それでも、沢田家光のスーツ姿は、そして珍しくは無い。そこがボンゴレ本邸である限りは。

「ツナ」

 いつもはラフに流している金髪を掻き上げて形のいい額を見せ、超二枚目の外見に更に磨きをかけている金の跳ね馬、キャバッローネのボス、ディーノのそれに比べればありふれているとさえ言える。

「頼みが、あるんだ」

 いつものようにふらりと現れ遊びに来たと言うのではない。前触れの使者を立てての正式な訪問だった。けれど。

「ディーノさん、ごめんなさい。今からごはんを食べに行くんです。また、今度でいいですか?」

 嫌な予感が背中をぞわぞわと這って、沢田綱吉は言い逃れようとする。その襟首を、ぐいっと、横に居たヒバリが掴んで無造作に引き戻す。

「うぅうぅぅー」

 ボンゴレ十代目・雲の守護者の、冷たく整った横顔は右側に大きな粘着包帯が張りつけられている。殆ど顔の半分を覆う白い布の上部は目じりの下まで覆い隠していたが、その端にかすかな赤い線が『はみ出して』いるのが見えた。

「話があるって言ってるじゃない。聞いてあげなよ」

 無抵抗に戻されたボンゴレの次期ボスは、なんですかぁと、情けない声で尋ねた。

「ザンザスのことだ」

「えー。ディーノさんまでぇー」

「あまりひどい、処罰はしないでくれ」

「そんなぁ、リング戦の最中は、あんなにオレたちのこと、援護してくれたのにー」

 沢田綱吉が言うことは事実。同盟ファミリーや弟分という則を超えて、これは内政干渉ではないのかこれで本当に公平な勝負といえるのかと、ボンゴレの長老たちが言い出すほど親身に、日本人の少年に肩入れしてくれた。

「いろいろ誤解があったんだ」

「どんな誤解?ディーノさんはザンザスを凄く嫌いだったんでしょう?」

「オンナの、ことで昔、アイツとは揉めた」

「あのー、それってもしかして、ボンゴレ本邸の、地下に居るっていう眠り姫ですかー?」

「へぇ、あなたとも関わりがあったんだ。さぞ綺麗な人なんだろうね。一度見てみたいな」

 ヒバリが興味をそそられたように言う。それは少し、沢田綱吉も思わないではない。どんな美人だろうかと気になる。

「知らなかった。お前の父上は、オレにはそのことを教えてくれなかった」

「あー……、ごめんなさい。でもなんか、トップシークレットだったみたいですよ。九代目の技がバレちゃうし」

「沢田の父上の気持ちも分かるよ。そんな顔したあなたに教えたらボンゴレ本部を破壊してでも取り戻そうとしそうだ」

 くすくす、ヒバリが笑いながら背中から沢田綱吉を抱きしめる。しなやかな腕に絡みつかれ、背に柔らかな胸の膨らみを押し付けられて、未来のボンゴレ十代目はゾクリとした。

「ヒバリ、さんんー」

「オレはてっきり、アイツが彼女を始末したんだと、思い込んでいたんだ」

「えーと、ディーノさん、あのですね」

「面白そうな話だね」

「ヒバリさんは、もぅ、どーしてそんなに、ゴシップがすきなんですかぁーっ!」

「ボクたち今から、ごはん食べに行くんだけど」

「そ、そうそ、そうなんですよディーノさん。だからお話はまた、今度にし」

「一緒に来ない?車の中で話そう」

「ヒバリ、さあぁああぁぁーん!」

「ありがとう、ヒバリ」

「どういたしまして」

「怪我はもういいのか?」

「おかげさまで」

「あまり喋るなよ、ヒバリ」

 夕食の席は市街地のホテルに用意されていた。仕方なく同じ車に乗り込みながら、心配そうに沢田綱吉は口を挟む。

「抜糸は必要ない糸だけど、なるべく動かすなってシャマルは言っただろう?」

 すぱりと切り裂かれたヒバリの顔の傷の縫合をしたのは闇医者のシャマル。水晶蚕が紡ぐ極細の糸で普通の五倍の針目を入れて、丁寧に。代わりに就任パーティーには呼べよと言って。

「傷跡が残るのがそんなに心配?」

「心配だ。当たり前だろ」

「傷物になったボクには価値がないってこと?」

「思っても居ないことを尋ねるな。飾りつきのオマエはどれだけ魅力的だろう。包帯が取れる日を想像するとゾクゾクする」

「ふふ。……ヘンタイ」

「知らなかったのか?」

 若い恋人同士の囀りをかなり我慢強く、金の跳ね馬は聞いていた。が。

「……こほん」

 ガマンできずに咳払い。を、した途端、アハハとヒバリが大きな声で笑う。

「ははははは。あなたって歳よりすっごく若く見えるけどやっぱりオジサンなんだね。ははははは。そんな咳払いって、ナマで聞いたの初めてだよ」

 テレビか小説の中でしか知らなかったとヒバリが笑う。オジサン、と言われたドン・キャバッローネは。

「悪かったな」

 少し傷ついた様子で答える。確かにまだ十代のヒバリや沢田綱吉に比べればオジサンであることを否定することはできない。三十路を越えて益々男の色気に満ちて、甘いだけでなく苦味と渋さを備えてきた横顔は女たちにため息をつかせているけれど。

「拗ねないで。オジサンでもいい男だよ」

「ヒバリ」

「オマエもいい女だが、ちょっと趣味が悪いぞ。ツナの前だとわざとオレに絡む。やきもち妬かせて面白がっているだろう」

「あ、そなの?おもしろい?」

 剣呑な表情をけろりと収めて沢田綱吉が隣の美女に尋ねる。

「うん。キミに嫉妬されるの大好き」

「そうだったの。いくらでも怒ってあげるよ。お尻ペンペンしたげよか?」

「凄まないで。ゾクゾクしちゃうから」

 クスクスとヒバリが笑う。そして。

「眠り姫のことを聞かせて」

 自身の師匠格でもある金髪のキャバッローネにそう促した。

「聞いてくれるか、ありがとう。彼女とはオレは同じ学校に行っていて、子供の頃からの知り合いなんだ」

「初恋の人とか?」

「そんな簡単に当ていでくれよ」

「簡単だよ。顔に書いてある」

「ガキの頃はヘタレだったオレと違って、十四でヴァリアーのその頃のボスだった剣帝を倒して、その実力を買われてボンゴレ御曹司の側近に取り立てられたんだ。一言でいっちまうと、超エリートだったんだよ。この業界の、特殊な意味でだけど」

「あなたはそういうヒトに弱そう」

「憧れたさ。あっちも、ちょっとだけ、ホントにちょっとだけ、オレに興味がないでもない時期があった。figlio di biondo、とかって呼ばれてからかわれてた時期が」

「なにそれ、どういう意味?」

「金髪の坊や、って」

「十四のあなた、さぞ可愛かっただろうね」

「ヒバリ」

「でも彼女はボンゴレにスカエトされて、そこで仕えたザンザスと恋人になったの?」

「途中で色々あったのを端折ればそういう事だ。彼女が仕えた当時のアイツは八歳で、そういう歳じゃなかったが」

「八歳になれば恋くらいできるよ」

「そうだな。アイツはアイツで真剣に恋をしてたんだろう。オレはあの頃、それを知らなかったけど」

 身近な部下に手をつけて遊び相手にして、オモチャにして愉しんでいるだけだと思っていたけれど。

「こんな風に、十年近くもたった後で……」

 取り戻そうとしてボンゴレ九代目に反逆の戦争を起こすくらい、ずっと想い続けていたのだと、すると。

「ザンザスも、知っていたなら、オレにそうだって……、言ってくれれば……」

 ドン・キャバッローネは低く呻く。銀色のオンナが『死んで』はいないこと、ボンゴレのボスの座を継いで七つのボンゴレリングを得れば、『起こして』やれる可能性がゼロを、教えてくれればよかったのに、と。

「知っていたらボクらじゃなくてあっちの味方になった?」

「それは……、分からない」

「正直だね跳ね馬。あの彼にアテにされなくて口惜しい?」

「いまさらだ。アイツはいつもそうだ。オレなんかろくに視界に入っちゃいないのさ」

「で、眠り姫のお話の続きは?」

「ボンゴレ上層部にとって、跡取りの御曹司と側近の醜聞は面白くないことだった。だから彼女は排除されようとした。こんなことはヤめろってみんなで言ったさ。不幸になるのは、分かりきっていたから」

「ロミオとジュリエットだったんだ。アナタの役回りは?」

「……パリス」

 ジュリエットが無理やりに結婚させられようとした相手。ロミオを追放の刑に処したヴェローナの大公エスカラスの親類で貴族の青年。

「なにそれ似合わない」

 何処から眺めても王子様然としたこの男が憎まれ役なんて。

「けっこう、堂に入った悪役だったんだぜ」

「信じられないよ、まさか」

「彼女の腹に居た子供の、父親はオレだった可能性があるんだ」

「……」

「……」

 昔話として聞いていた若い二人が表情を改める。十年近い過去の物語が突然に生々しく、目の前に迫ってくる。

「妊娠何ヶ月だったのか、それ次第で、微妙なんだけどな」

「……ふぅん、そうなの」

「彼女の妊娠をアイツは知らなかったらしい。彼女が話していなかったって言うことは、やっぱりどっちの子供なのかが微妙で、もしかしてオレだったとしても産んでくるつもりで、敢えて黙っていたんじゃないか、とか」

「あなたとしては、夢を見ちゃうんだ?」

「……オレに優しくしてくれたこともあったんだ……」

 幼いほんの一時期だったけど、遠征から戻って学校に久々に顔を出すたびに、ご機嫌な笑顔でよぉお坊ちゃん、と、声をかけてくりた時期が。

 ある。背後にスカウトを何十人も引き連れた王者に、構われるのが嬉しくてニコニコ、その『寵愛』を受けていたことが、ある。

 子供にとって権威は恋の対象。憧れ混じりの思慕は胸の奥深い場所に根を下ろしたまま、少しも色あせていない。大人になって大物に成り上がり、ボンゴレ本邸を我が物顔に私服でのし歩ける身分になったけれど、でも。

 figlio di biondo、と、彼女が声を掛けてくれる時ほどの、全身が沸き立つときめきはない。

「気持ちはちょっと、分かるかも。あなたじゃなくて眠り姫の。あなたみたいな男の子供なら、夫じゃなくて間違いで出来ちゃったとしても、ちょっと産んでみたいかも」

「……ヒバリ」

「たとえ話だよ」

「彼女のことを、オレだって愛していた。なのに、どうして、アイツは、ザンサスは……」

「泣くとブスになるよ」

「オレに、協力を……、させてくれなかったんだろう……」

 せっかくキメた髪型を伏せて、掌で顔を覆ってしまった跳ね馬を乗せた車は、やがて市街地のホテルに到着。

「一緒に来る?あのコワモテとごはん食べるんだけど」

「いや、いい。俺のことは話さないでくれ」

「じゃあここで失礼します。ディーノさん、とりあえず、あなたのご意見は承りました。あなたは恩人です。お言葉を無碍にはしません」

「ありがとう。でもそんなに丁寧に話さないでくれよ、ツナ」

「うん。じゃあ、オレが思ってること聞いてくれますか?」

「なんだ?」

 嘆きの気配はほんの少し残っているが明るい、頼りになる兄貴分の顔で。

「滑り止め、だったんじゃないかって思います。防護ネット?」

「なにが?」

「あなたのことを、あのヒトが巻き込まなかった理由」

「ん?」

「あのヒトのチャレンジは絶望的でした。本人も分かっていた筈です。なのにしたのは、眠っている人の為でしょうけど、あなたを巻き込まなかったのもそうじゃないでしょうか」

「ザンザスのことか?」

「父さんが、終わったらあなたに話すって思って、自分が失敗した後には、あなたをアテにしていたんじゃないかって」

「……」

「話を聞いて、オレは思いました。どうしてあんな頭がいい人がこんなことをしたのか、オレは理解できなかったんだけど、ああ、あなたが居るから安心して賭けたのかな、って」

「……ツナ」

「すみません。勝手にそう思っただけです」

 金髪のドン・キャバッローネを乗せた車が走り去るのを見送った後で、日本人の若い男は美しい女に腕を差し出す。

「……ホントに、見かけによらない、タラシなんだから」

 女は腕に掴まりながら、まんざらでもない口調。

「キミって口が上手いよね」

「オマエほどじゃないさ」