うちのうるさいのが世話になってるだろ。
おたくの美人と交換で帰してくれないか。
災いはいつも不意打ち。事件も事故もなく、非番は昼寝し当番はおやつを食べる昼下がりの時刻、あたたかな小春日和の平和な屯所に突然かかってきた電話。
「すいません、その話、今は無理です。ややこしい話の担当が居ません」
そう、真打が今は居ない。とりあえず次善の策、何でも器用にこなす監察の山崎が背中を押されて電話応対に出た。
「責任者は居ます。でもうちのこと仕切ってるのは別嬪の出向のオヒメサンで、けっこー怖い仕切りやだから、無断でなンか決めたら、あとで糞味噌に罵られるンですよ」
かかってきたのは一番隊の隊長の私物の携帯。ディスプレイに表示された番号はみながふざけて『副長』と呼ぶこともあるそよ姫つきの同郷の女武官の私用のもの。身柄を預かっている、という脅し文句には信憑性があった。
「電話を代わってくれれば相談してみますけど」
『ちょっと待て』
誘拐犯は素直だった。誘拐犯とは、とても思えないほど。
「もしもし、土方さん?これ訓練ですか?違う?本当に誘拐された?酷い目にあってませんか?」
誘拐された女が電話に出るなり、山崎は矢継ぎ早に問う。
「電話を代わってくれないか」
身柄を押さえられている攘夷派の『うるさいの』こと桂が珍しく自分から声を出す。手錠を掛けたまま、生存確認のために電話に出せと言われることを予測してつれて来られていた大物の人質。
「晋に、彼女に酷いことをするなと言いたいんだ」
彼女の素性を知って以来、桂は彼女には礼儀を尽くしていた。仲間は売らなかったが一身上のことはすらすらと話した。江戸へはテロ活動のために出てきたのではない。故郷で政変が起こって、幕府との和解の途を探る保守派が政権を奪取し、政治犯として粛清されるぎりぎりのとこで逃れてきたのだ、というようなことを。
「頼む」
「よろしく」
ふざけているのかマジメなのか悟らせないあっさりさで、あくまでも丁寧に山崎は桂の手錠を嵌めた手に受話器を渡した。
「晋、俺だ。貴様、よもや婦女子に不埒な真似をしてはおるまいな」
『……元気みてぇだな』
突然代わられて、怒鳴られて、誘拐犯はほそっとそう呟く。そして、電話代わってくれよと、向こうも携帯を遣り取りする気配があった。
『山崎と代わってくれるか』
「土方殿か。ご無事か、怪我は?」
『あんたよりゃ元気なんじゃないかな。やまざぁきー』
「はいよ」
気軽く山崎は返事をして携帯を桂の手から奪う。
「電話代わりました。えぇ、局長も沖田隊長もいらっしゃいます。どうするか、って、そんなの聞かないでください。土方さんの指示どおりにします」
山崎の言っている事は情けないが、はきはき・きびきびとした口調は気持ちがいい。
「はい。ええ、そうです。見廻組みに身柄を戻すことになっています。……えぇ、迎えが来る予定です。……、明日の午後一時に。……、なるほど」
誘拐された人質の指図に、監察の責任者は頷いていく。ひととおり、話が終わったところで山崎は気配りを見せた。
「沖田さんに代わります。とても心配してらっしゃいますよ」
言って、携帯を、さっきから蒼白の若者に手渡した。
『……、もしもし、総悟か?』
「アンタね、なにされたって、舌なんか噛むなよ」
若者の頬からは血の気の引き青を通り越して白い。唇の色は青に近い。まだ十代、普段がぴちぴち若さの跳ねるような顔色をしているから落差が痛々しい。けれど。
「俺がゼッタイ、助けてやるから。復讐して仇とってやるから、死ぬな」
声が震えていないのはさすがだった。若くても血飛沫の修羅場をくぐっている。
「死ぬな」
『あぁ。ありがとう。死なない。それとな、近藤さんに』
「代わる?」
『ごめんなさい、って言っておいてくれ』
「うん」
『あまり心配するな。ちゃんと帰るから』
「うん」
『お前が心配するような目にはあってないよ』
「うん」
『明日は夕飯おごってやる』
「うん」
回線を切った女から携帯を受け取って、誘拐犯は電波にかけていたスクランブルを解く。電波の発信局を偽装し混乱させ逆探知を難しくする機器で、どこにでもあるというものではない。
「ひでぇめにあってないって?マジか?」
くすくす、若い男が笑う。裸で。
「あんまり酷いことはされてないよ」
女は静かに片手で髪を梳いた。脇まで引き上げていた毛布ごと、ぱふんとベッドへ横たわる。スプリングが柔らかなふかふかベッド。カーテンを開いた向こう側には摩天楼。江戸城さえ見下ろすここは天上の城。
「なら、来い」
男は両手を広げて満面の笑みを見せる。が、女はシーツの上から動かない。
「疲れた」
「で?話の続きだ。実家どこだって?」
「遠くの馬小屋」
「バカ言うな。調べはついてんだよ。将軍家直属要人警護部隊の女武官かぁ、格好いいじゃねぇか」
敵味方だ。そして自分をだましていた女。けれど、若い男はそんなことは気にならないらしい。嬉しそうに笑っている。
「そうだよな、どっからどう見ても武家育ちだよオマエは。結納の宛名どこにすりゃいいんだ?」
それが嬉しくてたまらないならしい。
「君みたいに突き抜けた男でも、正妻には身分を求めるのか」
「ガキを不幸せにしたくねぇからな。俺がどんなに出世して藩を牛耳っても、後ろ指ってヤツからだけは庇っておやれねぇんだ」
「包帯」
「ん?」
「外れそう。おいで」
招きよせられて、テーブルの上で機器を弄っていた若い男は嬉しそうにベッドの上に来る。女が起き上がり、腕を伸ばす。毛布がずれて胸元のふくらみがトップ近くまで見えた。若い男は正直に頬を緩める。いいキモチだった。
「治らないの?角膜なら売ってくれるところ知ってるよ」
「眼球潰れてっから、ムリだ」
「きれいな目だったのに、かわいそうに」
「オマエが怖がらなくてよかった」
「父上は、お気の毒だったね」
「……まぁな」
若い男は口数が少ない。
この数ヶ月で、ひどい目にあった。
戦争に行って負けた。方目を失って戻ったら、故郷では政変が起こって幕府への恭順派が実権を握っていた。家老筆頭として最高権力の座にあった大叔父は暗殺され、父親はほとんど同時に惨殺され、屋敷は略奪され放火されて灰燼に帰した。
家族は皆、その火の中で死んだ。高齢の祖母も出戻りの叔母も父親の後妻も腹違いの幼い異母昧も。逃げられないようにされていたのか、火が廻る前に殺されていたのか、骨も残らなかったから尋ねることも出来ない。
何もかもを失った名家の若様。けれど本性である気性の激しさは誰も奪い取ることが出来なかった。攘夷から一転、幕府を後援するのとは別の一派の天人と手を組み、クーデターを起こし返して政権を奪取。その間、ほんの二週間。
包帯を巻きなおしてくれた女をそのまま、シーツに押し倒し両腕を広げさせる。真っ白な、よく引き締まった、でも内側はふっくらと柔らかい、お気に入りの体に自分を割り込ませようと、膝に手を掛けた。
「もう一回、話して」
女は嫌だとは言わない。ただ、膝頭を閉ざして男に言葉を強請る。
「政変の話、もう一回」
「聞いて楽しいような話かよ?」
暗殺、謀殺、血腥い暴力の連続。
「どきどきする。やるなぁ。惚れそう」
「惚れろよ」
「ついでにこのまんま、故郷を裏切ってみないか」
くちづけは拒まず、優しく応えながら、口紅はもう剥がれてしまったのに甘くて赤い唇が毒の蜜を漏らす。
「君をこの世で一番愛されるオトコにしてあげるよ」
「俺ぁイヤんなったから棄てるってタイプじゃねぇんだ。性奴が実は間諜で、だまされて利用されて裏切られたって分かった瞬間、ションベンチビりそうな勢いで惚れ直したぜ」
「ヘンタイ」
「うちの藩にも似たような気持ちでいる。一度や二度の負け戦でビビって自藩の人材の首を刈るような、ヤワい性根を叩き直してやる」
「それで、なんで桂を取り戻そうとするの」
「アレはあーゆー風だから、ジジイにも若いのにも信頼が厚くってなぁ」
「戻られたら君の立場がなくなるんじゃない?」
「俺は火薬だ。吹き飛ばすことしか出来ねぇ。鍛えなおせるのは桂みたいなオトコさ」
「私にくれないの」
「藩はムリだ。俺をやるから、それで我慢しろ」
「結婚しないよ。君が故郷を棄てない限り」
「よしよし。まあ、そのうちな」
若い男は女を抱きながら自信あり気に呟く。
「結婚してくれってオマエとオマエの親兄弟の方から言い出すさ。俺が幕府との戦争に勝ったら。オマエが賊軍になって追われたら俺が助けに行ってやる。お前の家族も、仲間も助けてやるぜ」
「そんなことになったら死ぬから」
「貞淑って言葉を教えてやる。楽しみに待ってろ」
「君のこと、前よりは好きになったけど」