うさぎの大分まる齧り旅日記・しょの2
うんちょ、よいちょ。
拝観料をちゃりーんとお支払いちて、受付で竹の杖を借りて、みんなで山道をよじ登りまし。駐車場から途中までは石段といってもそりなりに整備さりた道でし。が。
「こ、ここからが、九十九段の始まり……?」
「うおっ、ナンて急斜面!40度こえているんじゃ?」
鬼が権現しゃまに騙されて一夜で作ったという石段をぜぇはぁ。若くてぴちぴちのうさは楽勝でしが、オバチャンでヨタヨタの凪しゃんは苦労ちていまし。詳しい状況はまぁこしゃまのぶろぐで見ていただくとちて、でも、ウチの凪しゃんにちては、まぁまぁ頑張りまちた。
「お昼休みに3000歩、お散歩を日課にしているんです。もう四ヶ月くらい続けてます。歴史ファンは体力勝負ですから」
さよう、歴史ファンにはフィールドワークが必須デシ。オタクも金力と体力が明暗を分ける職業(?)デシ。えっほ、やっほ、頑張るんんば、でしっ!
「ひ、いぃいいぃぃー!」
なんとか現地にたどり着いた三人と一羽を、熊野磨崖仏しゃんは迎えてくりまちた。不動明王しゃんと大日如来しゃまが居るのでしが、大日如来しゃまの方は苔の除去作業ちぅということで足場に覆われてまちた。じゃんねん。んでね、しょの上のお堂にも行きまちた。熊野といえば修験道。お堂の敷地の隅にはロッカーつきの小屋があって、うーん、もちかちて山伏しゃんたちはここから奥山へ修行に出るのでしかしら。ひぇーん!
ここは名前の通り、紀伊半島の熊野権現を国東の地に勧請したのでし。平安末期ごろとユわりてまし。しょの頃の国東は瀬戸内貿易の根拠地の一つとちて大いに栄えておりまちた。
勧請といえば、凪しゃんの本名は全国的には珍しいんだけど大分に多い名前でね、そりもしょの筈、江戸時代の初期に三池藩黒田氏が宇佐八幡を勧請ちた時、神官のお供をちてついて来た下男しゃんの子孫デシ。神社の周辺、三池街道に添った山間地を開墾ちながらほにょほにょと生きてきまちた。集落に同じ姓は四十軒近くありまし。神官しゃんちぃは一軒のままなんだけど。開墾地だから分家が容易だったのと、みんな、夫婦仲が良かったんでしね。
だから宇佐はなんとなく他所の土地じゃないの。地名からちて、うさうさの第二の故郷に相応しいともユえまし。うふふふふ。
さぁ、みんなで不動明王しゃまに鮫しゃんの無事を祈るよ!貞操はムリムリだろうけど命だけは助かりましゅよーに、でし。しょんなこと祈られる不動明王の迷惑は気にしないの♪なむなむ、でし。
「来れて嬉しいです。ずっと来たかったんです。人生の宿題がこれで一つ、済みました」
まぁこしゃまが嬉しそう。えへ、喜んでもらえるとうさまでうれちぃよ!ガクガクのお膝で山道をまた伝い降りて駐車場へ。うさたちと入れ替わりで登っていくガイジンしゃんたちとすれ違いまちた。あ、杖を持っていないでしよ?
ううっ、英語で、この杖をどうぞというのは、ナンて言うのかちら。わかりましぇーん。とりあえず笑顔でニッコリ、はい、どじょ!
「サンキュー、ベリーマッチ」
ガイジンしゃんはにっこり笑ってくりまちた。えへへ、どういたちまちてぇ!
「ついでにこっち、拝んでいきましょう。胎蔵寺です」
知人が車を買うたびに、何度、国東半島一周の度に連れ出されたか知れない凪しゃんがユいまちた。
「立派なお寺ですね。……、ちょ、な、ナニッ?!」
「ぶ、仏像が金色?タイのお寺みたい!」
んむ、お二人ともさしゅがデシ。はい、200円を出して高い方のおみくじを引きなしゃい。おみくじには、金色のちっちゃなシールが五枚、入ってまし。印刷してある凡字は『か』と読むのよ。種という意味デシ。
「う、うぅーん」
「七福神が居るのに五枚しかないのがあざといですね。悩む……」
七福神の他に、竜神様にも天狗しゃんにも、小指の爪くらいのシールが張り付けられて、ピカピカ輝いてまし。こりって本当は金箔を貼ってお願いしゅるものなのでし。タイとかミャンマーの南伝仏教(小乗仏教)の信仰によくあるカタチでし。熊野信仰は欣求浄土の色合いがツヨイので、南伝的とユえばユえるのかなぁ。うさはにぃにぃ教のなきうさしゃま信徒だからよく分かりましぇん。
でもとりあえず、金色のシールを貼りつけまし。まじゅは健康、そりから金運、勝負事にも勝ちたいし、長生きもちたいデシ。幸福に生きていくには、び、美貌も必要でしぃよね。うぅーん、ナヤマチィ……。
しょんなこんなで、キャッキャと楽しんで、うさ一行はお車に戻りまちた。こりから真木大堂へ行くでしよー!
九体の仏像があるのでしが、いずれも国の重要文化財。なのにざっくり、纏めて飾られているのデシ。日本最大の大威徳明王も居るの。憤怒の焔を纏った様子はボシュみたいでぇし♪相当に古い時代の作でね、藤原時代、つまり、10世紀から11世紀にかけての作品デシ。六郷満山(国東半島の六郷は寺社に満ちていた)の総本山だったと伝えられるお寺でしが、700年前の火事のときにヒィコラみんなで避難さしぇたとか。でも確かな文献も残っていなくて、幻の大寺と呼ばれているしょーでし。んでも、現存する仏像を見る限り、相当の勢力を持っていたことは確かでちょう。
「へぇー、凄い!」
「詳しいですね、うさぎさん。私は小学校の社会見学で来たことがあるだけです」
お車で山道を15分も走れば目的地。えいっと駐車場にお車を入れて、また200円、お支払い。しょの前にうちの凪しゃんは鐘楼に寄って記帳し、100円を芳志ちて鐘を衝きまちた。田舎育ちの凪しゃんは鐘を衝くのがちっと得意。勢いを二・三度つけて、余韻が長く伸びるように、ゴオォオオォォーン。
うーん。豊後高田の仏の里に、鐘の音が響き渡りマシ。この音は鮫しゃんの無事を祈る音。聞かされる周辺住民の方々、お気の毒でし。ゴメンナシャイ。
「言わなきゃ分からないよ、うさ」
ん。ま、そりもしょうでしね。お靴を脱いでスリッパに履き替えてお堂の中へ。
「うわ……ッ!」
初体験のAぢゃ子しゃまがびっくりしてくりたよ!
「あー、やっぱり、小学校の頃とは違います」
仏像しゃまは1000年以上も変わっておらりないので、変わったのはまぁこしゃまの魅力を感じるちから、デシ。コドモには理解できない美というものがこの世には多く存在、いたしまし。32歳にして艶やか美貌で暴れん坊な鮫しゃまの素晴らしさとかね。きゃふーん!
五人ほどの団体しゃまがいらっしゃいまちて、説明係のシトはそちらについておらりまちた。うさたちは好きなことを言い合いながら、時々はしょの説明を盗み聞きぃ〜。マイペースなうさたちは、学術員しゃまにピッタリつかれるよりしょっちが有り難いでしの。んでね、団体しゃまと説明のシトたちが、盛り上がっていたのは九州国立博物館に来た天平の美少年・阿修羅像について。
「行かれたのですか?いつごろですか?羨ましい!わたしも行きましたが現地に到着したのが2時で、入場が4時間まちと書かれていて、泣くなく、本当に泣きそうになりながら諦めました」
切なく仰る説明係りのシトのお言葉に。
「ぷ」
「ぶ」
「ふ」
三人が笑いマシ。あっ意地が悪い!う、うさの背中が震えているのは笑いを我慢、ちているんじゃないでしよ!か、風が強く吹いているから、でし!
屋内でしぃけど。
拝観を終えて周辺を散策。石の塔がたくさん集めてありまし。旧本堂も拝見いたちまちた。
「凄かったです。水牛に跨った日本最大の大威徳明王。でも、火の鳥に包まれた不動明王が一番でした。焔の造詣が素晴らしいです」
と、感想を仰ったのはAぢゃ子しゃま。しょーでしネ。あっちも木造の不動明王とちては日本最大なの。彩色もよく残っていて、鳥を模してある赤い炎が、とってもお洒落でし。火の鳥ー!
「興福寺の国宝展にまったく見劣りしませんよ。凄いものが国東にはすあるんですね。眼福でした」
「それにしても、こんなところまで来ても、阿修羅に会えなかった話を聞くとは」
「ふ、ふふふふふ」
「うふふふふ」
笑いあうシトたちの笑みには理由がありマシの。このシトたちは8/2、大宰府の国立博物館で行われている興福寺1300年記念の国宝展で、阿修羅に会ってきたのでし。興福寺ではガラスの中で正面からしか見えない阿修羅しゃまを、ケースなしの360度、背面までかぶりつきで見てきまちぃた!
「あれも楽しかったなぁ。生まれて初めて大宰府にも行けたし。凪さんの作戦とAぢゃ子さんの運転のおかげです」
優しいまぁこしゃまに褒めてもらえて。
「勝敗いは戦略だよ、ハガネの」
チョーシに乗った我が家の凪しゃんは嬉しそう。あの作戦は、Aぢゃ子しゃまとの共同立案だったけどね。前夜から福岡に集合、生パスタを食べたり温泉に漬かって英気を養い、翌日、早々とレンタカーに乗って、うさ一行は大宰府に乗りつけたのデシ。
国立博物館の駐車場はしゅぐ満杯になるし、細いお道の一通ロータリーなので抜け出すのにもしゅんごく時間がかかりまし。大宰府の駐車場に車を置いて、うさたちはえっさほっさと歩いて、宝物殿の裏からの通路を登りまちた。しょの前に入場券を買っておきましょう窓口に並ばなくていいように、と、知恵を出してくりたのはAぢゃ子しゃま。おかげでうさたちは会場前に到着、入場で並んだのも20分くりゃいで、阿修羅しゃまも、しょの他の仏像も、たーくさん見れたよ!
阿修羅の周囲に人が集まって動けなくなると、学芸員のアンチャンが、
『では時計回りに移動しましょう。そーれ、オイサッ、オイサッ、オイサッ』
と、手拍子をとりながら山笠の掛け声をかけまちた。悲しい南国人のサガ、オイサッと聞くとカラダが動くうさたちは、まるで傀儡子に操られる土人形のよーにしゅなおに、手拍子に合わせて移動ちてちまいまちた。うーん、あの学芸員しゃんはうさ一行を凌ぐ、素晴らしい戦略家でちた。
しょの顛末も詳しくは、まぁこしゃまの8/2前後のブログを見てくだしゃいね。たっぷり拝見ちた後は、そば処宝満茶屋・山公という、おいちぃそば屋しゃんでおそばを食べまちた。竈神社か、ベスターですね、と、Aぢゃ子しゃまが仰って、うさは惚れまちた〜。
しょのAぢゃ子しゃまが、ヒールの高いパンプスを履いて来られたせいで往路は凪しゃんの運転と言う恐怖も味わいまちぃたが。大宰府近くの西鉄ストアで運転のできるサンダルを買って、山道は運転ちてくりたので良かったでしぃ〜。おそば屋しゃんのすぐ近くには都久志の湯という露天がおーっきぃ温泉があって、しょこにゆっくり、ちゃっぷんちて帰ったヨ。最近の大宰府はみかさの湯や天拝の湯が大人気、こっちぱ人が居ないはず、という凪しゃんの予想は大当たり。ほぼ貸切で、ひろびろー、っと、楽しんだのでちた。
「遊びは戦略ですね」
「うふふ。今頃、由布院や黒川に行った人たちは渋滞の中だろうなぁ」
「やっほー♪」
たいへんご機嫌な三人と一羽は、お車に戻って、そちて。
「次は富貴寺に行きます。こっちは建物そのものが国宝です。九州最古の木造建築ですよ。拝観時間に間に合わなかったら外観を拝んで帰りましょう」
んー、でも今日はお天気がいいからきっと、内部を開放ちてありましよ。Aぢゃ子しゃまの運転なら大丈夫。ごぅごぅ!
「頑張りますっ!」
火の鳥効果でテンションの揚がったAぢゃ子しゃまは、凛々しくアクセルを踏んでくだしゃったの、でちた♪