今度のは上物だから少し丁寧に扱え。

 執事を通してそんな指示があった。指図されるのは大嫌いだったから逆の真似をした。確かに別嬪で、今までのに比べると歳をとってそうなぶん味がよくて、肌と抱き心地は抜群によかった。張り込んだな、と、抱くたびに思った。

 今まで親父から俺に与えられた『碑女』は十人近い。近いと思う。イチイチ覚えてない。

 

 

 

 

 

「勉強は、した方がいいんじゃないか」

 ぽつり、そんなことを言われて。

「あン?」

 なに言い出すんだこいつ、と、睨んでやった。使用人どころか大抵の連中がびびって怯む目つきで。

 

 

 

 

「読め」

 教本を放り投げる。

 

 

 

 

 

「今度の碑女はどうだ。優しくしてくれているか」

「……あ?」

「父上のお供をして俺が選んだ。伊崎の若者の好みが分からないと嘆かれていたから。もっとも俺にも貴様の好みなぞは分からんので……」

 亡くなった母上に一番似ているのを選んだ。

「あれって、どういうのなんだ?」

「碑女だ」

「代々じゃねぇだろ」

 外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは、売却・私刑、強姦はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。局部に石や棒切れをさしこまれているのは、いうまでもなく主人の玩具になった末に奥方に殺された不幸な運命の主人公であった。

「詳しいことは知らん」

「知らなくて俺に出したのかよ。無責任じゃねぇか」

「子を産ませるための側女ならともかく、体液処理のための碑女を選ぶのに身の上を調べることはせん」

「……」

 高杉は少し嫌な顔をする。

「が、あんなクラスの上物が一本売りで市場に出るパターンは一つしかない。良家の奥方が高家の側室が主人に捨てられて叩き売られたのだろう」

「……主人?居たのか」

「本人に尋ねろ。俺が言っているのは一般論だ」

「ああいう女、捨てれる男が居るのか」

「間男でもされたら頭に血も上るだろう。姦夫姦婦は重ねて四つにする決まりだが、命だけでも助かったのは慈悲か、それとも本人に責任のない無体だったのか」

「えらくすらすら、予想が出て来るな」

「と、市場の牛頭が言っていた」

「ふぅん……」

 

 

 

 

 

 

「オマエ、主人、居たのか?」

 女の背中を撫でながら尋ねる。返事はない。

「居たんだよな。そーいや俺に言ったな。『今はお前が主人だから』って。つまり、俺の前には、別のが主人だったんだ」

 夫と主君、どちらの意味かは分からないが、まあ女の場合はどっちでもされることは一緒。

「何所のヤツだ。藩内か?」

 俺がさっきまでしていたのと同じこと。

「それとも、外か。前の主人の名前なんてぇんだ?」

「……そんなこと聞いてどうする」

「俺から頼んで、三行半、貰ってきてやる」

 離婚の時に男が女に渡す縁切り状。主人の恣意によって書かれる紙切れ一枚で女は男の家を出て行かなければならない。それは男の一方的な支配権の象徴だが、同時に女を自由にしてやる所有権の放棄、言葉を換えれば、女の持ち主を女自身またはその実家へ戻す手続きでもあった。

 だから三行半を書いて渡される離縁は戦争で言えば和議。所有権を女自身へ戻さず余所へ売り飛ばされる事は、無条件降伏の果てに植民地として占領される蹂躙。

「なんでそんなこと」

「戻ったら、アレだ、色々、ちゃんとできるだろ。……正妻はムリかもしねぇけどな」

「は?」

「俺がおっ死んでも側室にしてりゃ、ガキ居なくってもちっとは遺産の分与もあるしよ」

「なんの話だ」

「お前の身の上の話。戦争ハジマリそうだから」

「……行くのか?」

「行かない訳にもいかねぇさ。俺ぁ幹部候補だ」

 家柄でいえば金箔付の、時代の政権を担う立場。当然のことながら要求される能力も果たさなければならない義務も桁違いで、戦争になれば真っ先に前線に立たなければならない。

「別にそれはどーでもいいんだけどよ。俺が死んだら、お前どうなんのかな、って」

 考えてしまったら真っ白になった。俺の父親は俺には優しい。自分の失脚中、俺の母親に苦労かけ続けて、挙句に病気で死なせちまった負い目があるからだろう。遺書や遺言を残しておけばこの女に少しは親切にしてくれるだろうか、と考えて、それがかえってヤバイことに気づく。

死んだ後より、生還した時がヤバイ。結婚前の跡取り息子が奴隷女にそこまで入れ揚げてることを知ったら、フツーの親は奴隷を始末しようとする。俺はだから人前じゃコレに、必要以上に優しくはしてない。いや可愛がってはいるが、あくまでもペットの犬猫を撫でるみたいに。

人間を愛してる素振りは見せないように気をつけてる。

「桂に預けて行くかな。あいつ当主だし」

 あいつは若いが家督を継いでいる。俺は一人息子とはいえまだ部屋住みで、家長という権威には逆らえない。

「どうして?」

「なにが」

「金がかかる側室より碑女の方が都合いいんじゃないのか?」

「ナンの都合だよ」

「だから、男の」

「粘膜だけのセックスは男だってつまんねぇんだぜ」

 女の白い肩を抱きながら、耳元に囁く。

「お前の前が何人も一ヶ月も続かなかった、理由はソレだ」

 腹が減りゃ不味いメシでも喰うが、満腹になった後でその不味さを思い出してゾッとする。俺にとってセックスはそういうものだった。これを気に入るまでは。

「歳幾つなんだ、お前」

「……」

「三十ぐらいか?」

「……」

「二十五?」

「……」

「四、三……?四か」

「エスパーかよ」

「よく言われる。俺は顔みてりゃだいたい、相手が考えてること分かるンだよ」

 桂にも時々呆れられるが、問いかけながら表情を見ていれば知りたいことの答えは分かる。これも一つの才能だろう。

「長生き、しろよ」

「……は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 保釈のお迎えは探しに行こうと思っていた人で、あぁだから放してもらえんのかと納得した。確かにこの人が帰って来たんなら、もう脱走の必要はない。

「腕が良くってよかったな。平隊士降格で許してくれるそうだぞ。もっとも、てめぇと雑居の一般隊士たちは気の毒だが」

 口調は相変わらず。でもちょっと痩せた。留置所の廊下を歩く足取りを不自然に緩めると立ち止まって、心配そうに俺を見るから俺の足まで止まる。

「怪我しているのか?」

「手」

「足じゃなくて?」

「繋いで、引っ張ってくだせぇ」

「おい」

「動けない」

「置いていくぞ」

「また?」

 

 

 

「俺が花盛りだからだ」

 しらっと自分で言う女は、けれど自惚れもむべなるかな、という風情。

「あんたを愛してるからだよ」

「あと十年もして目尻に皺でも出来てくりゃ、お前も俺なんかに目もくれなくなるだろうよ」

「十年して告白したら信じてくれる?」

「意地っぱりだなって思うとおもう。生きてたら」

「死ぬ予定なんかあるの?」

「この美貌の」

 自分で言うなよ、というツッコミをする気力さえ削がれるほど端正な横顔を、若者はだまって眺めている。

「神通力がなくなりゃ殺されるだろうさ」

「誰に」

「俺に腹をたててる誰かに」

「返り討ちにしてやるよ、俺が、全部」

「じゃあお前に」

「殺しゃしねぇよ。あんたって何で、いっつも、男にひどい目に合うって前提で居るの」

「ひどいことしたくってたまらないから、俺が」

「オトコに?」

「だから男も、俺をひどくしたいだろう」

「全然」

「飲みに行かないか総悟。手柄話を自慢させてくれ。誰も聞いてくれないんだ」

「俺も聞きたくないなぁ。あんたのご希望なら聞いていいけど、途中で辛くて泣いても、うざがんねぇでくだせぇよ」

「泣かれると面倒だからいい」

「うん」

 建物の外に出る。夕日で世界は真っ赤に染まっていた。いつもの習慣で運転席に座ろうとしたが、免許不携帯だろうと諭されてしまう。その通りだった。

 車は見た事がない、銀色の新車で。

「なに、これ。買ったの?」

「金時のだ……、って、おいッ」

 ばたん、と助手席のドアを開けて車から飛び出した俺を、土方さんが慌てて追いかけてくる。構わずにずんずん歩いていく。拗ねた子供みたいだとは自分でも思ったけど。

「総悟、待て、悪かった。ごめんって。お前が留置されてるって聞いて心配で、迎えに来ようとしたら車使っていいよって言われてつい、借りちまっただけで他意は……、総悟ッ」

 裏路地に踏み込む。無警戒に追って来る。振り向く。ほっとした表情の女の腕を掴む。引き寄せる。抱きしめる。顔を近づける。キスを、した。

 女は逆らわない。むしろほっとした様子。ナニをされたって抵抗しないんだこの人は。

「なんで、ホストなんか買うの」

 唇をそっと外して問いかける。

「セックスするのキライなくせに、なんで?」

「誰も話を聞いてくれないから」

 あっさり答えられてしまう。どうしよう。

「結婚、して」

 縋りつきながら願った。

「俺の女になって。俺に大事に、させてよ」

「馬鹿言うな。お前の嫁さんは試衛館の五代目を産むんだ」

「いらねぇよそんなの」

「養子のくせして何をぬかす。家門の維持は武家の至上使命だ」

「じゃあ、籍抜いてもらうから、結婚して」

「山の中につれてってくれるか?」

「山でも、海でも、何所でも」

「俺を殺して穴掘って埋めてくれるなら、なんでも言う事きいてやるぜ」

「粗末にすんじゃねぇよ、チクショウ。俺がこんなに好きな女の、カラダと命、こんな気軽に汚すんじゃねぇよッ」

 本音をこぼす。泣き出してしまう。あぁもう、俺もそろそろ思春期じゃないのに。男がこんなにぼろぼろ泣いてんのはみっともないのに。

「総悟」

 涙なんか気配もない人が、俯いた俺に手のひらを差し出した。

「行くぞ。近藤さんが心配してる」

「結婚してくれる?」

「セックスならしてやるよ」

「なんでも言うこときいてやるから結婚してよ」

「殺して山に埋めてくれ。俺の、望みはそれだけだ」

「……そんなに生きてンの辛いの?」

「うん」

 

 

 

 

 

 

「痛くなかったの、コレ」

 肩の後ろをしつこく撫でられて、そこにそういえばなにかされていたことを思い出す。

「なんて書いてある?」

「ナンかさ、家紋彫られてるよ。知らなかった?」

「自分じゃ見えないから」

「カガミに映せば見えるじゃない」

「そこまでして見たいとは思わなかったな」

 自分自身に関心がないのはいつものことだった。捨て鉢になるほどの情熱さえない。

「痛かったろ、赤で彫ってあるし」

「あんまり。機械彫りだったし、時間も十五分ぐらいだった」

「けしてやろっか?」

「消えないだろう?」

「けせるよ」

「どうやって」

「皮剥いで」

「お前おもしろいなぁ」

 真剣に感嘆されて、ベッドの中でハダカの男はうっすらと笑った。怖い目をしている。

「丸に四つ割菱。何所の男だよ、こんな背中に墨のせたヤツは」

「騙してきたのは西国の若いのだが、別にそいつが彫ったんじゃない。財布やらゴルフクラブやらの名入れサービスと同じで業者が……、ッ」

「知ってる?女の子って、コッチ挿れると失禁しちまうんだよ」

 うつ伏せにまどろんでいた腰を掴まれて、強引に指を捩じ込まれる。

「ぁ……ッ」

 女は苦痛の声を漏らす。

「体験、してみる?」

「……」

「イヤならイヤって言えば。痛いよきっと。それに恥ずかしいでしょ?」

「……」

「何で言わないの?」

「……」

「そもそもナンで、あんたみたいな女がホスト買うの。わっかんねぇなあ。この顔と体と若さだろ?男に金なんか払わなくっても、相手いくらでも居るんじゃない?ってーか、逆にナンか買ってくれるだろフツー」

「くれないぜ、誰も」

「うそー」

「ウソなんかつくか。セックスどころかろくにクチもきいてくれない連中ばっかりだ。俺にこんなに優しいのはオマエだけだよ」

「……うそつき」

 言いながら、でも、妙に腕っ節の強いホストから荒々しさが消えていく。