仕事の報告を、顔に火傷の痕のあるコワモテは、雲の守護者のもとへしに来る。

「ご苦労様」

 ボンゴレ十代目の堂々たる情婦、世界中をふらふらと漂いながらここぞという時にはかならず基軸の場所に居る美女の、右の頬にはかすかな傷跡が、傷というより、細い線で残っている。

「相変わらずやるじゃない。ボクはこの時、南米に居たけど、噂はそこで聞いたよ」

 裏切り者に対する制裁という名の暗殺。死因は大型肉食獣の牙による咬殺。野生動物など居る筈のないフィレンツェのホテルの一室で、首を噛み千切られた状態で見つかった死体。

 被害者の身の上を考えれば、それがマフィアの報復であることは分かる。分かるがどうやって、警察が護衛していたのに、と、関係者たちは顔を見合わせ不思議がる。

 まるで魔法だ。

「どうやったの?」

 尋ねられる男は雲の守護者の正面に椅子を与えられ、その前にはモヒートのグラスが表面に露を見せて涼しげに置かれている。その待遇は対等にかなり近い。ボンゴレの主要同盟者であるドン・キャバッローネに準じるかそれ以上の応接。

「……企業秘密だ」

「ボクにも教えてくれないの?」

 尋ねながら、ヒバリが顔を傾ける。右の頬をわざと相手の方へ向け、このコワモテがつけた傷を見せ付けるような仕草。

「……」

 そんな真似をされた男は眉を寄せたが、逆らわず上着の内ポケットから匣を取り出した。天空ライオンシリーズの匣はきヒバリも知っているレア物。指輪を使って炎を注ぎ、男はその匣を背後に放った。そして。

 パチン、と。

 指を鳴らす。その瞬間、室内にオレンジの光が満ちて、収まった時には天空ライオンがふかふかの絨毯を極太の四肢で踏みしめ、そこに出現していた。

「時差?すごいね」

 焔の使い手が侵入できない場所にも匣だけならば紛れ込ませることは比較的、容易。ランクÅ以上の匣生物たちは主人の命令を理解するため、前もって標的の匂いを嗅がせておけば狙いを更に正確にすることが出来る。

「どうするの?」

「べつに、どうも」

「教えてよ」

「焔を注ぎながらマテして、後で合図を送ってやりゃあいい」

「それだけ?すぐ出来る?」

「コレは、二・三度で」

 出来るようになったと、男は自分に懐いてくるライガーの巨大な頭を撫でる。

「ボクも触りたい」

 動物好きのヒバリが椅子から立ち上がり、ライガーに近づく。壁際に立って、二人の会話を黙って聞いていた獄寺隼人が、先に獣に近づいて男とヒバリの間にカラダを滑り込ませた。

「孕ませやしねぇ」

 獄寺の行動にザンザスが珍しく笑う。この美形との面談にいつもなら必ず同席する沢田綱吉が今日は居ない。代理のアッシュグレイが露骨な警戒を隠しもせずにきびきびと、二人の接触を避けようとしている様子が面白くて男は珍しい軽口を叩く。

「そう。キミはボクより獄寺隼人をお気に入りだしね」

「そういう訳でもねぇ」

 男は否定したが、掌でライガーに伏せと指示をする。絨毯にお行儀よく伏せたライガーに雲の守護者は近づいて触れた。

「ふかふか。キモチイイ」

 眼を細めて嬉しそうにしている様子は無邪気だ。怖い気性のオンナのくせに可愛いところがある。興味のなさそうなそぶりをしながら、男は横目でライガーのたちがみを撫でる美女を眺めた。

「ンだぁ、オレがヒバリのこと心配して、こんなに見張ってると思ってンのかぁテメェ」

 綺麗な顔をしているくせに口の悪い嵐の守護者が不服そうに唇を突き出す。そんな生意気な相手を確かに、もとボンゴレの御曹司はたいそう気に入っていた。喋り方が少し、むかし、知っていた女に似ている。

「誤解だぜ。オレはてめぇがヒバリに喰われねーよーにガードしてやってんだ。られたらてめぇ、生きちゃ居れねぇからなぁ。感謝しやがれチクショーめ」

「そうか」

 男は礼こそ言わなかったけれど面白そうに口元を緩める。ナンだよと、獄寺はますますぶすっとした表情。馬鹿にされたような気がする。

「わかったかよ、オッサン」

「オッサンじゃねぇ」

「三十間近なオッサンじゃねぇか」

「三十がオッサンなのはジャポネの中だけだ」

「若ぶったって若返りゃしねぇぜ、オッサン」

「乳臭いガキがナマ言ってんじゃねぇ」

「ンだぁ、嗅いだこともねぇくせに言うじゃねぇかぁー」

「てめぇこそ、オレを試したこともねぇくせにオッサン言うんじゃねぇ」

「ナンの話してやがるー」

「ハンッ」

「ちょっと、うるさい」

 ライガーの毛皮にうっとり、顔を埋めて和んでいたヒバリが目を開き、いがみあう二人を眺める。黒曜石のように鋭く綺麗な瞳の光り方をしている。

「乳臭いボクらにとっては三十はオジサンだけど、それを指摘しちゃ気の毒だよ、獄寺隼人。その人だって内心で焦っているに違いないんだから」

「……」

 全く焦っていなかった男は、けれどもふと、居ない女のことを思い出して表情を曇らせる。アレは十六の自分しか知らない二十二歳のままで眠っている。自分を見たら、やはり年寄りだと、そう思うのだろうか。

「仕事と指導の報酬は加算しておくよ。会ってから帰る?」

 ふかふかライガーの口元にさよならのキスをしながらヒバリが尋ねる。頷いて、男は立ち上がる。仕事を成し遂げて報告をしに来るたびに、地下の眠り姫を眺めて帰るのがこの男の習慣。

「バイバイ。またね」

 男にではなく匣に戻されるライガーに向かって、ヒバリはさよならの挨拶をした。会釈して踵を返していく男の為に獄寺がドアを開けて、閉めて、そして。

「知んねーぞぉ、ヒバリィー」

 閉めたドアに鍵をかけ、背中を押し付けたまま室内を向いて、優雅に昆布茶を飲む美女に、ぼやく。

「十代目の許可もなく教えやがって。どーすんだよ、怒られても知んねーからなぁ」

「別に何も教えていないよ。ついつい忘れて、うっかりいつもと、同じことを言ってしまっただけさ」

「白々しいンだよオマエはぁー」

「それに今日で、彼の負債はなくなった。ボクは契約には誠実でありたいからね」

 沢田綱吉が一足先に、目覚めさせて湯治に出した美女のことを、約束どおり男のもとへ戻してやるつもり。

「ボクらにとってはにはオジサンだよって言ったときの、彼の顔、見た?」

「おう、見た。面白かったけどよ」

 傷ついた表情をしていた。そうなのかと不安そうに瞬いた。剛毅で重厚なもと御曹司を揺らして遊ぶのはホントウに楽しい。くすくす、思い出してもたまらない、という風にヒバリが笑う。

「それに、ネタには、困らない」

「んだぁ?ナンか企んでンのかぁ?」

「始末された胎児の細胞片が、冷凍保管されているのを見つけたよ」

「……」

 初耳だった。

「胚じゃないけどね。体細胞クローンなら、出来る」

「へーっ!」

「せいぜいまた、働いてもらうさ」

「まぁいいけどよ……。うわ、来やがった……」

 背中を押し当てた扉ごしに足音が聞こえてくる。あの男が走っていることも足音をたてることも大変に珍しい。地下で氷漬けにされていた女の姿がなく、床に七つの焼け跡があるのを見て、我を忘れて駆け戻って来たのだろう。

 扉が乱暴に押される。ぎし、っと軋むだけで錠が下ろされていることに気づき、ガンガンと拳で扉を叩きつける。

「うわ、うぉッ」

「怪我をしてまで守ってくれなくていいよ」

「ンな、訳にゃいかねー、ダロぉ、が……っ」

 ボスの恋人に無礼を働かせるわけにはいかず、必死で扉を押さえる獄寺の背中越しに。

「あ……?」

 両開きの扉の隙間からも、ヒバリは紙片を、外に向けて差し出した。

 途端に静かになる室内。扉の向こう側の気配がすーっと消える。立ち去る足音はしなかった。しばらく待ってから、そっと獄寺が鍵を外して扉を開く。廊下はがらんとして人気がない。

「ヒバーリーぃー」

 涼しい顔をした美女が扉越しに、何を書いた髪を渡したのか獄寺には見当がついた。北部にあるアバノテルメ、療養施設の整った温泉街で療養している、もと『眠り姫』の滞在するホテルの名。御曹司には馴染みのあった場所だ。ホテルはボンゴレの系列で、休暇を過ごしたことが何度かある。

「勝手にそこまで、教えるんじゃねーよ」

「ボクも行きたかったのに、沢田綱吉が、ダメって言ったんだ」

「十代目はダメたぁ言っておられーだろぉ。一緒に行こう待っててって、仰ったのを、オレぁ聞いてたぜ」

「ボクより先に彼女を行かせるなんて酷い」

「ってなぁ、あー、もぉー」

 獄寺はヒバリを糾弾することを諦め、日本支部と連絡を取ろうとする。優先の電話に齧りつく背中を見つめながら。

「……可愛かったからさ……」

 オジサンと呼んだときの顔がと小さく、呟いた。