秒単位で米ドルを稼ぎ出す金融マフィア・キャバッローネのボスは時間が一番貴重。だから取引先からの『接待』を謝絶し続けていた。特に古い体質のマフィアたちが、コレを喜ばない男は居ないだろうという思い込みとともに差し出す美女には賄賂よりうんざり。
「なぁ、あんた」
お断りの口上は大抵、眼鏡の腹心が相手の『接待係』に向かって親しみの篭った口調で。
「ウチのボスが女を宛がわれて喜ぶように見えるかい?」
世慣れたロマーリオは口のきき方が上手い。相手の気持ちに逆らわない声でこちらの意思を的確に伝えていく。
「オンナの方からとばされるウィンクに埋もれて暮らしているんだぜ。せめて仕事の後くらい、一人でゆっくり眠らせてやりたいんだ。協力してくれないか」
ふざけた台詞だ。だが、何故か聞くものを納得させた。キャバッローネの若いボスの容姿にはふざけた台詞を補完する説得力があった。イタリアマフィア界ではピカ一でbP、まず何処からも文句の出てこない二枚目。きらきらの金髪に長く生え揃った睫毛、優しい顔立ちとその甘さを引き締める右腕に這うタトゥ。女たちは老いも若きもうっとりとその横顔を眺め、うっとりの余り話しかけられても何も聞いていないことがよくある。
けれどもその日の取引相手は押しが強かった。絶対に気に入るから、歓んでもらえるから、ぜひどうしてもお若いドン・キャバッローネにお帰り前に足をお留めいただきたいと要求する口調に眼鏡の側近は、ふと思いつくことがあって。
「プラチナブロンド、だったりするのかい?」
まさかと思いつつ尋ねる。それはまさかで、有り得ない。眼鏡の切れ者のボスが子供の頃から惚れているオンナはボンゴレ次代の繁栄の、立役者たるべき守護者への就任が内定している大物。こんな風な接待に使われるはずが無い。
「……」
取引先のボンゴレの渉外係は微妙な表情。けれど口元の歪み方でロマーリオには相手の言いたいことが分かる。驚きを隠しきれないまま、自身のボスに取り次いだ。
「まさか」
金髪のドン・キャバッローネは咄嗟に否定の言葉を呟く。まさかと思った。信じられない。
「似ている女、とかだろ。アイツの訳が無い」
近づくなと告げられてもう二年近く、パーティー会場での同席さえ避け続けている想い人は次のボンゴレのボスの側近。話題にする為に思い出すと、未だに胸が疼く痛みに耐えながら、若いディーノは、まさかと繰り返す。
「そうだな。本人じゃないなら何よりだ。……どうする?」
まさかと口に出しつつ気になる様子のボスに、側近は判断を促した。会うさと金髪のドン・キャバッローネは答える。本当はきになってならない。
「あいつのわけが、ないけどな」
でも気になって仕方が無い様子のボスを、ロマーリオは心から可哀想にと思った。若いというより幼い心に押された烙印は消えない。自分のことを愛してはくれないオンナのことをまだ思い続けている純情が報われる日は、いつか来るだろうか、と。
本人だった。
「よォ」
用意されていたホテルの一室。あまり広くもない部屋で、既にベッドに入って。毛布で腕の付け根から下は隠れているけれど、肩は裸で、何も着ていない様子。
「久しぶり。元気そーじゃねぇか」
口の利き方は相変わらず。優しくも気高くもないけれど、体育会系らしいサパサバした口調はそれなりに感じがいい。ニッと唇が半月形を描いて、細められた目とともに見事なアルカイクスマイルを形作る。月の光の冴えた夜の死神に相応しい美しさ。
「……すくあーろ」
笑いかけられたドン・キャバッローネは笑い返すどころではない。名前を呼ぶだけで精一杯。どうして、なんでと、尋ねたいことはたくさんあるけれど、それどころではなかった。
「……」
「はははは」
酸欠の金魚のようにパクパク、声を出せずに口を動かす金髪のドン・キャバッローネがおかしくてオンナは笑い出す。
「ドア閉めて、来いよ」
そして静かに、男に言った。入って、接待を受けろよと。何をさせられようとしているか承知だ。そう悟った瞬間に、ドン・キャバッローネが動く。
「お……、うぉっ?!」
ドアは閉めずに部屋の中へ。そうしてベッドのオンナに歩み寄り、毛布ごとオンナを抱き上げる。
「ちょ、おま、なに……、っ!」
「暴れるな」
「バカヤロウ、降ろせッ!土産じゃねぇぞおいっ!」
「うるさい。黙れ」
「てめぇ誰にンなクチきいてやがんだぁ!ブチ殺すぞっ!」
「やってみろ。出来るものならな」
毛布の下でオンナは裸だった。毛布ごしでも素肌の弾力が腕に生々しく伝わってきて、若い男に生唾を飲み込ませる。興奮にクチの中が乾く。けれども、欲情よりも怒りが辛うじて勝り、大またで歩き続けることが出来た。
「嫌ならオレを殴って逃げろ。出来るなら、別にオレが、腹を立てることはないんだから」
銀色のこのオンナ自身に何かの企みがあって自分をひっかけるつもりでこんな真似をしているのなら、こんな風に目がくらむほど、怒りはしないのだ。
「……」
オンナはそこで、反撃に出なかった。腕の中の相手をちらりと、ドン・キャバッローネは見る。見られて目をそらすオンナは正直だ。意思ではなく命令されてこんなことをしている。だから賓客に暴力はふるえないと、正直な横顔が告げている。
人払いされた一角を過ぎてホテルのエレベーターホールに出る。毛布から白い素足のはみ出したオンナを抱いて歩いてくる若い客の姿に、エレベーター係のボーイは職業上の無関心を貫けずビクッとした。
「連れの具合が悪くなった。裏口に車を廻してくれ」
「ボス」
ホールの奥の喫煙所でタバコを吸いつつ、待っていた眼鏡の側近が駆け寄る。
「上着を貸してくれ、ロマーリオ」
長身のオンナには毛布の丈が足りなくて、膝から下の素足をボーイがまぶしそうに見ているのが金髪のドンの気に入らない。ボーイはハッとして視線を逸らし、慌ててエレベーターのボタンを押して地下駐車場に連絡を入れた。学生と間違えてしまいそうなこの若者がマフィアの大物であることを薄々、ホテルの従業員たちは知っている。
「おぉーい、跳ね馬ぁー」
ロマーリオが脱いだスーツの上着が、オンナの膝を抱いた若者の腕と毛布の隙間に差し込まれ、うまいぐあいに白い素足を隠した。ボーイの同乗を断り、三人きりになったエレベーターの中で。
「手土産じゃねぇんだぁ。戻せぇ」
「……」
「持って帰っていいとは言われてねぇだろぉ?」
「……」
「黙ってねぇで、止めろぉオッサン。こいつんが勝手な真似したら、キャバッローネにもいいこたぁないぜぇ?」
「なぁ別嬪さん」
「喰いたくねぇならヤんなくってからよぉ、オレは、戻せ」
「あんたもう、ウチに来な」
銀色のオンナの頭は男の腕に強く抱きこまれていて、メガもの側近には見えなかった。けれど事態は表情を見なくても分かる。
「どんな事情でこんなことになったのか知らないが、あんたみたいなタマに娼婦の真似をさせる組織はファミリーじゃないだろう。戻ってもいいことはない。ウチに来な」
「ボスがコレなら幹部も能天気だなぁオイ。マフィアごっこのキャバッローネと違ってオレんとこはバリッバリだぜ。足抜けなんざ、そうそう気軽く、出来るわきゃねぇだろ」
ガン、っと。
エレベーターが揺れる。オンナを抱いたドン・キャバッローネが壁を蹴りつけたから。ボス、と、ロマーリオがその乱暴を静かに咎める。あまり揺らすとエレベーターが止まってしまうぞ、と。
「とにかく、降ろせぇ」
連れ去られることだけは避けようとオンナはそう繰り返す。否の返事の代わりに男はぎゅっと、オンナを抱く腕の力を強くした。ヤベェとオンナは心の中で思う。下手に刺激できないくらいドマジに興奮しつつあることを察して。
エレベーターは地下駐車場に到着。ボーイの指示を受けた跳ね馬の真っ赤なフェラーリはすぐ目の前に廻されていた。ロマーリオが先に立ってまずは助手席のドアを開く。どさりと毛布ごとオンナを、金髪の男はシートに落とす。
「だから、オイ……」
自由になったオンナが起き上がろうとした拍子に毛布がずれて、胸の膨らみがトップ近くまで見える。透明感に富んだ肌が美しくて、服を着ている時よりも膨らみは豊かだった。着やせするタイプか、いい女だなと思いながらそんな思考を気配にも見せず、眼鏡のロマーリオはカオを伏せたまま恭しく毛布の端を摘んで引き上げ、ボスの想い人のヌードを視界から隠した。
「オッサン、マジかよ。なぁバカを止めろって」
ロマーリオに向かってオンナは助手席の窓からカラダを乗り出して腕を伸ばし、冷静な判断を求めてシャツの裾を掴んだ。毛布がまた捲くれて真っ白な背中から腕の付け根までが見える。運転席に乗り込んだ跳ね馬は、オンナの足元に落ちていた側近の上着を拾って背中にかけてやる。ロマーリオは掴まれて足を止めたが視線はオンナから逸らしたまま。
「コレはいいって言われてねぇだろぉ?なぁっ!?」
男たちの気配りをオンナは無視した。スポーツカーの狭い運転席で自身も上着を脱ぎ、脇から胸のふくらみがもろ見えの肩に掛けてくれる跳ね馬はもちろん、この側近のこともオンナは昔から知っていて、素肌を見られることにさほどの抵抗はなかった。
が。
「ドン・キャバッローネ!」
騒ぎを聞きつけて取引の応接役が、地下まで追ってきた声を聞くなりその白い腕をさっと引っ込め、カラダを縮めてシートの上に収まる。ずり落ちかけた毛布を自分で肩まで引き上げる。その頭に跳ね馬の上着が掛けられ、顔を隠してやった。
「何事ですかこれは、一体ッ」
「失礼ながら、それはこちらの台詞です」
ボンゴレ側の応接役をフェラーリに近づけるまいと、ロマーリオが体を張って、その詰問者を阻んだ。
「彼女はウチのボスの求婚相手です。返事は何年も保留されていますが、それはボンゴレ九代目もご存知の筈です。なのに何故、彼女の貞操を汚すような真似をさせておられるのですか」
静かな声だが厳しい抗議。大げさな表現だが嘘は含まれていない。ドン・キャバッローネがテュールを倒した銀色の女剣士に片想いしていることはボンゴレ上層部ならみんな知っている。だからこそ餌として投げ与えたのだ。
けれど。
「彼女に対するこの扱いは、キャバッローネのボスとファミリーに対する侮辱です。納得のいく説明をしていただけなければ宣戦布告と解釈させていただきます」
ボンゴレ主催の公のパーティー会場で、堂々と口説いていたオンナを娼婦扱いされて歓ぶと、思ったボンゴレは思慮が浅かった。
応接役が顔色を変えるうちに、エンジンを掛けられたフェラーリがタイヤを鳴らして急発進。わざと応接役をギリギリに掠めて、爆走していくエンジン音は若い男の怒りの咆哮そのもの。