嵐の夜の猫・6 予告編
年が明けて数日。お正月気分がまだ抜けきらない街を、衛兵の運転する公用車で国家錬金術師たちが進んでいく。
「……なんてこった。大佐のおとぼけ菌が、俺にまで移っちまった……」
「隣で嫌味たらしく頭を抱えないでくれ、鋼の。わたしはちょっと、寝ぼけていただけだ」
「あ、あんたいまさりげなく逃げたね」
「本当だ。君が来る寸前まで寝ていた。あ、その角を左に曲がってくれ」
「ひきょーものー」
そんな会話を交わしながら車は大通りを離れ、路地に入っていく。細いが、明るくて賑やかなその通りは、どうやら近隣の会社務めや商店主たちがランチをとる一角らしく、細々とした店が並んでいた。
「君は腹が減って判断力が麻痺していたことにすればいいじゃないか」
「情けねーけどそーすっか。で、メシ、なに食わせてくれんの?」
時刻は午後一時。会社員たちの休憩時刻が終わり、人波がひきかけているいい時刻だ。車の中まで匂いは届かないが、あちこちの店先には本日のランチの皿がディスプレイされていたり、、お薦めメニューを書いた小さな黒板が椅子の上に置かれていたりと、眺めているだけでわくわくの雰囲気。
「実は、ずっと食べたいものがあったんだ。買って来てもらったことがあって、その味が気に入ってね」
「ふんふん」
「でも部下たちが許可してくれなかった。警備が難しいから、と言って。持ち帰りも一度だけだった。夏だったから、ちょっとおなかを壊してね。単に食べ過ぎただけだと思うのだが、食中の疑いをかけられてしまって」
「お気の毒サマ。偉いさんは辛いね」
「自由のなさは新兵と変わらない籠の鳥さ」
本当の新兵が聞いたら口惜しさに言葉もなく男泣きするだろう。が、新兵の苦労を知らない佐官待遇の軍属は、ふんふん、と頷く。目線は居並ぶビストロや食堂、リストランテに注がれて、大佐の言葉などろくに聞いていない。
「わりとちっちゃい店ばっかなんだな。みんな繁盛してっけど。大佐なんでこんなトコ知ってんのさ」
「以前、テイクアウトを買いに来たことがあるのだよ。ここらは大通りから一本外れていて、テナント料が安い区画らしい。そのわりに駅に近いから、独立したばかりの若い料理人が安くて美味しいものを出す、そうだ」
「ふーん。ま、大通りぞいの造作が立派な店の、メシが美味かった試しはないけどな」
「まったく同感だ。しかしそれよりひどいのは一流ホテルの最上階にある、夜景が美しいと評判の店だよ。景色を売り物にしたレストランにろくなものはない。バーなら、まぁ、女性連れなら、景色に金を棄ててもいいが」
「だよなー。でも世間には味が分かんない偉い奴が多いよねー。時々さぁ、軍の施設に銀時計で泊まるだろ?そーすっと連れて行かれる接待用の店って、つくりは派手だけど皿の上は犬の餌だぜ」
「年取って干物に近づくと舌の味蕾も枯れてくるんだろうさ。いまごろ、この街のそんな店も、偉い軍人達の会食で埋め尽くされているよ。新年だからね」
「プチホテルとかのラウンジはさ、家族経営でホテルのマダムが片手間にやってたりして、時々美味いこともあるけど、でっかいトコのテナントなんか、さーいてへぇ」
「きっと家賃を払うのにカツカツで、材料費をケチっているのだ。本末転倒だ」
「だよなー」
意気投合して、彼らは手を握り合わんばかり。しかしそれも、車が目的地に着くまでのことだった。
「……なに、ここ」
「君は行っていい。何処か駐車場のある店で、これでお昼でも食べていたまえ」
大佐は私服のポケットの内側から、小さな封筒に入った現金を運転手に手渡す。中身は五千ゼニー。ランチの代金としては破格だが、時として夜に数時間、待たせることを考えれば妥当な金額ともいえる。
「なぁ大佐。ここ、ナンなのさ」
「ふぅん、フィッシュ・アンド・チップス、というのか」
ブロローっと路地を抜けていった車を見送って、焔の大佐は店の看板を見上げた。ガラス窓ごしに見える店内は四人がけのテーブルが六つにテーブル席が八席ほど。そんなこぢんまりとしたつくりだが、テーブルに掛けられた白いリネンは清潔感に溢れて、なかなか雰囲気はいい。
雰囲気はいいのだが。
「やつらは皆、フィッシュンチップスというからそういう綴りがあるのかと思っていた。それか、フィッシュ・イン・チップスかと」
「それじゃ別の料理になっちまうだろ。なぁ、マジ、ここに入るつもりカヨ?」
「一年半の野望が今かなうんだ。時々通り過ぎるたびに、かつての味覚を反芻していたが」
「あんたが食い物に執念深いのはバジル騒動で知ってるけどさ、俺は家庭料理をご馳走になりに来たんだけど。フィッシュ・アンド・チップスなんか、旅の間、ずーっと食ってんだよ」
「そうん、なら安心だな。食べ方が分からなかったら教えてくれ、鋼の」
「だから、あのさ」
「行くぞ」
「……マジか?」