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 守護者だからこんな真似をするのか、と。

 問いかけたくなった。けれど全身をガチガチに緊張させて、羞恥より衝撃が強い様子で、それでも一生懸命にカラダから力を抜こうとするバカをこれ以上、苛めることも憐れな気がして、言葉にはしなかった。

 

 

 ボンゴレ御曹司の、明日は十五の誕生日。それを祝福するために美しい女が今夜、本邸の奥深くへ招かれることになっている。九代目の意を汲んだ段取りを伝えた銀色に、気難しい御曹司は返事をしなかった。

「もしかしてお前、実は嫌だったりすんのかぁ?」

 おずおず、遠慮しながら銀色の鮫は子供の頃から仕えている御曹司に尋ねる。本人が望んでも居ないのにオンナをあてがう行為は時代錯誤でデリカシーに欠ける。でも養父の指示だったから誰一人、娼婦を招く計画に逆らおうとはしなかった。

「なぁ、お前がどーしてもイヤならよぉ、オレから家光あたりに話して、相談してきてやるぞぉ?」

 そんなことを言い出したのは優しいオンナだけ。明らかに気のすすまない様子の御曹司は、でも、銀色の側近に口利きを頼みはしなかった。

「嫌なのを家光に知られる方がいやだ」

 でもどうしても、愚痴は言ってしまう。母親の職業の関係で、娼婦という種類のメスにはあまりいい印象を抱いていない。それにもうすぐ、素手の生身で深々と触れなければならないのは嫌で不快で、たまらなく気が重い。生臭い匂いが今にもしてきそうだと、御曹司は眉を寄せ顔をしかめ続けている。

「ああ、まぁ、だよなぁ、オマエはなぁ」

 同情に絶えない、という様子で銀色が同意する。こんなに繊細で感受性の高い『少年』に娼婦を宛がって初体験を強いるのは可哀想だと心から思っている。それも帝王学の一つなのだろうが、それにしても酷い、と。

「まぁしょーがねぇなぁ。目ぇ瞑ってパパッとやってきちまえ。なぁ、本能ってけっこーアテになるもんてよぉ。エイってヤっちまえば案外すらっと、出来るもんだぜぇ?」

 童貞に向かって非処女の立場で銀色がそんなことを言う。初体験の相手だった金の跳ね馬とは一年以上も二人きりで会っておらず、以前と同じように清らかな生活を送っているが、経験者には違いない。

「向こうは上手だろーし、任せてりゃいいさ」

 未来のボンゴレのボスにメスの御し方を教えに来たのは選び抜かれた高級娼婦。優しく上手にリードしてくれるさと慰められ、気位の高い御曹司は逆に不機嫌になる。

「脱げ」

 イラッとした勢いでそう言った。

「あ?」

「脱いで寝ろ。見せろ」

「……あぁ……」

 とんでもない要求。だがその意図を銀色は勝手に察する。本番の前に場数というか、予備知識を身につけておきたいのだろうと思った。そうしてそれも、無理のないことだった。

九代目の指示によって差し向けられた娼婦は、仕事が済んだあとで顛末を雇い主に報告するだろう。初体験で戸惑っていた、なんて告げられるのが腹立たしいのだろう。

「オレあんなに、発育よくねーけどなぁ」

 無造作に銀色が制服の上着を脱ぐ。スラックスのベルトもシャツも、スラックス自体も、さっさと脱いで居間のソファの背に掛ける。

「……少し待て」

 抗議や不平や逡巡の言葉もなくさはさば、脱いでいくオンナを御曹司は止めて部屋のドアへ歩み寄った。カチリ、と音をたてて鍵をかけ、そして。

「脱がせろ」

「ああ、いいぜ。もいっぺん着るか?」

 女の服を脱がせる練習をしたいのだと思ったらしい銀色は下着と丈の長めのタンクトップ一枚という格好で照れもせず尋ねる。すらりと伸びた手足、腰と胸の曲線は娼婦に比べればメリハリが弱い。それでも健康的な肌は張り詰め、柔らかなアールを描いて魅力的だった。

「今日、ってーか、オレいっつもスポブラだから、脱がす練習にならねーかもなぁ。仕事で女の格好する時用にフツーのも持ってっけど着替えて来よーかぁ?」

「こっちに来い」

「おぅ」

 促されるまま、銀色の鮫は主人について行った。セミヌードのオンナが動く様子を御曹司はチラチラ、目の端で捕らえて熱心に眺める。プライベートスペースの一番奥にある隠し部屋、普段は寝室として使っている、窓のない薄暗い部屋に招き入れて。

「寝ろ」

 言われたとおりに、銀色はベッドに横たわる。この部屋には使用人も入れず、ルッスーリアとこの銀色が交代で掃除やベッドメイクをしている。今週の『当番』はルッスーリアで、シーツはたいへんふかふか、いい具合に敷き詰められていた。

「いーベッドだなぁオイ」

 銀色の鮫はそのシーツの上で背中を揺らし、ふかふか、ボックススプリングの寝心地を堪能する。猫がお気に入りの寝床で転がっているようで、御曹司がほんの少し、笑う。

「……」

 首からさげていただけ、殆どとれかけのネクタイを外しながら、頬に笑った気配を残した御曹司はベッドに近づき、かがんで、幼馴染の側近の唇にキスをした。

「……ッ!」

 重ねただけ。なのに息を飲むようにされて、御曹司は心の中で苦笑。驚愕を受けている銀色に構わずそのまま、細いカラダの上に覆いかぶさる。

「お、おぉ?」

 そこまでしてもまだ分からない、銀色の鮫は愚かだった。けれども嘘はつかない。

 本能は偉大だった。したい思うようにすれぱ、出来た。

 

 

 

 

 

 養父から差し向けられた娼婦は客間の一室で『応接』した。昔よく見かけたタイプの女で、そういう意味では馴染みがあって嫌悪感は薄れた。

 殆ど喋らなかった。相手のメスも口を開かせようとはしなかった。気難しい少年だからよろしく、という程度の予備知識は与えられていたのだろう。手を取って促されるまま抱きしめ、誘導される通りに振舞って、オスが知っておかなければならない色々なことを学んだ。

「……え?」

 娼婦も喋らなかった。けれど全てが終わった後で身支度をする彼女の腕を掴み、振り向かせ、レースの下着に包まれた胸の隙間に用意していた金貨を押し入れる。性格にいえばプラチナの白金貨。メイプルリーフの刻印の一オンスは俗っぽいが、俗っぽい方が娼婦にも価値を理解できるだろう。

「あ……、あら……。でも……」

 思いがけないチップと、それをくれようとする少年の『好意』に娼婦が戸惑った声を出した。仕事用ではない表情はひどく若く見える。幾つくらいだろうと、御曹司はふとそんなことを思った。十六の自分とそう違わないのかもしれない。そう、思った瞬間、胸が押さえられるような気分になる。

あのまま下町で育っていれば自分も今頃は、こういう商売で稼いでいたかもしれない。最近の世間は変態ばなりになって、性別を問わず幼ければ高値で売れる。下町に居た頃には色々なものを見た。パンと引き換えに金持ちそうな客と部屋に入っていく、まだ少年少女とも呼べないような子供たちのことも。

御曹司の母親は息子にそんな真似をさせたことはなかった。息子はやがてボンゴレを継ぐのだと思っていたから売春はさせなかった。そんなことを、ふっと思い出して。

「あの、ね。報酬は、ちゃんといただいていて、いるから。嬉しいけれど、あなたに何も強請ったらダメって、言われて……」

 いるの、と最後まで言わせず、人差し指を立てて娼婦の、真っ赤な唇に軽く当てる。黙っていれば分からないだろう、という意思表示は娼婦にも通じた。それは下町の仕草。ニコッと、今度こそ本当に赤い唇が微笑む。

 ありがとう、という意思は声でなく微笑みと唇の動き。笑顔は与えない仏頂面のまま、御曹司はそれでも、部屋から先に出るときに片手を上げて挨拶はした。

「……」

 まあまぁ合格だな、と、廊下を歩きながら自分自身の振る舞いを振り返ってそう評価する。嫌がりながらもキチンと『教育』を受けた。『師匠』に対する礼儀も最低限度は守ったし気前のいいところを見せて好感も購った。意思を矯めることが教育だと思い込んでいるジジイは満足するだろう。

 セックス自体は下手でも仕方が無い。上手になるために練習する第一歩なのだから、苗木を見て小さいと罵るほど、ジジイも家光もバカではないだろう。

「……」

 隠し部屋に戻り、着込んだ服を脱ぐ。少し疲れてベッドに入った。中には温かみがある。あたたかさの中心では銀色の鮫が、手足を引き寄せ丸く小さくなって眠っている。疲れ果てた表情で。

「……」

 間近で見下ろしながら御曹司は、しばらく呼吸の様子を伺った。泥のように眠って起きる様子は無い。けれど呼吸は規則的で、具合の悪そうな様子は、ない。

「……」

 おやすみ、と。

 唇の動きだけで告げた。起こさないように。