最愛・13
よくある事故だった。だから続報は流れなかった。夜の峠で、スピードの出し過ぎ、凍った路面でタイヤがすべり、コントロールを失った車体が崖に激突。
よくある事故だった。でも、事故現場の赤城に、夜に棲んでる連中は驚愕した。あの人がそこから姿を消して六年。でも鮮やかに、伝説は残ってた。
急勾配の峠を、一気呵成に駆け上り駆け下りていった真っ白の車。現場検証が始まる頃には情報が伝わって野次馬が集まり、警察が撤退するなりの人だかり。闇の中、月明かりを頼りに連中は砕けた白い車の破片を、捜して、拾って、宝石みたいに握りしめた。剥げ落ちた塗装がパウチされて、地元じゃかなりの数、出回ってるらしい。馬鹿馬鹿しい話だ。
馬鹿馬鹿しいと思いつつ、俺も似たようなことをした。解体工場に運ばれたそれの、ハンドルを外して引き取った。若い頃、まだ自分が何者か自分でもよく分からなかった頃、俺はどれほど憧れて、切なく喘ぐ夜を繰り返しただろう。白い偶像をベッドに転がって、シーツの上で抱き締める、崩壊ギリギリの悦楽を、彼のカラダじゃなくて、車で味わうとは思わなかった。
俺のものにしたハンドルを、眺めていると嫌でも気付く。不自然な位置についた指痕。乾いた血の、それを拭うべきか、どうか、俺は考えたがそのままにしておいた。それも一つの、記念と思ったから。
暫くは身辺がごたついた。落ち着いてから、親父の使いで、俺は現場に花を供えに行った。こういう時の花らしく、可憐な形の花弁は白ばかりで、百合以外はナンなのか俺には分からなかったけど、白い花ばっかりを一抱え、清楚な花束にしてあった。
現場はまだ、かなり生々しかった。わざと真っ昼間、タクシーに乗ってきて、少し離れた場所で降りた。歩いてそこへ向かううちに、アスファルトにこびりついたタイヤの跡が見えてくる。濃淡をつけて伸びていくそれを追えば、そこで何があったのか、俺には見えるようだった。切なくあとを追いつづけたあの、白が砕けていく様も。
最初には、右の運転手側が壁にヒット。ぎゅっと踏みしめられるブレーキ。反動でナビ側がガードレールにぶち当るのを寸前でかわして、そのせいでまた右側がヒット。そこで車は完全にコントロールを失い、加速しつつ車体は流れて、最後には……。
……、なんて白々しい、嘘だ……。
ここは赤城だ。そしてハンドルを握ってたのは俺のアニキ。未来永劫、あれは赤城の峠の主人で、FCはその従者。これだけのお膳立てが揃って、ナンで事故なんか起こる。
上がって来た車を途中、神業みたいに避けて通しといて、何も出来なかったなんてあんまりないい訳。
ブレーキ跡が消えた場所に、俺は花束を置いた。事故の痕跡は生々しく、まだそう日が経ってもいない。なのにそこには、何も置かれていなかった。花も、供え物も、何一つ。
それはよくある事故だった。だから続報は流れなかった。峠で車の、自損事故。運転手は軽症、同乗者は、即死。
死んだ奴の、ツラを俺は覚えてる。そうマズい顔でもなかった。体格がよくて力が強かった。一見は大人しそうで、涼介先生にお会いしたいんですと、俺にそう言うまでは普通の奴に見えた。俺が会わせることを拒むと豹変して、目の焦点がいきなり合わなくなって、家に上がろうとしたから玄関で殴りあった。
まだ若い奴だった。なにせ十代だ。そんな歳で死んだ奴は何人も知ってる。事故はマトモな死に方のうちで、クスリでぼろぼろになったのも、自殺も居る。一番最近、死んだのは女だった。
俺が殺した。
花束が揺れる。風もないのに、花弁の先が。
触れてるのか。白い花は好みか?
俺の大事なもの傷つけた、お前を俺はどうしても許せないけど。
お前は罰を受けたさ。ずっとここに、そうやって立ってろ。あの人は二度とここに来ない。俺も、もう来ない。
この花は嘘だ。お前に供えられたのはあの白い車。十分だろう、もったいないくらいだ。あの白に憧れて憧れて、狂い死にそうに焦がれた男は数多かったんだぜ。
白い車であの人に殺された、若い男のことを俺は、ほんの少しだけ……、妬んだ。
家に帰ると警察が来てた。自宅療養中の彼に事情を聞くためだった。家政婦が刑事を送り出すところだった。刑事たちは俺にも会釈して出て行った。その表情で、俺はまた一つ、嘘がまかり通ってくことを知った。
「……、アニキ、入っていい?」
二階の彼の部屋、ドアをノックする。あぁと答えが返って来るのを待って開けると、ベッドの中で彼は起き上がってた。大きなクッションに背中をもたれさせて、読みかけの本を横に置く。この人は本当に軽症だった。少しの打撲と、足首の捻挫。それだけ。
至近距離に座ってた奴は、見分けがつかないくらい、ぐちゃぐちゃに潰れたのに。
「お帰り」
「うん。行ってきたよ、赤城。花、供えてきた」
「そうか」
「なに読んでたの?」
彼が置いた本に目を向けると、それは挨拶文例集だった。サイドテーブルには万年筆と便箋。彼が何を書こうとしてたか、俺にはすぐ分かった。退職願。
「警察、信じた?」
事情はどうであれ、もとは同じ病院に勤めていた介護士を、同乗のうえで事故死させたとあっては、職場にい続けることは出来ないのだろう。例えその介護士が、彼と心中しようとして彼が運転するハンドルを、横から掴んで無理心中、しようとしたとしても。
「あんたの嘘、信じてくれた?」
俺を眠らせておいて、あんたはのこのこ、外に出た。見張られていることは承知で近所のコンビニで買い物。ミネラルウォーターとビタミン剤ってのは、うまい選択だね。まさか殺人を計画してる人間がそんなもの、買うとは普通、思わない。
会計を済ませて駐車場に出ると、前夜、自分の父親を殴り倒した、若い男がそこに居て。
……、自首をすすめた、なんて……、よく言うよ……。
一緒に出頭しようって車に乗せて?
なんで赤城に行ったのさ、最後に夜景を見たいって言われたから?
……、ふざけんなよ……。
あそこであんたは神様だ。出来ないことは何もない。上首尾に始末して。
「お前が何を言っているか分からないな」
「あんたは俺のこと、ちっとも信じてなかったね」
「あの子には気の毒だった。助けてやれなかった」
「俺に嘘ついて、薬もって眠らせてくれて」
「疲れていたんだろう、お前」
「あんたはいつもそうだ。いつも、自分だけで動く。俺はあんたのナンだよ、相変わらず玩具か?」
「啓介」
「ふざけんなよ。いつもいつも、いつまでも、俺があんたの掌の中で」
「それでも、結果的には……、良かったというのは、不謹慎だが」
「あんたの思い通りと思ったら間違いだぜ」
「お前も俺も、父さんも、これで安心して暮せる」
「次は、俺だろ?」
人殺し。
「……、お前の、ために、なると思ったのに」
俺に責められることが彼は不本意なようだった。俺や親父を庇って外敵を排除した?あんたは俺を守ろうとしたの?俺は、とても、そうとは、思えねぇ。
「俺はどうやって殺すの?」
自分が殺されたような気がするのは、きっと俺も、あいつと同じように、この人をレイプしたから。
「俺のことはどう言って騙すの?」
ベッドに歩み寄り、至近距離から覗き込む俺を、彼は悲しい目で見つめ返す。言葉を捜して、でも捜しきれずに。
「……」
目を閉じた。誘いに応じて、俺は唇を重ねたが。
「白い車は、あいつにやったんだよな。俺にはなにくれんの?」
俺の命と、引き換えに?
尋ねると、彼の睫毛が揺れて、俺のと重なって。
「……、啓介」
悲しい溜息が、一つ。