どうしてこんな事をした、という問いかけに。
「テメェが続きを寄越さねぇからだ」
王者の資質を十分に見せた貫禄でボンゴレの御曹司は答える。
「自分が十六だった頃を思い出してみろ家光。味だけ覚えさせられて、そのまま我慢出来たか?」
詰問の使者は門外顧問。ボンゴレ本邸からのものでなかったことに、御曹司は内心で少しほっとしていた。
煙たい存在であることは変わりないが、これは養父よりも女子供に優しいところがある。銀色の鮫とは長い付き合いでかなりの情も移っている。情け容赦なく『不良品』扱いするだろうボンゴレからの使者よりはマシだろうと思った。自分自身ではなく、オンナの処遇について。
「手近なメスがコレしか居なかったからだ」
答える自分を背後から、話題の当人がまじまじと見ていることに御曹司は気づいている。そんなに眺めるな穴が開くだろうが、と、心の中で苦情を照れ隠しに呟く。
「……そういうことにしておいてやる、愛情があるのは結構なことだが」
門外顧問はガテン系の男だが聡い。愛している訳ではないという御曹司の台詞の意図を正確に理解する。銀色のオンナを庇っているのだ、と。
「さっさと別れろ。彼女を破滅させたくなければ」
「別れるも何も付き合っちゃいねぇ」
「お前の主張はそのまま伝える。要求するものは与えられるだろう。ちゃんとそっちと仲良くしてスクアーロとは別れた証拠を示せ。それがせめてもの慈悲だ」
「……あぁ?」
家光の喋り方が気に触ったらしい御曹司は顔を傾け馬鹿にした声を出す。喧嘩を売るなよと背中で銀色のオンナがはらはらしている。
「ボンゴレでファミリー内での私通は許されん。閥を作ることになるからな」
確かにその通り。ファミリーという呼び名は伊達ではない。同じ組織の仲間は精神的な家族の扱いを受けるため、組織内でのセックスは許されない。それはカトリックにとっては重罪の『近親相姦』と見做されてしまう。
「寝言をいうな、家光。オレはヴァリアーのボスだ」
それは事実。前ボスだったテュールを銀色の鮫が倒した時、勝者は敗者が就いていた地位にトライする権利を得た。一年待ってもテュールを倒した鮫とやりあおうという対抗馬は現れず、正式にボスの地位を得た銀色はそのまま、その地位を自身のボス、ボンゴレの御曹司に献上した。
「オレにはヴァリアーの中の、気に入った女を妻にする権利がある。違うか?」
御曹司の主張は正しい。ファミリーの中でトップのオスだけは、内部のメスを娶って繁殖をする権利がある。
「妻ってぇのは、冗談だ」
目の前の沢田家光と背後の銀色の鮫が、凍りついたまま絶句しているのに満足して御曹司は言葉を継ぎ足す。
「……びっくりさせるなよ」
硬直していた家光が額の汗を拭いながら言った。
「お前が本気からこの場から、スクアーロを逃亡させなきゃならないところだった」
心の底からほっとした様子の沢田家光に、フンと御曹司は鼻先で逆らう。気に入ったオンナを抱いたというだけで、そこまで言われることがやや不快だった。
「今日は帰るが、いいかザンザス。自分の立場をちゃんと弁えろ。お前が九代目のお気持ちに逆らう真似をしたら、お前の側近が処罰されるんだぞ」
「情婦の一人や二人に煩いのは了見が狭い」
「おいっ」
「って、オブラート百枚くらいに包んで言っておけ」
「お前は普通のマフィアの跡取りじゃないんだぞ、ザンザス」
「今更、誰に、何を言ってんだ?」
沢田家光の言葉を御曹司は片頬で笑い飛ばす。ただのマフィアの跡取りであれば、従兄弟たちかから生命を執拗につけ狙われることもなく、連中を順番に冥土へ送る手間もかからなかっただろう。大ボンゴレの巨大組織を継ぐからこその過酷な試練を、この御曹司は既に長年、受け止めて生きている。
「お前はいずれボンゴレの発展の為になる令嬢を、娶らなければならない立場だ」
「……」
それは覚悟をしていないでもない。将来のこととして、政治家か財閥か、ボンゴレの身内の女かを妻にしなければならないだろう。けれどもそれは遠い将来の試練。今から、その準備をしておくこともない。
「素行は大切だ。悪評に繋がる真似を、するな」
「清く正しいマフィアのボスか?ジジィがいかにも好きそうなお笑いだな」
「ザンザス」
「あぁ分かった分かった。せいぜい気をつける」
「本当に分かったのか?」
門外顧問は危惧の気持ちを隠そうともせず、若い御曹司とその背後に立つ銀色のオンナを眺める。
「お前は彼女を破滅させようとしているんだぞ」
「くれる情婦は、ババァがいい」
「……なんだ?」
「オンナの差し入れ、寄越すんだろう?」
銀色の鮫の前で、御曹司はにやりと笑いながらそんなことを、言う。
「この前みたいな若いのは面倒くせぇ。黙ってても分かってる年増がいい」
言われた門外顧問は何かを言い返したそうだった。後見人のつもりの沢田家光は、この御曹司がスクアーロに手をつけたこと事態に腹を立てている。心配そうな本人の様子と、白々しい嘘を口にして庇おうとする若い御曹司の珍しい態度に、合意の上で愛し合ったのだと感じて、怒鳴りつけたい気持ちを抑えているのだ。
「……分かった」
なんとかそれだけを答えて、門外顧問は御曹司の館から辞去する。ふかふかの椅子に腰掛けたままで御曹司は背後に向かって手を差し出す。ゆらり、椅子の後ろに立っていたオンナがその手を右手で握って、そして。
「うえ……」
頬に押し当て、泣き出した。
「膝に来い。なんだ、泣くな」
「ザン、なぁ、もぉ……、ジューブン……」
「テメェの望みどおりを家光に言ってやっただろう。文句があるのか?」
愛していない、選んだ訳ではない、他に居なかった使っただけだと、告げた家光の反応が若い御曹司にはひっかかった。この銀色を庇っているのだと解釈しやがった。ということは、コレの取り越し苦労ではなく本当に本気でヤバイのだろうと、御曹司も認めないわけにはいかなかった。
「あり……、がとなぁ、もぉ……。殺され、たって、オマエを恨ま、ねぇよ……」
目の前で家光から庇われた銀色のオンナは本当に嬉しかったららしい。引き寄せられるまま御曹司の膝に座り、胸に顔を埋めて泣きじゃくる。
「妻ってぇのは、勿論冗談だが」
そんなことはまだ、想像も出来ないが。
「うぇ……、えぇ……」
「情婦にはしてやるぞ」
それにはもう、既にしている。うれし泣きする銀色を撫でながら御曹司が言った、口調は優しかった。
「家光が寄越すオンナをフェイクでは抱くが」
「お……、ぅえ……、えぇー」
「本当のイロはテメェだ」
「ザンザす、ぅ……、うぇ……」
「泣くな。てめぇは泣くとブスになる」
黙ってすまし顔で居れば、女優かモデルかというような美貌の持ち主のくせに、この銀色には自分が美女だという自意識がなさすぎる。子供のように無邪気に、といえば聞こえはいいが、綺麗な顔を台無しのぐしゃぐしゃにして泣くのに、若い御曹司は内心でうんざり。
「嬉しいならキスしろ」
「ん……」
「鼻水なすりつけんなよ」
「……うん」
びいー、っと、高い音を立てて銀色はポケットから取り出したハンカチで洟をかむ。ため息をつく御曹司には気づかず、右腕をその肩に廻して唇を差し出す。長い睫毛に目元をくすぐられ、御曹司はやや機嫌を直した。
「ん……」
キスに応えて舌を舐めながら、服の上から掌を這わせオンナの身体をまさぐる。細腰から尻を撫で回してやるとカラダを捩って離れようとしたが、許さずに膨らみを揉んだ。
「ちょ……、ぁ……」
はぁ、と、浅い呼吸を繰り返すオンナに。
「足りないアタマで、心配、するな……」
囁いた御曹司は本当に優しかった。
優しかった、のに。
イギリスに留学する。
テメェは連れて行かない、と。
「……分かった」
告げた御曹司の横顔には、銀色のオンナに何も言わせない固さがあった。
「留守番、しとくぜ。……待ってていいんだよなぁ?」
それだけは我慢できずに尋ねた銀色に、御曹司は何も答えないで行った。置き去りにされた銀色の身の上には悲しいことばかりが起こった。館は閉鎖され、行き場をなくしてボンゴレ本邸の一角に移されて、仕事を与えられることもなく無為徒食、肩身の狭い思いを散々に、した。
「しばらく故郷で骨休めしてきたらどうだ?」
沢田綱吉のアドバイスが退職勧告なのは分かった。けれども銀色はアタマを縦に振らなかった。ボンゴレの門は高い。一旦外へ出されれば、二度と内部を伺うことは出来ない。何も言ってくれないままで行ってしまった若い御曹司と、二度と会えなくなる。
飽きられて、棄てられたのかも知れないと、思うことも、ないではなかったけれど。
帰りを待って居たかった。本人の口からはっきりとした別れを告げられるまでは、脱いだコートを受け取れる場所に居たかった。残酷な真似をせられても。