第一章・軟禁
軟禁されているらしい。
と、いうことに本人が気づいたのは随分たってからだった。
意識を取り戻してからずっと、確かに主人は不機嫌だったがいつものことだったし、ろくに口を利いてくれないことも時々あったから気にしていなかった。いや、気にはなっていたのだがしつこく問いつめる習慣がないまま、命じられるまま諾々と、主人の寝室で主人の肉体に仕えてかなりの時間を過ごした。
そういえば妙なことはあった。抵抗しないのかと尋ねられた。とりたてて特殊なプレイではないごく普通のセックスの最中に。しなければならない理由は思いつかず、プレイしてぇのかと尋ねたら殴られた。いてぇと文句を言ったらもうイッパツ喰らった。シーツに撃沈して頭を抑えていたら、覆いかぶさって身体を繋げられながら、バカ、と。
罵られた。腹は立たなかった。自分でも分かっていた。知能はともかく思考も判断も全部をボスに丸投げている現状をそう罵られても仕方がないことは。
プライドがねぇのかてめぇには、と。
問われて答える。あるぜぇ、と。惚れた男をアタマに選んだのが一番の自尊心。オマエが俺の自慢で自尊心だ、と。
質問されたから正直に答えたのにまた殴られた。さすがに文句を言おうと口を開いたけれど、その口をそのまま閉じてしまったのは、男がやけに傷ついた表情をしていたから。何か悪いことを言ってしまっただろうか?
男の首に腕を廻す。ごめん、と耳元で謝る。ごめん、ごめんな。俺が悪かったから、もう二度と言わないからそんな顔をしないでくれ。ごめん。
「……ナンか思い出したか?」
問われる。首を横に振る。それもあわせて、ごめん。
この部屋で、自分の主人の寝室で意識を取り戻したとき、記憶の欠損があることにはすぐに気づいた。首輪をされて手錠を掛けられる理由が分からなかったから。手間かけさせやがってと凄まれ、二度と俺から逃げられると思うなと脅され、ナニがなんだか、訳がわからなかったから。
何一つ教えてはもらえないまま、自分が何やらドジを踏んで逃げ出して連れ戻されたらしいことは何となく分かってきた。それで主人がひどく怒っているのだということも。ごめんな、と、銀色は詫びる。そのたびに主人は思い出したのかと尋ねる。違う、と、銀色は答える。
ごめん、違う。でも、ごめん。
「わけわかんねぇのに謝んのか?」
うん。
「どうして」
オマエが怒っているから。違う、俺が悪いから。お前はすぐカッとするけど筋が通らないことでは怒らない。だから、怒られるだけの悪いことを俺がしたんだろう。ごめん。
「掴まって謝るぐらいの性根なら逃げるな」
……。
その時のことを覚えていないから何も言えなかった。身体を緩めて男を迎え入れる。怒っている様子に似合わず抱き方は優しくて気持ちがいい。いつもそれに違和感を覚える。本当に怒っている時の男はもっと乱暴で粗野で、メスの役割を務める自分が怯えてしまうくらい威圧的だった。
今は違う。男の指は丁寧で腕には愛情がある。自惚れではなく、事実として、ある。伊達に出会って二十年近くも、間に空白を挟みつつ、抱き合ってきた訳ではない。
「……なぁ」
貫かれる寸前、額の生え際に唇を落とされて、男が愛しくて泣き出しそうになった。
「なにしたんだ、俺」
知りたいと思うのは自分の為ではない。ちゃんと詫びたいのに思い出せないのが歯がゆい。
「うるせぇ」
男は答えてくれなかった。でも返事をしてくれただけで掃討に優しい。膝を開いて被さってくる男の背に腕を廻す。それを支えにして、カラダの内側を大蛇に食い荒らされる衝撃に耐える。アツイ。昨夜もしたのに、毎晩抱き合っているのに、こんなに熱いのは、自分が相当に意地を張って飢えさせていたんだなぁと、思うと涙が出た。
「……?」
馴染んだ洞に身を納めた大蛇の持ち主が眉を寄せる。痛いのか、と、尋ねられた気がして銀色は頭を左右に、かすかに振ってみせる。ジンジンするけれど痛くはない。ただ犯されることはそれでも苦しい。浅い呼吸を繰り返しながらムリをして笑った。無理がばれたらしくて男が眉をかすかに寄せる。
何もかも伝わる。嘘をついてもバレる。本当に平気だと伝えたくて目の前の黒髪を撫でた。オマエに抱いてもらえることは幸福だよ、と、分かってほしくて、何度も繰り返し。
「……、くぞ」
「うん」
予告される。覚悟する。揺らされる最初はそれでもカラダが跳ねてしまう。本当はまだ早い。昂ぶりきっていないのにメスにされるのは少し辛い。でも男にあわせてカラダを捩った。怒っているといいながらどこか不安そうな男に他に、出来ることがなかった。……ごめん。
なぁザンザス、オマエを愛してる。でも何にも出来なくてごめん。ガキの頃からオマエを大好きでそばに居ることを許されて幸せだった。でもオマエはどうだっただろう。俺が纏わり付いてるせいで幸福を掴みそこねているんじゃないだろうか。最近そんなことを考える。歳をとったから、かな。
俺さえ居なきゃオマエはもっと、マトモで幸せだったかもしれない。なぁ、今からでも全然遅くねぇから妻を娶って、子供を作ってみろよ。オマエを愛してるからよぉ、オマエの遺伝子が残ってかねぇのはなんか、寂しい。
そんなことを考えながら抱かれていたせいか。
「……、ガキ、ほしぃ」
馬鹿なことを口走ってしまう。
「あぁ?」
前後運動を繰り返しながら気持ちよさそうに胴震いした男に見下ろされる。あいまいに、機嫌をとるみたいに笑いながら、啼きそうなツラになってない自信はなかった。そうしてなんとなく、自分の動機を理解する。オマエから逃げたって、言われて訳が分からなかった、有り得ねぇって思った、けど。
なぁ、オマエが結婚するんなら俺は出て行くぜ。俺が居たらオマエの妻は嫌がるだろう。……したのか?
「いい気分なのに殴らせんじゃねぇ」
真っ最中はさすがに殴られない。カラダの中にこいつの一番、強いけど弱いとこを含んで人質にしてる。殴って俺が吹っ飛んだら自分まで痛い。ガキを孕んだ女の気持ちに近いかもしれねぇな、こういうの。
「アタマ使うんじゃねぇ、バカのくせに」
……うん。
そのつもりだった。ずっとそうしてきた。オマエに何もかも委ねて生きてきた。けどよ、このまま俺を一生、背負わせんのはあんまりじゃねぇのかって、時々思うようになった。いくらオマエが頑丈な男でも、重すぎるんじゃねぇかって。
「まだ足りねぇのか?」
な、にが。コレ、ならすっげぇ満腹で、苦しいぐ、らい。あつくってカタくって、時々デカ過ぎて辛かったりするけど、不満は、それこそ一回も、思ったことが、ない。
「バカ。んなこたぁ、テメェに言われなくたって分かってる」
だよなぁ、そうだなぁ。海千山千の玄人でもオマエにはうっとりだ。逞しくて気まぐれに優しい。オマエと何年も繰り返し寝てきて、俺は物凄く幸せだマジに。
「……どうだか……」
男の顔が近づく。唇が重なる。優しい口の塞ぎ方に感謝して目を閉じる。興を削いだ詫びに唇を吸い返すと男は機嫌を直したらしい。喉奥で少し笑って、腰に腕が廻る。
硬い腕にだき抱えられるとそこはもう意思の支配下を離れる。男に合わせて勝手に蠢きだす。奥のイイ、ところを繰り返し、突き上げられて、加減がきかなくなる。
なぁ、ポス。
オマエを愛してる。逃げた理由を覚えてないけど裏切ったんじゃない。ないと思う。だってまだ愛してる。熱に貫かれて嬉しい。十何年もセックスしてきたけど、オマエに欲しがられるとすげぇ嬉しい、気持ちはまだ跳ねてる。惚れてんだよ、ガキの頃から、俺はオマエにべったり。
「あ……」
熱に灼かれる。あちぃ。けど幸せ。こんなに幸福な瞬間はない。腹の中にオマエの命が撒かれる。でもどうにもしてやれない。それが情けなくて悲しくて、泣けてくるほどひどく不幸せだ。
「バカか、てめぇは」
バカだぜ。知ってるくせに知らなかったフリすんな。
「ガキなんざ要らねぇ。俺の血がどうしたってんだ。知っているだろうがてめぇ」
何を。オマエがボンゴレの血をひいてないことか?知っているけど、それがどうしたってんだ。そんな話をしているんじゃねぇよ。オマエみたいな強くていい男の、遺伝子がこの世に残んないなんてリアエネェ。寂しい。
「路地に転がってたのがそのまま消えていくだけだ。俺は俺のガキなんざ欲しくねぇ。考えただけでぞっとする」
俺は、欲しい。
「孕めもしねぇクセにうるせぇ。外で他所の女と作って来いって言ってんのか。作ってもって帰ってきたら責任もってデカクなるまでてめぇが育てるか?」
オマエなに、言ってんだ。そんなこと出来ねぇよ。ガキはちゃんと結婚した両親に愛された家の中で育ててやるもんだろ。
「アナクロいこと言いやがる」
ふん、と笑われる。それで終わる。結婚というものをする気がないことは以前から公言されていた。ボンゴレリングに拒まれてしたたかに傷ついたこの男は、ボンゴレの血に憧れて嫁いでくる花嫁を迎えるつもりはないらしい。その気持ちは分からないでもない。嘘をうそで塗り固めても虚しいだけ。その虚しさを誰よりも知っている男だ。
「ちから、ぬけ」
囁かれ細く息を吐く。ずるりと、力を失っても尚、逞しい大蛇が離れていく。ひとつだったのが別れて切なくて、名残惜しさに目の前の肩に額を押し付ける。甘ったれた仕草だったが咎められず、咎めるどころか、優しく撫でてくれた。
その優しさに縋るように。
「なぁ。トレーニングルームまで、出入りさせてくれよ」
甘えた願いを、告げてみる。
「ダメだ」
「意地悪言うなって、なぁ。こんなんじゃカラダなまっちまう」
オトコの部屋に、というよりもベッドの中に、こうやって閉じ込められるのは初めてじゃない。この男の飲酒のことで揉めて殴られて逃げて連れ戻されては暫くの時間、腕の中に抱き込まれて過ごした。そういう時間は苦いのに甘ったるくて、解放されたあとも心身とも戻るのに苦労した。
「任務に復帰するとき苦労するんだよ」
「復帰?」
男が鼻で笑う。小馬鹿にした表情は憎らしいけれど悪くない。意地悪な男のことを、けっこう好きだった。
「させねぇから、安心しろ」
「今日明日じゃなくっていい、さきの話だぁ」
「俺を裏切ったヤツの復帰なんぞ認めるか」
「裏切ったって、信じらんねーけど、まーオマエがそー言うんなら裏切ったんだろうけどよ、覚えてねぇし、あれだろ?仕事関係じゃないだろ?」
裏切って逃げて連れ戻された現状は認識した。何を裏切ったかは忘れてしまったけれど仕事上のことならこんなヤワな処罰のはずがない。こいつとの情交で揉めたに決まってる。逃げたって言うか、オマエと喧嘩して負かされて泣きながら家出した程度なんじゃねぇか?
「ねぇよ。オマエは逃げた。本気で行方を眩まそうとした。俺から、離れて」
男の人相が悪くなる。そうなのかなぁと、俺は考え込む。こんなに可愛い男を棄てて俺は何処に行こうとしたんだろう。強壮でわがままで身勝手で、頑固で融通がきかない男だから、俺が居ないと不自由だってことは知っているのに。
「でも情状酌量の余地はありなんだろぉ?」
「ねぇ」
「ホントにねぇなら、オレがいま息してる筈がねぇ」
「てめぇのカラダに未練があるだけだ。飽きたら始末してやるから安心しろ」
「セックスしたくて処罰かえるガラじゃねぇだろうオマエ」
「オレをどういうガラだと思ってたんだ?」
尋ねられる。口を噤む。怖い声だった。
「言ってみろ、カスザメ」
「イロの一人や二人、どーってことねぇオトコだろ?」
「情婦のつもりなのか?」
正面きって、尋ねられ。
「勘違いしてたこともあっけどよ……」
正直なことを言う、このオトコの、妻とは言わないけれど半分、分身、そんな錯覚を抱いていたことも確かにある。
「今はそう思っていないのか」
「どう、した、んだ?」
「何が」
「なにがって、おかしいじゃねぇか。オマエがそういうこと言い出すなんざ」
おかしい。これはモノゴトをしつこく言葉で聞きたがる性質の男ではなかった。頭が良くて、要点を勘でパッパッと悟っていくような男。服従されることに慣れていて、相手に気持ちや意思があるということさえ分かっているのかいないのか。それでもいいと思ってついてきたのに、それを自分から聞きたがるなんて。
「……」
「いや、別に黙れって言ってんじゃねぇけど」
「……」
「ちょ、おい、ザンザス」
「……」
男が口を閉じる。腕を廻してくる。毛布が引き上げられる。夜着どころか下着も身につけないまま、裸で抱きしめられて眠りにつくのはここ暫くの習慣。
神経質で気難しいところがあるこの男は、娼婦は終われば寝室から追い出す。長い関係の自分のことは、崩れ落ちれば隣で眠らせてくれていたが、素肌でということはなかった。いったいどうしたんだろう。