『嵐の夜の猫・7

 

 

 

「遊び相手にはジューブンでしょ」

「そうだな。遊ばれたんだ、彼女は。かわいそうだった」

 同情の言葉は率直で、嘘をついているようには聞えない。男は二つの頚動脈を交互に、脅すように押さえていた指先の力を少しだけ緩めた。

「地位も妻子もある男が歳若い女の子に手を出す時は遊び隊だけなのに、それすら知らない若さとは酷いものだ」

 総頚動脈は頭部に血液を送る血管の主幹だ。右は腕頭動脈の枝、左は大動脈弓の上行部から出る。総頚動脈は枝を出さず、気管・喉頭の両側を上行し、甲状軟骨上縁の高さで音叉のような形をなし内・外頚動脈に分かれる。分岐部の後側には頚動脈小体が存在する。また分岐部のないし内頚動脈始部の壁はやや薄く膨隆しており(頚動脈洞)、舌咽神経の枝を介し血圧を感受する。

「でもゴーカンじゃなかったんでしょ?」

「だからこそ、かわいそうじゃないか」

「自己責任ッすよ」

「その通りだが、かわいそうじゃないか」

 士官学校の授業で習った保健の知識を思い出しながら、それよりも実感に近いのは近接格闘だ。うまく不意をつくか押さえ込むかして背後から、自分の前腕と上腕の間に相手の首を挟んで決める締め技。締め付ける腕に頚動脈の脈拍を感じることが出来れば成功で、十数秒で気絶させることが出来る。

 してみようか。……意識を失わせて。

 裸に剥いて、昨日の痕跡を探してみようか、なんて。

 男は自分の凶悪な衝動を、舌の上で転がすように味わった。口の中が苦いのはアドレナリンが過剰に分泌されている証拠だ。粗野で乱暴な、その衝動を行動に移したことはまだない。が、いつでもしようと思えば出来る自分を確認するために、男は恋人を押さえ込み続けた。

「男が自分にどんな風なのか、抱き合って分からなかったんなら、女がバカだったンですよ」

「でもかわいそうだろう?」

「相手に奥さん居るのは知って寝たンでしょ?なら今更、なんの文句ですか。ベッドの中でリップサービスが過ぎた以上の責任を、男にとらせんのは勝手すぎますよ」

「多分、戦争が最近、起こらないからだろうな……」

「平和だと不倫事件が増えますよねぇ」

「戦時手当が出なくって、妻帯者の懐が淋しいからな」

「素人口説けば金がかかりませんからねぇ」

「残酷だが、それが現実だ。女の子には可哀想な話だがね。なぁ、ハボック」

「……はい……?」

「誤解をさせて、苦しめたなら、すまない」

 恋人が折れて、優しい囁きを耳元に吹き込んでくれるまで。

「彼女の話を聞いていたら本当にかわいそうで、咄嗟に慰めてしまった。我が身と比べると一層不憫でね」

「……ふーん?」

「わたしはとても優しい恋人を持っているんだ」

 そ、っと。

 頬を寄せられる。

 すべすべで暖かい。

 それだけで懐柔されそうな自分に苦笑する、余裕が男の頭上に戻って来た。

「力強い、とてもいい男でね。ちょっと嫉妬深いのが玉に瑕だが、それも情熱と言えない事はない」

「……浮気したら殺すよ」

「真昼間から、あまりときめかせないでくれ」

「とりあえずおしおきしちゃっていい?」

「嫌だよ。怒られるようなことはしていない」

「キスしてた」

「キスだけだ」

「だけでも、十分、俺おこってるよ?」

「じゃあキス一個分だけな。家に帰ってから」

「しばらく帰れないンでしょ?」

「執行猶予を願う」

「そのうちに、俺が忘れると思ってる?」

 男は微笑んだ。いつもの気のいい好青年風ではない、眇められた目じりがセクシーな笑み。

「今カタつけさして。今夜も口惜しくて眠れないのはゴメンです」

「それで許すと約束してくれるかね?」

 ほんの少しだけ首を傾げて尋ねてくる様子は地位や年齢に関係なく可愛らしくて、男は甘く緩みそうな気持ちを、下腹に力を入れることで引き締めた。

「アジ次第ですね」

「ここでは嫌だ。バスルームへ」

 執務室の奥には大佐専用のサニタリーと仮眠室がある。仮眠室はベッドが置いてあるだけの空間だが、ユニットバスには、さすがに鍵がかかる。

「なぁ、ハボック」

 大人しく奥へ連れ込まれながら。

「まさか本番はしないな?」

 少し不安そうに尋ねるのが可愛くて、わざと乱暴なキスをした。