馬鹿馬鹿しさに、若い御曹司はため息をついた。

「お前にその気がないとしても、俺には手袋を投げつける権利がある」

 無駄に盛り上がっている目の前の二枚目のことも。

「お前が彼女に真摯じゃないっていう、それだけで十分な動機だ。彼女の名誉の為に決闘を申し込むぜ」

 馬鹿馬鹿しくても一応は同盟ファミリーのボス。ボンゴレに利益を与える組織の主催者の、主張は一応、最後まで聞いてやらなければならない。金髪の二枚目は御曹司よりも六つ年上だが、心の中で少年は、若造がオンナの前だからって跳ね返りやがって、と、うんざりしつつ呆れている。

「お前は彼女に対してどんなつもりで居るんだ。猫の子みたいにボンゴレは俺に彼女投げ与えた」

「……」

 ここがボンゴレ本邸のパーティー会場の片隅なのか国立劇場なのか分からなくなる熱弁に、拍手を送るべき洟で笑い飛ばすべきか、御曹司は迷ったがどっちも面倒になってやめた。本当に馬鹿馬鹿しい。

「彼女が俺に突き出されたのはお前の意思なのか?だったらどうして彼女に触れた。愛してもいないならどうして?」

 てめぇにゃ関係ないことだろう、と、そんな言葉を告げるために口を開くことさえ馬鹿馬鹿しい。金の跳ね馬が自分に噛み付くのを、その背後で心配そうに聞いているオンナの、ドレスの裾から覗く脚も開いた胸元の生地を支える肩も、ずいぶん痩せて骨ばってごつごつしているのが、妙に目に付く自分の視力も馬鹿馬鹿しい。

「彼女をお前から投げ与えられるのは御免だ。俺は自由な彼女から本人の意思で選ばれたい。彼女の自由を賭けて、俺と決闘しろ、ザンザス」

 そう言うオトコの懐に、確かにオンナを突き飛ばすつもりだった。理由は色々ある。一番大きなソレは、口が裂けても、他人に言うつもりはない。

「お前をずっと守ってきた彼女に、こんな報酬を与えることが許されると思うのか?」

「……」

 それなりになかなかの、施しのつもりだった。

 目の前で喚く男は若くて見目がいい。銀色のオンナをずっと愛して欲しがっていた。大切にされると思っていた。なのに。

「表に、出ろ」

 痩せてみっともなくなっているのは何故だ。まじまじと眺める御曹司とまだ一度も視線を会わせ切れない臆病な様子はどうして。宝物のように大切に傅かれていると思っていたのに、そうではなかったのか。

「彼女の前で、彼女が自由だと証明しろ」

「……」

 馬鹿馬鹿しい。オンナにとち狂って盛り上がっているキャバッローネの若いボスも、自身が話題になっているのにそれには全く反応せず、御曹司の視線にうちひしがれている様子のオンナも、痩せたオンナがあんまりみっともなくて、そんな姿を世間に晒して恥をかかせるくらいなら引き取るかと、思いはじめている自分の心の動きも。

「……そっちの餌の方が美味いと思った」

 御曹司が口を開く。衝立で区切られた御曹司の席にまで広間の喧騒は届いていたが、それがすーっと遠ざかる。落ち着いた、静かだけれど響きの低い、王者の声は何もかもを圧倒して全員の耳を満たす。

「間違いだったらしい」

 決め付ける口調。背もたれのついた椅子に腰掛け肘を突き、ついた側の頬をほんの少し、本当にかすかに少しだけ緩める。百万言の皮肉より効果的な嘲笑だった。遣ったオンナをこんなに痩せさせて、艶消しにされて不服だと、若い御曹司はほんの少しだけの笑い方で伝える。

「返品を受け付ける」

 扱いきれねぇンなら戻せと若い御曹司が言う。キャバッローネの跳ね馬をとことん馬鹿にした言動。

「お前は……ッ」

 二枚目が怒りに震えそう。御曹司の背後に立っているオカマが半歩を、そっと踏み出した。金髪の二枚目が今にも殴りかかりそうだったから、もしもの時には、ボスを庇うために。

「決闘を申し込む。表へ出ろ」

 庭へと、顎をしゃくる跳ね馬はドラマティックだった。女子供が喜びそうな王子様。惚れたオンナの名誉の為に、賓客に満ちた広間に面した庭で自分と、遣り合おうとする馬鹿馬鹿しさに御曹司が声もなく笑う。

「……何がおかしい」

「何処に行く必要もねぇ」

「ここでいいってことだな」

「……」

 にやり、と。

 御曹司がまた、笑う。今度はドン・キャバッローネの目を見たままで、明らかな挑発。された金髪のハンサムは受けてたった。たとうとした。ボンゴレの御曹司に喧嘩を売ろうとした。殴りかかろうとした。度胸は、大したものだった。

 けれど。

「……」

 ああ、馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿らしい。声を出すのも面倒なくらいだ。馬鹿め。

「相変わらずお見事ねぇ、スクちゃん」

 たまらない、という声でオカマが主人を越えて感嘆する。御曹司はオカマを咎めず、褒め言葉を否定もしなかった。

 銀色のオンナが居る限り、立ち上がるどころか指一本、動かす必要は無い。ないということをボンゴレの若い御曹司は知っていた。オンナが動いた、空気の震えが跳ね馬へ届く前にオンナの手刀は跳ね馬の延髄を殴打して、大の男を素手の一撃で床に沈めた。

 それも、生身の右の手で。左を使えば命を奪えていただろう。同盟ファミリーのボスにそんな真似は出来ないけれど。

「……酔いすぎて気分が悪くなった」

 銀色のオンナを褒めてやる代わりに御曹司はそんな言葉を、棒読みで側近たちに告げる。

「あらタイヘン、九代目にご挨拶してお部屋に戻りましょう、ボス。帰国されたばかりでお疲れなのよ」

 オカマが打てば響くような返事を寄越す。頷き、立ち上がり、途中で立ち止まってスーツの上着を脱いだ。意識を失って床に横たわる跳ね馬の横で。そうして脱いだ、上着を金髪の上半身に掛ける。

風邪をひかせて体調を崩させないように。そうして敗北を、この金髪が、二度と忘れないように。

「意地悪、だこと」

 オカマが気の毒そうに言う。親切心さと御曹司は心の中だけで答える。それは機嫌がいい証拠。

「行くぞ」

 上機嫌のいでに、金髪のオトコを打ち倒したまま立ち尽くすオンナに声を掛ける。

「……」

 かけられて、オンナがようやく顔を上げる。頬まで削げて、肌に艶がない。本当にみっともない。醜い。こんなツラを晒して歩くより、苛められても干されても、自分の横に居る方がマシだろうと、そんな言い訳を心の中で、した。

「……」

 オンナにはたぶん、言いたいことがたくさんあった筈。一緒に行っていいのか連れて帰ってくれんのかぁと尋ねたかったし、オレはオマエの邪魔になるんじゃないだろうかと確認したかったし、それを否定もして欲しかった。

何より、どうして、留学に同行を許されず置き去り、棄てられて手放され、別の男を接待しろと命令されたのか、理由を知りたかった。

 でも。

 言葉は結局口にしないまま、横を通り過ぎる御曹司に振り向いて従う。見えない糸で繋がっているようにひかれて動いていく。御曹司が九代目に辞去の挨拶をする間も少し離れて控えていた。そのことは所有権の移転を意味する。銀色のオンナはキャバッローネを出て、ボンゴレの御曹司のもとへ戻った。

 来客たちの視線を受けながら広間を出る。沢田家光がとんでもないモノを見るような目をしていたのが御曹司には妙に愉快だった。痩せてやつれたオンナを家光にだけは見せ付けてやりたかった。てめぇの見当は大はずれだ、と。

 館へ向かって、人気のない回廊と中庭を通り過ぎる。途中で御曹司は背後に向かって手を出す。タッ、と歩みを速めて銀色のオンナがその手を取る。引かれるままに、前に出る。『ボス』が最も信頼する側近の位置へ。

「ナンだ、この骨は」

 前を歩かせながら、握った手首を御曹司は離さない。外側の骨の突き出た手首の細さにクレームをつけられているだと、銀色は感じて俯く。

「ナンだって言ってんだ。答えろ」

 詰問されるべきは本来、オンナではなかったし。

「……ごめん」

 謝るべきも、オンナではなかったのだが。

「みっともねぇぞ。さっさともとに戻れ」

「おぅ」

 再会の、二人の言葉は、結局はそれだけ。

 でも十分だった。