大物は手強い。当たり前だ。手強くない男が大物になれる筈はない。

 幼い頃から神童と称され、十代の半ば過ぎには藩外にまで名の知れた切れ者。二十歳の頃には藩政の一角を司る役職に就き、若者たちの支持と上層部からの信頼を左右の車輪にして、攘夷戦争に驀進した男、桂小五郎。

 潜伏中の民家に踏み込まれ、身柄を官憲に押さえられたのは二週間前。否、捕り物のとき本人は機敏に逃れたが、匿ってくれた商家の妻女が見廻組に連行され尋問を受けていると聞いて自ら出頭してきたのは十日前。

 妻女が捕らえられた屯所の門前で名を名乗った。それ以来、一言も喋らないまま。尋問という名目の拷問にも苦痛の声一つ漏らさず、与えられる食事を拒否し続けたまま240時間。薬で眠らせ点滴で栄養を与えることはしているが限度がある。

死なせるわけにはいかない、宝石よりも貴重な捕虜だ。脅しもすかしも効かない相手に万策尽きた挙句、捕虜は真撰組へ移送された。せっかくの手柄を手離す見廻組は悔しかっただろうが、死なせては元も子もない。真撰組には、腕利きの尋問間が居る。

「煙草、吸っていいか」

 本職は将軍家令妹・そよ姫の近衛武官。子供の頃からお転婆で、武術試合に女子部では相手が居ないから男子に混じってトーナメント戦を相当上まで勝ち抜いていた。同じ理由で男子部に出場していた柳生の跡取りともども、女性武官として近衛部隊に籍を置いている。実際は柳生の跡取りは将軍家警護、愛煙家のもう一人は故郷から一緒に出てきた連中を中心に創設された真撰組に出向していることが多い。

 この世の半分は女だから、女性武官も当然必要になる。テロ支援容疑で逮捕される中には高官の妻女や高家の女官も混ざっている。女は男の責めには耐性があってしぶとい。そういう容疑者の喉をくすぐって鳴き声を上げさせるのがうまい彼女を隊士たちはふざけて、『副長』と呼ぶことさえある。

「こんなに早く再会するたぁ思わなかったぜ、桂」

「……」

 手錠の他、足首にも重りを繋がれた容疑者は答えない。けれど無反応では居れなくて視線がそっちを向く。美味そうに煙を吐き出す女は艶やかな黒髪を短く切り揃え前髪を掻き揚げている。その髪型は襟のかっちりした武官の制服とともに、眦の切れ上がった鋭角的な美貌によく似合って、女の周囲だけ中性的な危うい魅力に空気が色を変えた。

「あんまり元気そうじゃねぇがな。とりあえず、借りてた金、返させて貰うぜ。無断で悪かったが、助かった」

 煙草を納めた胸のポケットから茶封筒を取り出して机の上に置く。

「欲しいモノあったら買って来させるが。その金の中から」

「……いらん」

 桂の、男にしておくのは惜しい形のいい唇から、短く固い一言がこぼれる。短かったが、それは十日ぶりに発せられた言葉。

「いるいらないじゃない。お前の金だ」

「晋から、もう返してもらっている」

「あぁ、坊や生還したのか。よかったな」

「……ッ」

 他人事のような女の物言いに桂は一瞬、真面目な顔で口を開きかけ、押さえた。幕府の狗に人間の言葉で何を言っても通じはしないと、無理に自分に言い聞かせた様子で。

「ついでにもう一つ、お前のモノを、実は預かってる」

 尋問室にはもう一人、真撰組の制服を着た男が立ち会っている。監察を仕切っている山崎退は女に目線で合図され、手に持っていた膨らんだ封筒を手渡す。

「もう十年、十一年近くになるか。昔話だが、多摩郡日野宿、っておまえ覚えてるか」

「……」

 桂の、肩がほんの少し揺れた。

「十年と九ヶ月前、天人の武器に大敗した攘夷派の落ち武者が大勢、日野宿の裏街道を通って故郷へ帰ろうとしてた。日野の名主の佐藤彦三郎ってのは人がいい男だ。幕府直轄地の裁量役として公式には何してやることも出来ないが、裏街道に面した屋敷の裏門閉じた前に縁台出して、茶菓だの煙草だの握り飯だの、糒、乾パン、角砂糖。消毒用の焼酎に傷薬、抗生物質、ビタミン剤、なんかを積み上げて持っていくに任せてた」

 封筒から、取り出されたのは蒔絵の印籠。根付は珊瑚で、桂の枝を象った見事なもの。

「落ち武者たちにゃ随分、感謝されてたみたいだぜ。金目の持ちモンが時々置いてあった。中でもこの印籠が置いてあった朝は大騒ぎで、桂小五郎の持ち物だ名前が書いてある、あの大物は無事に落ち延びたらしいよかったな、なんて大人たちが大勢で話してた。幕府の狗にしちゃ良心的な方だろ。将軍家の命には逆らわねぇが、攘夷を言い張るお前らの純粋さには同情的だった」

「……」

「こんな内戦で有能な若者が死ぬのは間違っているってのが口癖で、一人でも多く故郷に無事に帰してやらなきゃって、日に三度も四度も握り飯炊き出して、非常防災用の物資を余所の宿場にまで頼んで掻き集めてた。覚えてるか?」

「……よく、覚えている」

 答える桂の声は少し、緊張で語尾が掠れていた。

「印籠、お前のでマチガイないか」

「ない。が、それは礼心に進呈させていただいた物だ」

「突き返してんだよ」

 女の声が低くなり、切れ長の目が意地悪く笑った。

「日野宿がそんな風だったのはこの印籠が置かれてから二・三日後までで」

「……」

「ある日を境に、落ち武者狩りが一番厳しい地域になる」

「……」

「日野ばっかりじゃねぇ。多摩郡一帯、攘夷敗戦軍の武士だと見れば地元の警邏団が絡め取って土蔵に繋いで、人数纏まると幕吏に引き渡した。掌かえした理由は分かってるな。落ち武者の一団が裏門乗り越えて屋敷に乗り込んで、金蔵破って家人を人質に、逃亡しやがったからだ」

「……」

「人質にさらわれた、名主の義妹は十三だった。知ってたか」

「……」

「真撰組はそのノリの延長だ。手柄を幕府に賞されて武官に召しだされた。これは山狩りの続きだ。お前らを賊だと思ってる。強盗たちは、日野が幕府直轄の天領だって理由だけで、略奪されんのも強姦されんのも当然の報いみたいに嘯きやがったぜ。対抗上、こっちがお前らを根絶やしにしたいと心から、思ってンのは正当防衛だろ?」

「不心得者の存在を心から詫びる。申し訳なく思っている」

「お前らの正義なんざ、一グラムも信じられねぇよ」

「お怒りはご尤もだ。謝罪の言葉もない。一人の罪は全員の罪だ。あのとき従軍した全員が詫びねばならないと思っている」

「まぁ、そんな昔話は、ちょっと措いて」

「日野ご当主のご縁者か?許してくれとは申し上げる資格もないが、俺だけでなく助けられた者一同、ご温情を仇でお返しすることになって、その話を耳にしたときどれほど心苦しかったか」

「誘拐されて乱暴された人質だ、俺は」

「……」

「ついでに山に生き埋めにされてみたりもしたな」

「……」

「悪いと思ってんならとりあえずメシ食ってくれ。そしたら俺の今日の仕事は終わる。午後から、映画見に行きてぇんだ」

「……手錠を」

「山崎」

「へい」

 手錠が外され、蕎麦が運ばれてくる。絶食あけだから暖かな蒸し蕎麦。割り箸で蕎麦を掬い、柚子の香りがする汁につけて、一人前の半量を桂は喉に、押し込むように咀嚼した。

「無理して吐くより、そこらでやめていいぜ」

 苦しそうな表情で尚、食べ進めようとする桂に女は助け舟を出した。

「じゃあ、また明日、お話しようぜ、色男」

 ふざけた口調で言い捨てて、女は立ち上がり部屋を出ようとした。人質は真っ青な顔色でもう一度、手錠を嵌められるために手首を差し出していたが。

「佐藤殿」

「俺の名前は土方だ。佐藤は、姉婿だ」

「土方殿。十一年前、晋はまだ五つの子供だった。従軍は勿論していないし、戦争決定の世論にも関与はない」

 振り向いた女は、当たり前じゃないかという表情。

「晋のことは恨まないでやってくれ」

「……やさしぃおにぃちゃんだなぁ」