの深夜だった。官舎、と呼ぶのが不似合いな郊外の、かなり豪華な一戸建ての家に、東方司令部からセントラルヘ転属になった大佐は住んでいた。

 従僕や護衛はつけられていない。そういうものを疎ましがるタイプだったからだ。単身の上に、国家錬金術師でもある彼は自身で、錬金術のトラップを官舎に張っていて、それを護衛の代わりにしていた。実際、焔の錬金術師ロイ・マスタングの家を空き巣に狙おうというような命知らずは、世間には居なかった。

 その日は勤務を終えて、帰宅の途中で食事を済ませて、大佐は溜まった資料を読んでいた。ここ暫く身辺がごたごたしていたせいで、錬金術関係の本や研究所が未読のまま積み上がっている。明日は公休で、東方と違って中央司令部では休日に呼び出されることが少ないため、大佐はゆっくり、今夜を読書で過ごす心積もりだった。

 軽いつまみのカンヅメを開けて、冷蔵庫からビールの瓶を取り出して、風呂上り、パジャマ姿でカウチに寝そべった、安楽の時間は、しかし。

「……?」

 長くは続かなかった。何度も繰り返し、押される玄関の呼び鈴。

「誰だ?」

 こんな夜中に、町内の寄付を熱めに来るはずもなくて、かなり無造作な口調でもって、内線で問い掛けると。

『……俺です』

 搾り出すような声が帰って来る。大佐は少し眉を寄せたが、パジャマのままで玄関には向かった。ムダに広い玄関は暗く、強い風の音だけが外から響いて、そこに篭っていた。

「なんの用事かね、ジャン・ハボック少尉」

 公務でないことは分かっていた。病気欠勤が数日間、続いていた部下だ。服装はジーンズにTシャツ、その上に薄いジャケットを羽織って。

『大佐に、会いたくて』

 来ました。そんなことを言う声は震えている。嵐の雨風にか、それとも。

『開けて、入れてください』

 拒まれることを予想して、か。

「お前、なに物騒なものを懐に入れてる」

 玄関わきの覗き窓から、鏡を使って来訪者とその背後を、確認した大佐は眉を寄せる。ヤワな見目でも錬金術師でも、従軍経験豊富な軍人の目は鋭い。こんな深夜の来訪者が銃を携帯しているのに気付いて、扉を開ける馬鹿は居ない。

「これ私物です。こっち来てから買いました」

 見られていることを承知で、若い男が懐から取り出したのは、ごついリボルバー。官給品とは違う、鋼鉄の重厚な艶が、暗い夜中でも玄関の明りを弾いて一瞬だけ光った。

「夜でも昼でも、職務時間外でも、あんたを護れるようにって、思って」

「……ハボック」

「弾ははいってません」

 蜂の巣状のシリンダーを、ガチリと音たてて、男は鏡ごしに見せた。確かにそこには、何もはいっていなかった。

「ロシアンルーレットって無理ですよね。弾がどこ入ってるか、これじゃ、見える」

 横からみれば、蜂の巣の何処に弾が入って塞がっているか、確かに見えてしまう。そんなことを話しながら、男はポケットからちぃさな何かを取り出した。四十四口径に相応しい、ごつい弾丸。

「ハボック。君は自分がなにをしようとしているか分かっているか」

「……あんたを愛してます」

「深夜、上司の自宅に押しかけた挙句、武器を見せて脅迫しているんだぞ」

「諦められないんです。……どうしても」

 弾丸が銃創に押し込まれる。そうして男の指先は丸い弾を一つ、押し込んでシリンダーに指をあて、廻す。

「弾がドコだか、そっちから見えますか?」

「暗くて、よく分からない」

「俺も見えてません」

 当たり前だった。

 胸元で廻して、銃口は顎の下。自分の顎の、下。

 そこから上向けて撃ちぬくのが、一番確実な自銃のやり方。

 頭蓋骨は案外と固くて、弾がずれてしまうことも、多い。

「家に入れてください」

「……脅迫か?」

「あんたと別れるくらいなら、死んだ方がマシだ」

 ダブルアクションのリボルバーだ。まずは親指で撃鉄を起こす。その音が威嚇になることから、弾数の少なさと連射できないにも関わらず、捜査官の装備に使われることも多い銃。

「君は酔っているか、それとも腹でも減っているのか」

「酒は飲んでません。メシも食ってません」

「そんな顔をしてる。空腹は判断力をマヒさせるぞ」

「眠れても、いません」

「病気で寝込んでいたのではなかったかね」

「なかに入れてください」

「忘れてやるから、もう帰りたまえ」

「入れて。ホントに、俺あんたを好きです」

「君には将来がある。こんな真似で、それを潰してはいけない」

「俺棄てるなら、殺してくださいよ。それくらいの慈悲はくれてもいい筈だ」

「ハボ……ッ」

 大佐の言葉は、続かなかった。

 引き金にかかった男の手指が、かちりとそれを、引いたから。

 声にならない悲鳴はどちらのものだったか。

 重なって、軽い金属音。それだけ。

 空砲だった、らしい。

 6分の一の幸運。

「……分かった?」

 男の顔色が青い。カタカタ、指先が緊張して震えている。脅しでも冗談でも、もちろん、狂言でもないことは男自身の、怯え方でよく分かった。

「死にたくないですよ、俺もまだ。でも脅しじゃない。あんたにさわれなくなるくらいなら、におい覚えてるいま、死んだ方がマシ」

 震えながら、瞳にうっすら、透明な膜が浮かぶ。

「……愛してます」

「やめたまえ……、止めろッ」

 男が撃鉄をもう一度起こし、二度目の引き金を引く前に扉は開かれた。ざっと外から、夜が流れ込む。暗闇を伴う風と雨の音、空気に重く含まれた水気、吹き込んできた突風に巻かれる勢いで、気付いた時にはずぶ濡れの男の腕の中、床に押しせられていた。

「……、大佐」

 そっと優しく、寄せられる頬。

「大佐、たいさ……、俺別れたくないよ……」

 見栄も体裁もなく、涙ながらの哀願。

 この玄関でバスローブ姿の恋人から、もうここへ来るなと宣告されたのは一週間前。玄関の奥には人の気配があって、濡れ髪の恋人はあきらかに事後の倦怠で、つまり浮気現場を押さえられた相手が開き直って別れ話を、切り出したのだということはわかった。

 咄嗟になにを喚いたかは覚えていない。気がつけば夜道を駆けていた。手には差し入れの酒と肴の入った袋を持ったままで、それを道端に棄てて、それから。

「一週間、地獄みたいでした。苦しみました。あんたを悪く思ったり、でもどうしても好きだと思ったり。商売女買って忘れようともしました。でも、無理でした」

 どうしてもこの人がいい。コケにされても浮気されても、この人じゃないと駄目だ。

「……扉を閉めてくれ」

「あの時、居たの、誰ですか?男?女?俺が知ってる奴?」

「鳥を鳥篭から出してる。扉を閉めてくれ」

「俺よりそいつのこと好きになったの?そいつ俺よりあんたの役に立つの?でも絶対、ぜったい、俺の方があんたのこと好きだよ」

「扉を……」

「……はい」

 従順に男は立ち上がり、開かれたままの玄関の扉を閉じる。大きな両開きのドアが隙間なく閉じられると、途端に雨の音が阻まれて、密室の気配が濃くなった。

「……」

 扉を後手に閉めたまま、若い男は立ち尽くして、俯く。

「大佐、おれ……、俺ね……」

「服を着替えたまえ。そのままでは風邪をひく」

「俺ね……、あんたに、棄てられたら……、ホントに……」

 生きていけない。それを思い知った七日間。

「何でもいうこと、きくから。別のがどうしても、いいなら……、合間にちょっと、撫でてくれるだけでも……、いいから……」

 大佐が少し、意外な顔をした。見かけによらず骨の硬いこの男の口から、そんな譲歩が出るとは思わなかった。

「お前の着替えはまだ置いてある。バスを使って来い」

「……その前に、返事きかせてくださいよ」

 顔を上げた男は、間近でみると本当にやつれていた。人相が変わっている。目の下に隈が濃く、頬は窪んで、頚骨が目立つ。

「俺を殺すか、生かしといてくれるか」

「売春した」

 言い捨てて、大佐は一旦、奥へ引っ込んだ。いすぐに出て来た手には大きな、バスタオル。奥からは水音。バスタブに、湯をためているのだろう。

「……え?」

 濡れた髪を拭いてもらいながら、男は意味が分からずに問い返す。間近で目が合った人の表情は優しい。一見は淡白で冷たい感じだけど、本当はひどく、感受性が高くて優しい人だと、男は知っていた。

「……、なに?」

「欲しいものがあった。どうしても欲しかった。なんでもすると言ったら、セックスしたらくれるって言われたんだ」

「……、なにを?」

「少し驚いた。俺の身体にそんな価値があるとは思わなかったから。でも向こうが、それでいいと言ったからそうした。欲しかったものは手に入れた。お前には、悪いと思ってる」

「……あの日?」

「ちょうどいい機会だ。お前も俺からは離れろ。お前には将来がある。これ以上、俺に巻き込まれることはない」

「なに寝言いってんの」

「俺はそういう人間だ。お前には、もともと何もかも不似合いだ」

「人生ぐらい、あげますよ」

「今は腹が減っているから、お前はそんなことを言うんだよ」

「信じてくれないの?」

「ほら。風呂に行くぞ」

 靴を脱げ、と、大佐は若い男を促す。男は音がしそうなくらい、ぎっと歯を食いしばって。

「誰?」

 恋人が身体を売った、相手のことを、尋ねた。

「言えない」

「何回、させたの?」

「三回目、くらいは覚えてる」

「なにが欲しかったの。……俺じゃいけなかったの?」

「お前じゃ駄目だったんだよ」

「……」

 怒りではなくて哀しみで、若い男は俯き唇を噛む。

「すまない」

「……酷いよ……」

「すまなかった」

「……でも好き……。ごめんなさい……」

「ん?」

「いま、ちょっと安心しました。ごめんなさい。……売春なら、愛情じやないですよね。……俺に帰って来てくれる?」

「手放してやるから外にお行き」

「あんたのそばが好き」

 言いながら手を伸ばす。暖かな頬に触れる。自然に笑みがこぼた。この人を、好きだ。困った顔をして、でもふりほどかない、曖昧な優しさもずるさも、何もかも。

「……ハボック」

「棄てるなら、殺して」

「お前は、若い。まだこれからだ」

「あんたと幾つも違わないよ?」

「俺の事は、忘れてやりなおせ」

「何度でも言うよ。棄てるなら殺して」

 床に落ちたリボルバーを、若い男は拾い上げる。シリンダーを覗いて銃弾のある穴を銃身の正位置に据えて。

「……はい」

 手を添えて、黒髪の恋人に、握らせて。

「いつでも撃っていいよ」

 引き寄せ、抱き締め唇を、重ねた。