さようならではなくて・10

 

 

 

 よぉと、昔の目尻で笑い、かけられて。

「……スクアーロッ」

 金髪の男は激した。思わず手を上げた。手首だけの平手で横面を、殴るというより叩くという程度、怒っているという意思表示以上の意味を持たないヤワさでだったけれど。

「この、バカッ!」

 細いカラダは衝撃に無防備に揺れた。痩せぎすなのは昔からだが、衰えた体は以前のような強靭なバネを失くしていた。その揺れ方に金髪の男は手を上げたことを後悔したが、それでもたまらず、怒鳴りつけてしまう。

「なんで戻ったんだ。歓迎されないことぐらい分かっていただろう。居場所がないから出てきたんじゃないか。どうして……ッ」

 金髪の男の言葉を銀色は俯いておとなしく聞いていた。

「どうして……」

 男の声が詰問から哀願に変わるまで。

「どうして、オレを棄てたんだ……。仲良くしていたのに。ナニが、気に入らなかった、んだよ……」

「跳ね馬ぁ」

「あんなに、愛し、あった、のに……。なんで……」

「オマエにゃわるかったって思ってるぜぇ」

「オマエと、ずっと……、生きて行くつもりだった、のに」

「おぉい、泣くなぁ。なさけねーぞぉ」

「夢をみさせておいて、酷い……」

 肩を掴んで詰問していた男はあっけなく崩れ落ちる。オンナの声を聞いて、嬉しくて。覆いかぶさっていたカラダを抱きながら床に膝をついた。細い腰に両腕を廻し、縋りつくようにしながら。

「……オレにはオマエ、だけなんだ……」

 純愛を告白。分かっていたことだろうけれど。

「ごめんなぁ」

 銀色は優しかった。穏やかに答えて、男に合わせて自分もしゃがみ込む。縋りつく男を抱き返し、きらきらの金髪をそっと撫でてやる。

「オレを、やっぱり、スキになれなかったのか……?」

 撫でられて金髪の男が、たまらずにそんな、正直なことを尋ねる。

「オレとセックス、するのがイヤになったなら……。言ってくれれば、止めたのに……」

「あー?んなこたぁ、ぜんぜんなかったぞぉ。オマエ良いオトコだったぜぇ。ベッドの中ではなぁ」

「……スクアーロ」

「なんだぁー?」

「ごめん……」

「なに言ってんだぁ?オマエがオレに謝ることなんざ一個もねぇだろーがぁ」

「ウソつくなよ。俺がイヤだったんだろ。じゃなきゃ、帰るわけがないじゃないか。邪魔にされるのは分かっていたのに」

「オマエに不満があったんじゃねぇよ」

 銀色は、金髪のオトコの嘆きを、抱きしめて慰めた。

「死ぬほどオレが、イヤだった、ん、だろう……ッ」

「まさか」

 あっさりとした否定はまんざら、ウソとも思えない。

「ンなこと考えてたのかよ。悪かったなぁ。全然そんなこたぁねーよ。ただ、オレが、バカだっただけだぁ」

「……スクアーロ」

「なぁ、やっぱ、オレもどーしたって、アイツがスキでよぉ」

「オマエに生きて、いて欲し、か、った、のに」

「命いらねぇって、マジ思っちまったんだぁ」

 別離から半月以上経って、別の男に優しくやさしくされて幸福に暮らしていたけれど。

「なんにもなぁ、要らねえって思ったんだぁ。オレが馬鹿だった、だけだぁ。気にすんなよ」

「ムチャ言うなッ!」

 するに決まっている。誰より愛していた相手。

「殺される、って、お前は、分かって、たのに」

「まぁ、なぁ」

あっさりと銀色は事実を認める。戻れば始末されるかもしれない、ということは分かっていた。

 結婚を控えた主人のもとへ戻るということがどういうことなのか、理解しないほど初心でもマフィアの世界を知らないわけでもなかった。邪魔になったのに纏わりつけば蹴り殺されるのが飼い犬の運命。でも、勿論、一縷の望みを抱いていない、訳でもなかったけれど。

 大人しく隅っこで小さくなっているから捨てないでくれと、願えば情けをかけられるかもしれないと思っていた。

「オマエの愛情をアイツは裏切った」

「……まぁ、しょーがねぇよ」

「オマエがあんなに愛してやっていたのに、アイツは」

「オレが勝手に惚れてただけだぁ」

 片思いは昔から。カラダだけは可愛がってくれたけれど、手じかにあったから使われていただけ。でも銀色はそれで十分だった。そばに居られればそれだけで良かった。

「……かわいそうに」

 金髪のオトコは半泣き。

「かわい、そう、に……」

 男の同情をオンナは不愉快には思わなかった。憐憫には優越感がなかった。

「バカにゃ当然の報いだぁ。オレが甘かった。勘違い、してた」

 随分長くセックスを繰り返していたから、遊びの戯れでも少しは気に入られているのだと思っていた。愛情の欠片でいいからと請えば与えられるかもしれないと期待していた。

 甘かった。

 けれど。

「でもよぉ、最後、ちゃんとしてくれたんだぜぇ?」

 金髪の男があまりにも嘆くからそんなことを言ってしまう。そんなに同情しないでくれという気持ちは、そのまま自分を片付けたひどい男を庇っているのだった。

「勝手に帰って来たのに殴られなかったし」

「……当たり前だ」

「殴るどころかよぉ。すっげぇ、優しくしてくれたんだ」

「……オレより……?」

「さすがに、それはねぇ」

 銀色は笑う、明るく。

「それはねぇけどなぁ、あいつにしちゃすげぇ努力だった筈だぁ。オマエと違ってモトがぜんぜん、優しくねぇヤローだからなぁ」

 薄情で意地悪で強壮で皮肉屋。でも愛していた。

「最後可愛がってくれた。だから全然、恨んでるとか後悔とかしてねぇ。だから跳ね馬、お前が苦しむなよォ」

 そんなにオレの為に嘆き悲しむなと、優しいオンナは優しい男に言った。

「分かってて、オレが自分から戻ったんだからよぉ、自業自得だぁ。アイツのことも、罵らねぇでくれ」

 最後に本音をぽろりと零す。

「アイツが結婚すんの、見ないまま死ねて幸せだっだぇ」

「……そんなに愛していたのか?」

「みたいだなぁ。アイツが女房のものになるのを見るくらいなら、死んじまいたいって本気で思っちまったんだぁ」

 命がけで愛していると思っていた。違った。命そのものだった。生きていることの意味。

「思い通りになったぜぇ全部。最後アイツの部屋で寝かしてもらえて、アイツの部屋で死ねた。幸せだったさ、十分」

 もちろん、願いを、愛情を欠片でいいから受け入れてもらえれば、それが一番嬉しかったけれど。

「スクアーロ」

「思い通りに、生きたさ」

「砒素は、苦しかっただろう?」

「……」

 苦しくなかった、とは銀色は言わなかった。優しい男にウソはつかなかった。コーヒーに混入されたそれを飲み下した途端に襲ってきたのは激しい嘔吐感。喉から腹までの粘膜が爛れるようだった。

分かっていたから部屋を汚さないように、バルコニーに出てから毒入りのコーヒーを飲んだ。頭痛がして立っていられなくなって、石畳に崩れ落ちたのを覚えている。手足が痙攣して、痛む自分のカラダを押さえることも出来なかった。苦しかった。

「可哀想に」

 繰り返し、そう言われると、自分が確かに憐れな気がしたけれど。

「すっげぇ幸せ、だったぜぇ」

 悲しみを振り切ってオンナは覚悟よく笑う。

「最後、優しくしてくれたんだぁ。嬉しかったなぁ」

「ウソの、演技だろう?本当に愛しているならお前を殺したりしない筈だ」

「邪魔になっちまったんだから仕方ねぇだろ。邪魔になってんの分かってんのに、のこのこ、戻っちまったのはオレがバカだったからだぁ」

「アイツはお前を愛していなかったんだぞ。なのにどうして戻ったんだ。バカ……」

「恋しかったんだよ」

 あっさり、オンナは金髪の男の問いに答えてしまう。

「オレは愛してた。だから抱きしめてキスしたかったんだ。その後で殺されても、いいって思っちまうぐらい」

 捨てられて、諦めたようと思った。最初はそのつもりだった。でも顔をみてしまえばお仕舞い。自分の気持ちにウソはつけなかった。

「……オマエはそれで満足かもしれないさ……」

 優しく宥められても金髪の男の嘆きは収まらない。

「でも、お前を愛してる人間のことも少しは考えろよ。酷いぜ、あんな、居なくなり方は」

「んー。悪かったけど、カンベンしろよ。しょーがねぇだろ」

「ナニが仕方ないんだ」

「おやすみって、言われちまったんだぁ、アイツに」

 嬉しい秘密をそっと見せるように銀色のオンナは囁く。男は意味が分からない。なんだよソレと、尋ねる。

「だから、おやすみって」

「おやすみがどうしたんだよ」

「そーゆーコト、言われたの初めてでよォ」

「……え?」

「嬉しかったなぁ」

「スクアーロ……」

 にこにこ笑う、オンナを男は本気で不憫になってしまう。

「バカだ、オマエは」

「うん」

 分かっていると頷くオンナは、本当はバカでも不幸でもなかった。