『嵐の夜の猫・4』予告編

 

 

 

 当方司令部副司令官、ロイ・マスタング大佐の官舎警備担当官には、幾つかの暗黙の了解が課せられている。

 職務上の見聞に対する沈黙、便宜を提供しないこと、警護対象者には自分から直接には声を掛けないこと。そういう要人警護の一般常識に類することばかりではなく。

「あの少尉だ」

 公舎の一室になんとなく住み着いている若い男が庭に出ているのを、警備責任者が二階の窓から指差した。そうして、新入りの衛兵に解説する。

「軍服を着ている時は別だが、私服の時は、彼が何をしていてもなにも見なかったことにしろ。いいな?」

 金髪の背の高い若い男は、今日は非番らしい。ジーンズにタンクトップに麦わら帽子というラフを通り越した姿で裏庭の温室から、花壇に何かを植え替えている。花壇の土は草を抜かれ掘り返され、腐葉土を加えられ畝を整えられている。手元にはスコップ、そして鍬。肥料とおぼしきビニールの袋、プラスチックの、青い大きなジョウロ。

 ぱっと見は公舎の用務員が庭仕事をしているように見える。が、その背中の盛り上がりと二の腕の太さは、若い男がタダモノでないことを新人たちに悟らせた。

「門を出入りする時は身分証の確認が必要だが、敷地内では何をしていようが気にするな。夜中に窓から出入りしていても、温室に葉っぱを取りに来ても、夜明け前に厨房でコーヒーを煎れていても、だ」

「イエッサー!」

 新人たちは声を揃え責任者に返事をする。うむ、と頷いた責任者は彼らを引率し、公舎の中を一通り見せた。衛兵は基本的にプライベート・エリアには足を踏み入れないが、非常事態に備えて間取りを知っておく必要がある。

 奥へ向かって廊下を歩きながら責任者は説明をしていく。

「このドアは決して開けないこと。案内もしない。奥には大佐の錬金術関連の書庫がある。錬金術でロックがかかっているからドアは開かないが、もし万が一、無理に開ければ即座に灰になる。絶対に触れるなよ」

「イエッサー!」

「こちらのドアは、大佐の寝室と今に通じている。ここが客間、そうして、こちらがご家族用のキッチン」

 軍隊というところは六時間ごとに食事が出る。衛兵たちのそれは賄いの軍属が作り従者用の食堂で供される。それとは別に、ガスオーブンや三口コンロの設備の整った、使いやすそうなキッチンが奥にある。

「通いの家政婦は食事を作らないし大佐は独身なので、あまり使われることはな……、い。……が……」

 責任者が言葉を濁したのは、そこの流しで手を洗う男が居たから。

男は手の後で庭に移植していたミントの葉を何枚か水洗いし、厚手のグラスの底に置く。木製パスタフォークの柄で葉をごりごりと潰し、ミントの香りがグラスの中に充満して部屋中に流れ出したところで冷凍庫から取り出した氷を入れ、砂糖を入れ、バーボンを注いで水を足した、ミント・ジェリップス。

南方で暑気払いに好まれるカクテルを、流しに立ったままクーッと、若い男は一息に喉に流し込む。

 からりと晴れた太陽の下、庭仕事を済ませた乾いた喉に、しみこむ美味さだった。見ていた新人のうち、幾人かが唾を飲み込む音がした。

 そのまま、男はカウンターに置いた麦藁帽子の横から煙草を取り出し、ライターで火を点ける。立ったままの一服。たいへんに気持ち良さそうだ。目が細められ、口元が笑っている。が、衛兵達には、視線を向けなかった。

「そうして、こちらが……」

 責任者は会釈もせず、車庫に新人を案内する。駐車スペースは三台分、公舎に配備された防弾の公用車は二台。うち一台は大佐を送って東方司令部に出ていて、今は一台しかない。

「こっちの車を、私服の彼が運転している時、『荷物』は確認しないように」

 大抵はシーツを掛けられたナニモノかが、後部座席に転がっている。その端から黒髪が見えても靴が見えても、見なかったことにするのが仕事のうち。

「イエッサー!」

 声を揃えた新人たちは、しかし不審な表情をしている。責任者は、説明の必要を感じて、だがなにをどう告げるべきか。

「猫、のような、ものと思っておけ」

 金髪の男の、見た目は大型犬だが、行動の認識は。

「大佐の飼い猫だ。失礼のないように」

「サー。イエッサー!」

今度の返事はまたはっきりと力強かった。

猫には主人の『いえ』の中で自由に振舞い、好きな事をして過ごす権利がある。