嵐の夜の猫・5 予告編
最初はごく、シリアスな報告だった。
「軍の訓練地に侵入者?あんなところに侵入して、なんになるというのだ」
黒髪の焔の国家錬金術師は凛々しく眉根を寄せる。野営訓練が行われる山地は事故防止のためにフェンスで囲い込んであるが棘や返しはなく、高さは大人の胸までしかない。子供でもよじ登れるシロモノ。それというのも、内部に何もないから。司令部の敷地からはずいぶんと離れた郊外の、水源地確保のために開発が禁止されている雑木の茂る山。
「キノコが採れますよ。春にはタケノコと山菜も。流れが豊かだから普通と違う、戻りヤマメとサクラマスがいました」
「あなたの野営経験は貴重だけどあとで聞くわハボック少尉。報告は、今年の運動……、失礼しました」
こほんと、中尉は珍しく恥かしそうな咳払い。
「今年の野営訓練で山地に篭った組の一部が、野生キノコの味が忘れらずに忍び込んで」
「その動機には共感できないでもない」
秋のキノコをたっぷり食べ、五十センチを越えるヤマメの降海型固体、サクラマスの紅身を飽食し、ツヤツヤとしている大佐が頷いた。恋人に強請られるまま、休日ごとにフェンスを乗り越え二十グラムのスプーン型ルアーでサクラマスを釣っている男もこくこくと頭をタテに振る。
戻りヤマメとは一年を海で過ごしたサクラマスとは違い、春に海に降りて開きに帰って来たものだ。大きさは三十センチを少し超える程度にしかならない。両者ともに身が紅いのは海で甲殻類、つまり、エビやカニといった美味いものを食べてきたからで、当然その赤い身は普通のヤマメなど問題にならないほど、美味い。
片身はさっと粗塩を振っただけで焼いて、もう半分はたっぷりのキノコとバターでソテーして、はむはむ食べるのが最近の大佐のお気に入りだ。もちろん一緒に白ワインをあけて、酔ってとろんとしたところを食われる。
「近隣の住人や関係者が山の幸を採取しに来ているという程度ならよいのですが、重機を使って掘り起こしたよりな痕跡があったそうです」
「それは、問題だな」
軍に反感を持つテロリストが地雷や爆発物を埋めた、という可能性を連想して大佐と中尉の表情が引き締まった所へ。
「イノシシじゃないですか?」
のほほーん、というBGMがかかりそうな口調のまま、愛煙家は貴重な見解を口にした。
え、と、二人は同時に振り向いて。
「随分大きな沢の片岸が崩されていたそうなのよ?」
「あー、沢の岸なら、自然芋狙いですよ、多分」
「フェンスがあるんだぞ?」
「でかいイノシシなら一メートル以上跳ねますよ。助走つけりゃ、もっといくでしょうし。いやその前に、沢伝いに潜って来れるか。嗅覚は犬並だし、鼻で大佐くらいは楽に持ち上げます」
「でかい、ってどれくらい?」
「だいたいブレダぐらい」
「さっきから抽象的よ、あなた」
「八十キロぐらいじゃ大きい方じゃないですかね。でも百キロ越えるでかいのもいます」
「俺は百キロもない」
「八十キロはあるだろ」
「それぐらいお前だってあるだろう」
「俺は七十六だ」
「あなたたちのプロポーションに興味はないわ。大佐」
「うむ。ハボック、本当に獣の仕業だと思うんだな?」
「イエッサー、十分ありえる話です。俺の田舎じゃイノシシのあだ名は、『山の耕運機』です」
「現場を見れば判断がつくか?」
「足跡が残ってれば、特徴がありますから」
「よし。見に行け」
「イエッサー」
「ついでに籠と、釣竿も持って行くことを許可する」
「……は?」
「自然芋というのは人間も食べられるイモか」
「はぁ。……まぁ……」
「スコップで掘れるか?」
「……はぁ」
「スコップもだ」
「……」
「……」
「……」
「……不服か?」
「いいえ……」