鳴神

 

   群馬の片田舎、いやその頃は群馬ではなく上野の国の奥深く。歳若い行者はふつふつとした怒りに燃えていた。腕に抱いているのは怪我をした猿。させたのは、国司。揃えた前髪を額にたらし、都からやってきたシンゴという名の国司は都の内裏建替え御用と称してこの地の深山の、大木を切り倒しまくっている。
 都で内裏を建替えることも、そのための木材徴発の命令も嘘ではない。が、シンゴのやり方は度を過ぎていた。水源地だろうが土地の御神木だろうが構わず切り倒す裏には、規定の数倍、数十倍の木材を献納して、新たな役職につく足がかりにしようという下心が見え透いていたのだ。
 無論、地元の有力者たちは都に陳情した。が、都からはかばかしい返答は無かった。要するに、朝廷は木材が欲しかった。よって、シンゴの無茶を熱心に止めようとするはずも無かったのだ。
「俺、こーゆーやり方が一番嫌いなんだよなー」
 喋りはおっとりしているが、やりだしたことは過激だ。釈杖を地に付きたてて祈りを捧げ、なんということ、世界中の竜神を封じ込めてしまった。 


 一方、都では。
 春雨もなく梅雨になっても雨はいって気も降らず、百姓たちは困り果てていた。自然現象は帝の徳によって左右されると思われていた時代である。市井から下級貴族、はては殿上人たちの間にさえ、帝の不徳と譲位のことが囁かれつつあった。
「嫌だぁ、俺はまだ引退なんかしないぞぉ」
 大声で叫んだ啓介帝は御歳二十一。たしかに、隠棲の出家のというには若すぎる歳だ。
「されてたまるか。それでなくても内裏の造営に金がかかるんだ。この上、二上皇一天皇の負担は、財政的に厳しすぎる」
 啓介帝の父上は、亡くなったのではない。退位し上皇となって、花鳥風月を愉しむ日々を送っている。この上、啓介までもが上皇となれば、御所も倍、経費も倍、さらに譲位に関する一連の儀式の費用もかさむ。
 中務省のきけもので、正四位下の参議・史浩は眉間に眉を寄せ、苦悩の表情。
「朝廷の財政を守るためなら国司の一人二人、谷底に突き落とすことに否やはないが、もうそれじゃカタがつかないだろうな。クレームは引き伸ばすと相手を頑なにしちまう。……こうなったら、最後の手段だ」
「なんかいい手、あんのか」
「おぅよ。相手は竜神を片っ端から封印しちまうほどの行者だが、なに、こっちには、群馬で一番、ヤバイ奴が居るんだ」
 ふふふ、と笑う史浩に啓介帝はわずかだが、ビビッた。

 雨が降らないのだから、当然ながら晴れた昼下がり。
 鳴神上人と通称される若い行者・拓海は山を歩いていた。動物たちが騒がしい。ふと見ると、谷に沿った道に倒れた、華やかな衣装を纏った人影。
「……えーと、大丈夫ですか?」
 抱き起こして、驚いた。真っ白の肌に赤い唇。艶やかな黒髪を束ねた布がほどけて、額にばらりとかかる様子は、夢のように美しい。
「……わー、美人……」
 こんな綺麗な人は見た事がない。だいたい、物心ついた頃から山の中の暮らしで、母親の顔も知らないのだ。美しい人の服の合わせ目からそって掌を入れる。もちろんそれは、心の臓の動きを測るためだったのだが。
「……、ん……」
 無意識なのか意識してなのか、拒むように身を捩るしぐさにどきりとした。思わず掌に力が入り、必要以上に深く懐を探ると、しっかりとした脈動が指先に伝わってくる。
「……、あぁ」
「狩人や行者の娘には見えないけど」
「あ、あ……、あぁ……ん」
「とりあえず窟に連れて帰ろう」
 言うなり軽々抱え上げ、跳ぶように岩場を渡っていく。風が着物の裾をあおり、視界の端にふと見えた真っ白な足首と脹脛に、めまいがしそうだった。

 滝の上にある窟は涼しい風が通り、藁の上には毛皮が敷き詰められ、寝心地のいい褥がつくってある。たくみはそこに、そっと抱いていた人を降ろす。冷たい清水を布に浸し、それで顔を拭うと、
「……ナニ……」
 うっすら開いた、睫の長い瞳。鏡のように潤んだそれに見つめられ、
「あ、こんにちは」
 赤面しながら拓海はぺこりと頭を下げた。
「あの、なんか、気絶してたから、連れてきたんです。大丈夫?」
「そうか……。ありがとう」
 ゆっくり美人は起き上がろうとしたが、まだ苦しいのか、すぐに横になる。背中を見せて突っ伏すようにされて、慌てて拓海はその頭を膝に載せた。
「大丈夫?」
「ありがとう。なんだか少し、眩暈がして……」
「ゆっくり寝ていればいいよ。遠慮しないで。でもあなた、誰?どうしてあんな処に居たの?」
「……俺は、高橋涼介。朝廷に仕えているんだ」
「あ、あぁ、都の人なんだ。どうりで綺麗で上品だと思った」
「都には雨が降らなくて、百姓たちがとても困っている。陰陽士らが、このへんに竜神が閉じ込められていると占って、それで来てみたんだ」
「そう、なんですか」
「……あ」
「ど、どうしました」
「なんだか、痛い……」
「ど、何処?大丈夫ッ?」
「胸が……、さっき、お前が触ってくれていたところ……」
「え……ッ」
「撫でて、みてくれ。さっきまで痛くもなんともなかったのに……」
「あ、うん」
 合わせ目から手を差し入れる。ぴくぴくと、閉じた長い睫が震えるのが、見えた。
「……どう?」
「ん。ちょっと楽に、なったよ」
「もっと撫でた方がいいよね」
「うん。……もうちょっと、下の方。……あぁッ」
 胸の先端を指先がすかめた途端、涼介は甲高い悲鳴をあげて身体を捩る。
「大丈夫?」
 尋ねながらも、行者の指は止まらない。左ばかりでなく右も、両手を使って、同時に慰撫した。
「あぁ、あ……、ん、ヤメ……」
「痛いの?」
「違う、けど……、ん、あぁ……」
「じゃあじっとして。ね?」
 大人しそうな顔して強引な拓海行者は、調子に乗ってぐいっと襟を寛げて、そこに唇を落とす。
「ひぁ、あ……、行者様、お許し……」
「竜神の封印みつけてもどうするの」
「封印、を、解か、ないと……」
「解けなかったら?やった奴は鳴神上人っていって、けっこう、手ごわい男だよ」
「分かっている、けれどお願いして……、あぁっ」
「じゃあ、して」
 ちゅっ、と反対側の胸元にくちづけ、拓海は一見優しげに、けれど隙無く、微笑む。
「……え?」
「俺が、鳴神」
「お上人さま……?」
「様なんて呼ばれるほどじゃないけど、まぁ、そう」
「お手を、離して」
「どうして」
「ご挨拶とお願いを」
「このまんまでいいよ」
「初めまして……、あ、」
「名前はもう、聞いた。お願い、シテ」
「御腹立ちは重々、承知しております。……ん、あぁ。……、お気に召すよう、いかようにもいたしますので庶民の難儀を……、あっ」
「ホントに何でもしてくれるの?」
「……は、い」
「じゃあ帯を解いて」
「……」
「身体のことを試したいことがある。書物で読んでいるけど、それじゃよく分からない」
 鏡で見て自分のを、とか思ってはいけない。この時代、姿見の鏡はない。
 震える唇を噛み締め一度、きゅっと目蓋を閉じてから、
「……お手を」
 涼介は、言った。
「お手を一度、御離しください。……解きます」
 言われるままに手を引いて身を引いて、拓海は涼介を試すように離れる。褥の上で起き上がり、涼介は乱れきった衣装を辛うじて支える自身の帯に手を掛けた。……が。
 その手が止まり、おずおずと、拓海を見上げる。
「どしたの?」
「紐が、きつくて」
「……ふぅん?あぁ、本当だね」
 何度か引っぱった後で、拓海はひわ色のしごきを咥えて、引いた。
「……ん」
「緩んだよ、はい」
「手伝って……。脱ぐの、大変だから」
「いいよ」
 帯や紐、しごきを解いていく。脱がされた衣装はこんもりと重なり、襦袢一枚の肢体がもう一度、褥の上に倒される。
「白いね。すごく、綺麗だ」
「……っ、ん」
「この下が心の臓。とくんとくん、いってる」
「う……、ん」
「じゃあ、まず脈、とってみようか。……速いね。ドキドキしてる?」
「……ッ」
「それとも、恐い?」
 覗きこまれて目をそらしながら涼介は、
「少し……」
 素直に言って目を閉じる。その目蓋に唇を落としながら、
「大丈夫。ひどいこと、しないから。……好きになったんだ、あなた、凄く綺麗だから」
「……ん」
「あぁ、少し落ち着いてきた。これが乳」
「キャ……、ッ」
「その下がきゅう尾。これが凝ってると、病」
「あぅ、……ふぅ、んッ」
「こってないね。柔らかい。健康そうだ」
「ん。……病気はしたこと、ないよ……」
「いいコトだよ。きゅう尾の下がずい分、その下がしんけつ」
「そ、んなに押さえ、ないで」
「その下がしんけつ。ほぞとか、臍とかとも、言うね」
「あ、ぁ……、イヤ、そこ、なめたら、ヤ……」
「このほぞの左右が天すう……」
「あぅ、あ、ぁ……。お願い力、入れないで……」
 指をぐっと肌に食い込むほどにされて、それは腰骨の内側をえぐる形になる。性感を刺激され、涼介はのたうつ。豊かな黒髪がそれにつられて潤んだ白い肌に絡みつく。淫らな光景に刺激され拓海は髪を一房つかみ、筆先のようなその先端で、涼介自身の胸をくすぐった。
「あ、……、いやぁっ」
 突然の感触に涼介は悲鳴を上げた。細くて柔らかな自身の髪の刺激に、残酷なほど感じさせられて。
「ん……、あぁ、ッ」
桃色の乳輪とその先端の乳首がピン、と立ち上がる。珍しそうに拓海はそれをまじまじと見つめ、悪戯に息を吹きかけてみる。
「はぅ……、うぁ、ん」
もう一房を掴み、もう一方の先端も、掠めた。
「お上人様、お上人様もう……、お許しください」
「やめろってこと?」
「お願い……」
「いいけど、そしたら封印は解かないよ?」
 脅し文句に涼介は瞳を揺らし、首を左右に振る。拓海はその手をとって、涼介自身の、胸に当てさせた。
「……あ、」
「自分で弄ってて」
「あぁ、……んっ。あ、あぁ……」
「キモチ良さそう。赤くなってきてる。さて、じゃあ続き。どこまでしたっけ?この」
「……ヒーッ」
 いきなり腰骨を再度つかまれ、涼介の腰が浮いた。
「天すうだったね。……キモチイイ」
 頬を寄せ、すべらかな下腹の感触を愉しみながら、拓海の手と舌は先へ進んでいく。
「ほぞからちょっと間をおいて、気海」
「はぅっ……、あぁ、んーッ」
「気海から丹田……。その下が、いんぱく」
「あぅ、あ……、お、上人、様……」
「ん?」
「虐め……、焦らさないで……。し、て」
「……ナニを」
「意地悪、しな……、いで」
「意地悪してないよ。これからどうするのか俺、知らないの。知ってる?」
 涼介は戸惑い、迷っていたが、
「知っているなら、教えて……」
 息を吹きかけられながら言われて覚悟を決めた。
「……、を、……、して」
「こう?」
「そ、う……。あ、うぁ……。ん、あっ」
「……」
「ひぅっ、っく」
「……、ここ?」
「あ、ヒァっ、……、いや、そ、んなにしないで」
「……、るの?」
「や……、溶ける。やめ……、てぇ」
「……って、……、いい?」
「だ、め」
「なんで今更、焦らす」
「解いて……」
「もう帯も紐も、ないよ」
「封印、解いて……。俺を全部、ほどいたんだから」
「……あぁ」
「俺が生娘の……、うちに、解いて……」
「いいよ」
 拓海が指を鳴らすと、大岩にうちたてられた錫杖がしゃらんと、可憐な音をたてて、倒れた。同時に封印の注連縄も切れて、捕らえられていた竜神が次々に飛び立つ。もっとねも滝壷の上の窟の中の二人は、それどころではなかった。
「は、ふぅ……、んーッ」
「……やわら、かいね、あなた……」
「カタ、……、お上人様、カタくて、アツ、い……」
「……そう?」
「キモチ、い……。あ、あぁーッ」
「驟雨だ」
「ん……、え?」
「あなたの中に、雨が降ってる」
 意味がわかった涼介はさっと、頬だけでない全身を、羞恥に赤く染める。美しいその肌に掌を這わせながら、
「綺麗だ、とっても……」
 ごく生真面目な、声で言う。


 翌日まで、殆ど眠らせてもらえずに愛されて。
 立ち上がれないほど愛された肢体を抱かれて涼介は、夜空を駆って、内裏に送られた。濡れないように雲の上を、天馬でかけてゆく。ふわりと空から降り立って、彼の局に、送られる。
 絹の褥にそっと寝せながら。
「好きだよ。本当は、離したくないけど」
「……ん、俺も」
「家族が居るんじゃ仕方がないね。……木材は、修理司の前に積んでおいた」
「ん。ありがと」
「他にしてやれるコト、ない」
「じゃあ……、口を吸って」
「またそんな可愛いこと言って。攫っちゃうよ」
「……会いたくなったらどうすれば、イイ?」
「置いていくから、これを鳴らして」
 錫杖を、拓海は彼の枕もとに横たえた。
「困ったらすぐに呼んで。来るから」
「……うん」
「お休み。愛しているよ」
「……ん」
「俺が女にしたからね。一生あなたの使役神になるから」
「……恋人」
「可愛いなぁ。抱きたくなるから、もうお休み」
「……ん」
「またね」


 翌朝。
 まだ静かな雨の降り続く、濡れ縁をこえて。
「涼介、ご苦労さん。お前ならできると思ってたぜ」
 やってきたのは史浩。褥からでもせずに涼介は、
「……役得だった」
 寝床の中で腹ばいに姿勢を変えた。何かを思い返すようにうっとりした表情で。
「美少年でな、しかもお初。ういういしいのを、実に美味しく頂いた」
「お前って奴は……。まぁいい、そこを見込んで頼んだのは俺だ」
「生娘って言ったら信じてくれたぜ」
「お前って見た目は楚々としているからなぁ。中身はこれなのに」
「あ、修理司の前の木材、俺の手柄だからな」
「だろうと思って帳面に書かせた。好きな官位を選べ」
「ん。……もーちょっと眠っからでいいか」
「好きにしろ。殊勲だからな、お前は」
 さっさと席を立って去る史浩の足音を聞きながら目を閉じる。
 素敵な記憶を思い出しながら、そのまま夢をみれるよう、目を閉じる。

 雨が優しく、降っていた。