ボンゴレの御曹司は気難しい子供だった。けれどその女のことは最初からお気に入りだった。剣帝テュールを十四で倒した桁違いの実力の上に土産が、素晴らしかったから。

「よぉ」

 介添え役の沢田家光は女についていなかった。オンナというより少女の歳で、ボンゴレ本邸の最奥にやって来て、ひどく堂々と自然体にしていた。

「イエミツはエンリコと病院に行ったぁ。紹介してもらえねーんで名乗るぜぇ。スペルピ・スクアーロだぁ」

 胸元のひらいたヒラヒラのワンピースの裾を邪魔そうに手でたくし上げたカラダは肉付きが薄くボリュームには欠けたが、キラキラのプラチナブロンドと顔立ちの美しさはその頃から目立っていた。雰囲気のある女でないと着こなせない藤色のドレスを着た彼女はその十五分前に、ボンゴレ十代目候補筆頭といわれた九代目の甥っ子の右手の人差し指を折り、病院送りにしていた。

「よろしくなぁー」

 着慣れた様子のないドレスワンピはボンゴレ本邸に起居する甥っ子を誘い込む為だろう。コレが本邸を訪問すると聞いて九代目の甥たちは興味津々、自分の陣営に引き込もうとてぐすね引いていた。

 業界内で剣帝とまで呼ばれたテュールを倒したというのは素晴らしい殊勲。その上、子供の産める女だということが少女の価値をいやおう無く高める。強いということが正義であるマフィアの男たちにとって、強い子供を産める女は宝石のように貴重。

「ナンか疑ってたそーだけどよぉ、これでひも付きじゃねーって分かったかぁ?」

 頭につけていたリボンが邪魔になったらしく毟り取る。部屋の中を見回すがボンゴレ御曹司の応接室にゴミ箱は置いてなかった。仕方なく、ドレスの裾を持っていた手で布地と一緒にまとめる。リボンは潰れて、くしゃくしゃになってしまう。

「ふん」

 小癪な真似をと、ボンゴレの幼い御曹司は思った。けれど表情は言葉ほど不快そうではない。

新しくやって来る側近のことを確かに疑っていた。実力のほどは触れ込み通りなら文句なかったが、門外顧問の家光の紹介というのが気に入らなかったから。

要するに監視役なのだろう、という推測が成り立つ。更に、身元の知れない新入りは自身と敵対する養父の甥っ子たちと内通しているかもしれないことを警戒しなくてはならず、歓迎ムードではなかった。

 ほんの十五分前までは。

「……逆だ」

 少女に握手の手を差し出された御曹司は、八歳の幼児とは思えぬ落ち着いた声で、それでも言葉を発した。仕えるならば仕草はそうではない、と。

 仕えさせるつもりだった。とても気に入ったから。嫌いな従兄弟の指を手土産に貢がれて、幼い御曹司は内心でひどく喜んでいた。右の人差し指は銃の引き金を引く指。逆に折られた上に腱が伸びきるほど引っ張られたというから、神経は死んだ筈。整形で見た目はもとに戻っても、もう役立たずだ。

 この銀色はエンリコとその背後に居るボンゴレ一族を敵に廻した。裏切りや内通をもう、しようと思っても相手がそれを許さないだろう。思い切った真似をするものだと、幼い御曹司は知らせを受けた瞬間に思った。

 なかなかやるな、と。

「あー、だったななぁ」

 銀髪の少女が膝を折る。由緒正しいマフィアとしての振る舞いは教えられたばかりらしくてぎこちなかった。それでも身動きはしなやかで美しい。それは、着慣れた様子のないドレス姿がひどく美しいことと一脈、通じるものがあった。

 目の前に差し出された幼児の手を取った少女が、ぷっと吹き出す。手指をにぎにぎされて、幼児は眉を寄せた。

「かーわいぃ指だなぁ、オイ」

「うるせぇ」

「はは。えーっと……?」

 何をどう言うべきだったかと、少女が思い出そうとする仕草。全くと、幼い御曹司はため息。

「色々誓います、って言っとけ」

 ラテン語の長台詞を教えてやるのも面倒で、御曹司はそう言った。言葉自体に執着はなかった。修辞を篭めて流れるような声音で告げられた臣従の近いが裏切られることを、既に何度も体験していたから。

「愛情と誠実をもって生涯、仕えることを誓います」

 御曹司に言われて、誓いの言葉の最後の文言だけ思い出した少女はそう告げて、まだふっくらとした子供の手の甲に口付ける。

「……」

 唇と同時にほんの少しだけ触れた肌がさらりとしていて、ひどく気持ちが良かった。誘われるまま掌を返し、指先で少女の頬を撫でる。

撫でられても少女は嫌がらずにニッと笑って御曹司を見上げた。同じことをしようとしたエンリコの指は折ってきたけれど。

「したかったらぁ、キスしていいぜぇ?」

 少女がそんな軽口を叩いたのは相手がほんの子供だったから。

「するかよ」

 子供らしい反感で幼い御曹司は手を離した。立ち会っていたルッスーリアが近づき、お荷物はそれだけ?お部屋に案内するわと申し出る。このオカマの格闘家もメスの変種には違いなくて、優しく暖かく、幼い御曹司は気に入っていた。いたけれど、少女のようにつるんとした初々しい肌は持っていない。

「おぅ、頼む。これからよろしくなぁ」

 繊細な顔立ちに似合わず体育会系の物言いに、ルッスーリアがこちらこそねと答える。サバサバと威勢のよい態度で、これならすぐに馴染むだろうと、皆が思った。その通りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学業を中断してやって来た少女の為にも家庭教師が雇われた。昼下がりには幼い御曹司と同じ部屋で護衛を兼ねて、テーブルは別だがその日の課題を一緒に、筆圧の高そうなペンの音をガリガリとさせて片付けていることが多かった。

「えーと、えーと……。えーっとぉ」

「うるせぇ」

周囲は『大人』ばかりの暮らしの中、同じ『子供』がやって来たことは、気難しい御曹司の気持ちを和らげた。帝王学をその時点でしたたかに叩き込まれていた子供は、側近に臣下の則を越えさせたことはなかったけれど。

「あーぁ。ヴァリアーからのスカウトが来た時にゃ、これでオベンキョウとはおさらばだぁって、嬉しかったのになぁー」

 御曹司に仕えて尚、課題を解かなければならない日々が待っているとは思わなかった、と、銀色の少女は嘆く。ふん、と、目つきのキツい子供らしくない子供は側近の嘆きを鼻で笑う。

「バカは俺のそばにゃ置かねぇぞ」

 愚痴っていないでちゃんと勉強しろよと、六つも年下の御曹司に言われ、分かってっからやってるじゃねぇかと年上の少女がぼやく。乱雑な気性と言動のわりに頭は、そう悪くも無い。知能検査はヴァリアーの採用基準を軽々とパスした。

「……、、……、……」

 自分の課題のラテン語の詩を、唇だけで口ずさみ暗記しようとする御曹司に。

「声だして読んでくれよ」

 自分の課題を片付けた銀色がペンをテーブルに転がし、部屋の奥の机で勉強する御曹司にそう強請る。立ち上がり、御曹司の為の水差しからベルニーナをグラスに注ぎ、口をつけながら。

「オマエの朗読、すっげぇ好きだぜ。リズムがいいし、声もすげぇいいし」

「……聞いて分かるのか?」

 御曹司が勉強しているラテン語はオウィディウスの「恋の詩」。恥ずかしげも無いセックスを賛美するような愛の言葉がつらつらと綴られている。こんなのをガキの教本に選んだヤツはバカだと、御曹司はうんざりしながら小さな声で読んでいたのだった。

「んー、半分ぐらいは、なんとか」

「全部わかれ」

 てめぇも一応、あの学校に居たんだろうがと御曹司は苦い表情。マフィア慣例者の子弟が多く通う私学では、ラテン語の授業には力が入れられている。それは上流階級の『内緒話』をするための言語で、ファミリー同士の同盟や重要な契約の時には今でも文書に、実際に使われている。

「読み聞かせしてくれよ。そのうち覚えっから」

「てめぇ、自分の立場を分かってんのか?」

 年上の側近のくせに、まるで絵本を読んでと強請るような口調で言われて御曹司は凄んでみる。けれど度胸のいい少女は怖がらず、朗読しろよと繰り返す。にこにこ顔を眺めているうちに幼い御曹司もどうでも良くなってきて。

「真夏の日、昼下がり。眠るわが身は寝床のまなか。片開きの窓、光は夕暮れに似て、ときに夜明けにも似て、恥らう乙女に相応しい曖昧。やがてやって来るコリンナ……。おい」

 朗読を中断し、幼い御曹司が呆れて側近の方を見る。テーブルに突っ伏して気持ちよく寝息をたてる、役立たずの警護を。

「てめぇ……」

 叩き起こそうかとも思ったがそれも面倒。長い髪が窓から吹き入る風に乗ってテーブルの端から零れ落ち揺れる。髪の影が絨毯にひどく心細い影を落とす。

「帯を解いた上着をその見に纏い、白い首筋を包む髪がうなじで二つに割れた様子で。美しいセラミスのよう、多くの男に愛されたライースのように寝床へやって来る。……、上着を剥いで……、抗いを挫き、現れた素肌の、肢体の見事さ。胸はもまれるに相応しい形、手足も、脇も……。ふん」

 切々とした女体賛美の続きをまともに読む気にならず、黙読に切り替える。メスがそんなに美しい生き物だと御曹司には思えない。たぶんそれは娼婦だった母親の影響。一室しかないアパートで、母親が客をとっている時には冬の夜でも外に出ていなければならなかったのは、そんなに遠い日のことではない。

 メスが美しいのはほんの一時。美しく装っている時間だけの錯覚。塗って吊って張った、あんな生き物を可愛がりたがる世間の男たちの気が知れなかった。

 昔は、知れなかった。

「……」

 若いメスを知らなかった。幼い御曹司の周囲には母親と同世代の娼婦しか居なかった。装っている彼女たちはそれなりに美しかったが、幼い御曹司にとっては歳がかけ離れていていて、きれいだとかを、思ったことはなかった。

「……」

 美しいコリンナ、と。

 唇の内側で、無防備に眠る少女に向かって、呟く。

 甘い響きだった。