愛し合ったことを御曹司は喋らなかった。もちろんオンナも話さなかったけれど、周囲にはすぐにバレてしまった。
「スクちゃん、はい」
優しいオカマはそれを咎めない。気がついたことさえ言わないでおいてくれた。ただ、食事のたびに料理の配られる順番が変わった。若い御曹司が最初、それからは幹部の古参の順番だったのに、次が銀色のオンナになった。
「ん、サンキュ」
オンナは素直にそれを受け入れたが、あまり嬉しそうな様子でないことに御曹司は気がつく。夕食を済ませた部屋で二人きりになってから尋ねた。辛いか、と。
「何が?」
きょとんとした表情で、居間の片隅のバーカウンターに入り、コーヒーを淹れていたオンナが問い返す。淹れられたコーヒーは二人分。カップにスプーンを渡し、角砂糖を置いてブランデーを滴らせ火を点け、着けたままをスプーンごとコーヒーに落として溶かして飲むカフェ・ロワイヤルを。
夕食後に飲まないと寝付きがわりぃンだと言って銀色のオンナはシンプルなカップとツノつきのスプーンを持ち込んだ。
長く一緒に居たのに、そんな習慣を持っていたとは知らなかった。就寝前にコーヒーを飲む習慣は御曹司にはしっくりこなかったが、目の前で綺麗な青い焔を見せられ、美味そうに口をつけるオンナのことは飽きずに眺めていた。
誤解したらしい女が、飲むなら淹れてやるぜと言いだして、飲みかけでいいと御曹司は答えた。飲みたかったのはカフェ・ロワイヤルではなくてオンナが口をつけたモノ。
けれどカフェも美味かった。気に入った様子をオンナが喜んで、翌日にはカップとスプーンは二つ用意された。夜には似合わない濃い目のカフェを飲みながら、そういえばコーヒー豆はもともと精力剤だったなと、御曹司はそんなことを思う。
「ほらよ」
気軽に手渡されたカップに口をつけながら、今夜はどんな風に喰ってやろうかと御曹司は考えた。考えられていることにオンナは気づかず、美味そうに褐色の液体を飲む。
「こういうのは辛いか」
「どーゆーのがぁ?」
いつもより高い音程の声で誤魔化そうとした銀色に。
「オレと一緒に居るのは辛いか」
御曹司は逃げを許さない。厳しいなぁ、という顔で銀色は長い睫毛を湯気に揺らす。表情の悲しさに御曹司は後悔した。尋ね方を失敗したことに気づいて。
「すげぇ」
「辛いか」
「楽しいぜぇ」
「……」
嘘つけと、御曹司は心の中で思った。楽しいという表情ではない。目元が青白い。
「ルッスの気持ちがちょっと分かったりしてな。オマエに構うの、なんかすげぇ楽しい」
「……かまう?」
「カフェ淹れたのをオマエが飲んだりすんの、面白いぜぇ」
「……」
御曹司にはよく分からなかった。ペットに餌を与えて喜ぶようなものだろうか?
確かにそんな生活の細々したことは楽しそうにしている。目覚めた朝、ベッドにミネラルウォーターを運んできたり、休日に部屋へ運ばせた朝食のパンにバターを塗ったり、ということは、凄く楽しそうに。
「……」
無言のまま、御曹司は空になったカップをオンナに渡す。オンナは受け取り自分の分と一緒にカウンターへ運んで、簡単に洗った。片手が義手だが日常生活は何不自由なく器用にやってのける。だから義手だと殆どの人間が気づかない。
「ここに居るのは辛いか」
「悪いことしてんなぁ、とは、思わねぇワケじゃねぇなぁ」
手を拭いて、御曹司が座るソファに近づきながら銀色のオンナが言う。束ねていた髪を解き、床にぺタンと座り込んでまだ少年の膝に頭をつけた。懐いた猫が主人のそばに居たがるような仕草に御曹司が少し笑う。髪を指先で撫でてやる。
「ジジイにも家光にも悪ぃけど、オマエに一番、悪ぃよなぁ」
「なんの寝言だ。眠いのか?」
「ごめんなぁ」
「てめぇが毎回、何を謝るのか分からん」
セックスは、最終的にオンナが膝を開いたから辛うじて強姦ではないという程度の強引さで御曹司から仕掛けた。部屋での同棲は一緒に決めた。愛し合って起きた翌朝、ルッスーリアがそっと差し入れてくれた朝食を一緒に食べているうちに、どうしようもなく離れがたくなって。
こうやってソファに一緒に座り込んだ。昼前、くらいになってやっと、部屋に帰ると言い出したオンナに、着替えたら戻って来いと御曹司が答えた。何秒か考えて、オンナがうん、と答えて、着替えて本当に戻ってきた。
そのまま一緒にこの部屋で『暮らして』いる。ボンゴレ御曹司の住む館は広く、主人と従者の生活空間は離れているからどうしてもそんな表現になる。十代目や沢田家光には既に知られているだろう。どちらかから、何かを言ってくる時は近いだろう。
「オマエ未成年だからよぉ、責任はぁ、オレにあるんだぁ」
「てめぇはオレの手駒だ。てめぇの失策はオレの責任だ」
「どっちから誘ったとか関係なしに、そんなことしちゃいけねーんだって止める、義務がオレには、ホントはあったんだぁ」
「だから、なんだ」
「庇うなよぉ?」
「てめぇをか?」
「おぅ。何があっても、オレが悪ぃんだから」
「良い悪いに興味はねぇ」
善悪ではなく強弱がものをいう世界の中で、生きてきた御曹司には観念に興味が無い。
「いったいナニを、そう気にしてる」
「んー」
「答えろ」
「オマエの結婚に、こーゆーの差し障るよなぁ、とか」
「結婚?」
御曹司は鼻先で笑う。そんなのはまだ想像も出来ない。ずっと先の話だ。
「すんのは先でも相手は決まってるだろ。ボンゴレの身内のどれかとするんだとすると、相手の親の、耳に入んのも早いよなぁ、とかよぉ」
「……」
「ごめん、恨み言いってんじゃねぇんだ」
黙りこんだ御曹司の機嫌をとるように、銀色のオンナはその膝を撫でる。滅多に他人に触れさせない気難しい少年に、こんなに親しく触れられるのは嬉しかった。
「すげぇ幸せだぜ。オマエのそばに居られて」
「……」
「ぜんぜん辛くねぇよ」
「……」
「ホントだ。信じろぉ」
「……どうだかな」
「まー、信じられなくってもしょーがねぇけどよぉ。オレだって自分がオマエんこと、こんなに好きとか、ずっと知らなかったもんなぁ」
「……」
そんな言い方をされてしまうと、天邪鬼なところのある若い御曹司は信じたくなってしまう。御曹司は自分がこの銀色を欲しがっていることを二年ほど前から知っていた。知っていたけれど抱いて寝るまでは、一緒に居るのがこんなに心地よいことだとは思っていなかった。
「なぁ、眠い」
時計の針は九時を回ったところ。宵っ張りのマフィアの生活では宵の口の時刻。銀色のオンナが御曹司の膝に、懐きながら告げた『お願い』は寝室に入っていちゃつこうぜ、という誘い。
「……風呂に入ってくる」
「あ、オレも」
「てめぇはそのまんまで待ってろ」
「えー。一緒に入ろうぜ」
「終わってからな」
なんだよオマエ冷たいぞぉ、と、不平をこぼす耳元に。
「……匂いがする方がいい」
若い御曹司は早口でそんな言葉を告げる。この銀色のオンナは体臭が薄くて、シャワーを浴びられると殆ど無臭になってしまう。一日の汗の気配が残っているのを嗅ぎながら抱きたいと、重ねて言われたオンナは耳たぶまで真っ赤にして恥ずかしがる。
「ヘンタイ、変質者、ムッツリ、えろやろー」
罵り文句も頬を染めて俯きながらでは効果が無い。
「オトコがエロくなかったら病気だろ」
若いくせに生意気な口を利いて御曹司はバスルームに向かう。
寝室のベッドの中、銀色のオンナは服を脱いで、裸で毛布にくるまって、御曹司が来るのを待っていた。
「……」
湯上り、バスローブの紐を解きながら、蜂蜜色の毛布を剥ぐ瞬間のときめきを堪能しながら、若い御曹司は顔がにやけるのを意思の力で押しとどめた。
「……、ん」
カラダを重ねる。裸の肌を。抱き合って繋がって揺れあう。合間にキスをして撫であう。暖かくて柔らかくて安らぐ。快楽というよりも幸福。こんな心地よさが人生に用意されているとは思わなかった。
「あ……、ふ、ン……」
愛してやるたびに濡れた音とともに透明な声をあげるオンナは感度のいい楽器のよう。指先で触れると耳に心地良い和音を奏でる。『教育』のために体験した娼婦はこうではなかった。
もとの用途が違うから、仕方の無いことかもしれない。オトコを上手く遊ばせなければならない玄人は自分がマジに感じていては商売にならないのだろう。そんなことを理解しつつ尚、こっちが本物じゃねぇのかと若い御曹司は思った。
「……、だな」
「ん……?」
「てめぇを、取り上げられんのは……」
嫌だなと心から言った。いずれ近い将来、父親か沢田家光からかの使者が来てこれを手元から引き取っていくのだろうか。子犬の時に拾って育てていたのに大人になったら持って行かれてしまった犬のように。雑種だからオマエには似合わないよという父親の判断に御曹司は逆らわなかったけれど、あの犬がたぶん、命ごと始末されるのだということは分かっていた。
このオンナがそんな風にされるのは嫌だ。年上で素人で、ボンゴレの一族ではないからオマエには似合わないよと、残酷な大人が迎えに来るのだろうか。最後まで自分を振り返りながら不安そうに連れて行かれた犬のことさえ時々思い出して後悔するのに、これをそうされたら一生悔やみそう。
抱かれながらそんなことを言われたオンナは困惑し、何かを答えようとしたが出来なくてぽろぽろ泣き出す。うえぇ、と泣かれて御曹司は、ぶっと噴出してしまう。
「おま……、泣かせ、といてわ、らう、なよぇ……。うえ……」
「なんで泣くんだ。おかしなヤツだ」
「うるせぇ。ヒトが必死で、覚悟してんのに、揺らすなぁ」
「なんの覚悟だ」
引き離される覚悟だろう。殺されるからセックスは嫌だと言ったこのオンナが、同じ部屋での起居までしているのは、色々覚悟を決めたからだろう。
「テメェを……」
そばから離したくないと、養父に告げるのはたぶん逆効果。個人に対する執着をボンゴレ九代目は決して認めようとしない。王者は臣下に公平に接しなければならないという大義名分はご立派なものだ。気に入っていると知られれば取り上げられることを、長年の経験で御曹司は学んでいた。
「ナンにも、いらねぇよ」
屠所に牽かれていく日が近いことを覚悟した声で。
「オマエが十代目になるの見て、みたかったけどなぁ……」
そうしてその傍で雨の守護者として、その治世を守り抜きたかったけれど。
「まぁでも、いいぜ。すっげぇ今、幸せだから」
罪を全部かぶるつもりの命がけの愛情。
「ナニがあっても、オマエは気にすんなよぉ?別にオレのこと、愛してるから選んだワケじゃねぇンだから」
「……」
優しいオンナを抱きしめてやりながら、自分は間違ったのかもしれないと、御曹司は考え始めていた。