移転、というより帰還。もともとその藩の本拠地は瀬戸内の海に面した港町。西国交通の要所であるそこを占拠されることを嫌った幕府の命令によって日本海に面した場所へと城を移されて二百年。二百年ぶりに、藩主以下の一同は明るい陽の満ちる海の見える街へ『戻った』。

「ごそごそうごくな、銀時」

「あ、しが痺れ……」

「耐えろ」

 人が動けば家も寺も動く。武門は祖先を尊重する習慣があって、菩提寺は墓石も骨壷もまとめて移転した。その法事が落成した城の広間で行われている。

「もー、ムリ、って。正座なんざ何年もしてねぇし、だいたいナンで、もー藩士でもない俺が、イテテ」

「キサマが致仕した時に全財産を寺に寄進して行ったからだ。キサマ一代の間はこの寺の大旦那だ」

 藩主に仕えることをやめ、家産を捨てて身一つで江戸へ流れて行った白髪の旧友を見つけ出し、殴りつけんばかりの勢いでこの法事の場に引き摺ってきた桂より上席で、男は坊主の読経を聞いている。ずらりと居並ぶ藩士たちとは少し離れた桟敷席。

「お前が代理でよかったのに。親父も爺も俺よりお前がお気に入りだったんだから、イエを潰した俺よりお前に弔われた方が喜ぶのに」

「見解の相違だな。俺にはそうは思えん。息子の代わりを務められる他人など居るものか」

「相違だねぇ。……、なぁ、一人、足りなくね?お杉んち、どった?」

 桟敷には藩内の名家当主がずらりと顔をそろえている。が、その中で、一・二を争う席に座るべき一家が居ない。

「はるの、ご両親は」

「聞いたけど」

「向こうで眠っておられる。はるが、移したがらない」

 それも無理はない。政争の過程で一族ごと、皆殺しの謀殺をされてまだ時がたたない。最前線のせんじように立っていた嗣子だけが生き残り大博打の末に政権を獲ったが、だからといって死者が蘇るわけではない。骨まで燃えて拾えなかった屋敷の火勢は、それが通常の失火でないことを示していた。

 墓石の下は空っぽの空間。焼け跡を片付けて屋敷は新築したが、若い当主が一人で住んでいた。幕府に捉えられていた桂を取り戻し政権を委託してからは目だった動きを見せず、周囲はどれだけ気をもんだだろう。

 今回の移転もそうだ。二百年来の悲願を停戦条約の一つに盛り込んだのは自分のくせに、なかなか屋敷を移りたがらなかった。気を使った藩主が城下の小高い丘に広大な敷地を下賜して、そこに屋敷まで建ててやったのに。

 藩主も連枝も江戸からやって来たまだ『お姫さま』の花嫁も、お供たちも引き移ったのにグズグスしていた。ようやく重い腰を上げたのは数日前。度重なる藩主からの催促にも病気引き篭もりを通していたが、オンナに促されてしぶしぶ、こちらへ出てきた。

「そっか。お前も苦労するな、ズラぁ」

「ズラじゃない、桂だ」

 小声の会話は坊主の読経にかき消され、白髪の男はそっと足を崩そうとして、桂に殴られた。

 

 

 高台の屋敷には温泉が出た。

「法事でも、盛大って言うんだっけ?」

 見下ろす城下町のふちこちから漂う香華が高台のこの屋敷まで届いている。肌にぬるりと纏わりつく透明な湯に満足しきって上機嫌の女がそう言った。

 前の城下町にも源泉はあったが温度が低く、成分も濃いとは言えなかった。海辺を深く掘削すれば見つかる程度の代物だった。

「さぁな」

 この屋敷のは違う。もともと地名を湯田という、山陽地方でも有数の湯処。屋敷の井戸を掘っていて噴出した源泉の温度は六十度。真夏の今は長い樋で冷まして尚、温度が高くて露天でないと長湯が出来ない。若い女が外の風呂に入るもんじゃねぇ、という家主の意見は風呂好きのオンナの迫力に押されてしまった。

「君も入ればいいのに」

 着流し姿の家主は広い湯殿に付属した露天風呂と奥庭を隔てる目隠しの岩のてっぺんに、片膝立てて座り込む家主を女は誘う。

「いーから早く、あがれ」

 若い男は気が気ではない。隻眼の目をぎらぎら光らせて、庭と、眼科に広がる城下を交互に睨みつけている。

「落ち着け、高杉。何処からも見えないって」

 昔は出城があった小高い丘の頂上付近が全部、この屋敷の敷地。主人を訪ねて来た女客の入浴を覗く家僕が居るとは思えないし、居てもこの怖い主人が見張っていては鼻の下を伸ばすどころではないだろう。石垣に張り出したような露天風呂からの景色は素晴らしいが、見下ろす城下町からは棚になっていてどうやったって見えない。ここより高所にあるのは城だけで、城とはかなりの距離がある。

「見てるのは、君とトンビだけだ」

 ピーヒョロヒョロとさっきから頭上を舞っている。

「いい、キモチ」

「そろそろいいだろ。タオル巻いてあがれ」

「急かす男はもてないよ」

「湯殿の風呂なら明日の朝まで浸かってていいからあがれって」

「湯殿なら城にも温泉引いてある。君の屋敷には露天があるって桂に聞いて、楽しみにしてたんだ」

 チッ、と、若い男は柄悪く舌打ち。ヅラのくせに人をハメやがって、と内心で思っている。ハメられてのこのこ、この下賜された屋敷に移ってきた自分にも腹を立てている。この女が珍しく書状を寄越してきたのが嬉しくて、すぐ行く休みとっとけと返事してしまった。

「一緒に入ればいいのに」

 女はあがる気配を見せない。幸福そうな顔で、それでも少し暑くなったのか、湯から肩を出す。白い肌が湯に温められて透明感を増し輝くばかりだ。ちらり、気をひかれて若い男は女の胸元を見た。誘うように女が腕を上げる。二の腕からの曲線は殆ど凶器だ。生唾を飲まないではいられないくらい。

「……おい」

 見張っていた岩から身軽く降り立って。

「ちょっと、あがれ」

 湯桶の横に置かれた大判のバスタオルを広げて誘う。渇いた様子を隠さない目が女の気に入って、素直に湯を纏わりつかせながら立った。

 ヒバリの目から隠すように男が女の体をバスタオルで包む。そのまま、半ば抱えて石畳を歩かせて湯殿へ。

「久しぶりだね」

「部屋、行くか?」

「ここがいい」

 檜の匂いが満ちる暖かな空間。湯気が篭もって少し暑くもある。

「血ぃのぼりそうだな」

「服着てるからだ。早く脱がないと君よりお湯に浸かるよ」

「風呂の中ではカンベンだ。目ぇ廻しちまう」

 くすくす笑いながら若い男は服を脱ぐ。着流しだから後ろ帯を解くだけ。簡単なものだ。もっと簡単なのは女だった。肩を振ればタオルは足元に落ちて真っ白な素肌。

「は……」

「いてぇだろ。ノレ」

 女の肌が素晴らしい。もとから肌理の細かいもち肌が、重曹成分を多く含む高アルカリ性の泉質に浸されてつるつる。それをスノコの床に押し倒す気になれなくて、男は自分が仰向けに転がる。

「……ん」

 女は素直に好意を受けた。大事にされて、悪い気はしない。男の上にカラダを預けて促されるまま唇を重ねる。男は本当に嬉しそう。喉の奥でうずうずと、笑う。

「なに?」

「なにって……」

「なに笑ってんの」

「キモチよすぎンだよ」

 肌にかさなるてくる女の重さ、質量が。間で潰れる胸の柔らかさ。トップの凝りが脇の近くに当る。掌を当てると嫌がって肩を捩ったが、その隙間に指を進めて片方を包む。揉む、というほどの力も篭めずにそっと。

「……幸せそう」

「シアワセだぜ」

 この女を抱いている時間だけ、他のことを忘れて憂鬱から逃れられる。

「お前が居なきゃ、俺はとっくに、ぶっ潰れてたさ」

「君が居てくれて」

「ん?」

「わたしも随分、色々たすかってる……」

「ホントかよ」

「本当だよ」

「マジなら、ナンでもしてやるぜ。なにして欲しい。ん?」

「……とりあえず、えっち」

「すげぇとりあえずだな」

 男は笑いながら女の望みを叶えるために動いた。

「ん、ン」

「、ってー、か?」

「あ……」

「手ぇ、寄越せ」

「……ッ」

 すれたクチを利く割にいつも、最初は軋んで苦しがる。全身を痙攣するように蠢かす女を男は心配して、荒い息を漏らしながら気遣う。

「イ……、ッ」

「ほ、ら、掴まれ、って」

「んー、ッ」

 暴れそうになる女を抱きしめてやっていると、まるきりそう、無理矢理に犯しているような気が、しないでもなくて。

「ふ……、ッ」

 繋がって、口づけて、背中を撫でていた手を撫で下ろして、見事な曲線の尻をやわやわ、撫でてやるうちに少しずつ、ナカが潤んでくる。

「してっぜ……、マジ愛して……」

「ん」

「なんで、なのに……、なぁ……?」

「……、は……」

「なぁ?」