さようならではなくて・11

 

 

 

 

 分っていると頷くオンナは、本当はバカでも不幸でもなかった。

「スクアーロ」

 そんな想い人を、金髪の男はぎゅっと抱きしめ重なるだけのキス。銀色のオンナは嫌がらない。自分から生身の右腕を伸ばして男の背中を抱いてやった。

「お気に入りだったぜ」

 命がけの愛情は別の男に捧げつくしたけれど。

「テメェもオレの、お気に入りだった。テメェがメスなら最初にオレのガキ産んでただろぉってくらいにはなぁ」

「……それでもよかったよ」

 いっそそうでもよかったと、本気で思う金髪の男は、腕の中のオンナを本当に愛していた。

「うしろを、向け」

 金色の愛情の、あかしがそこで、たてられる。

「振り向いて、見ろよ」

 こよなくこれを愛している別の男が居ることを。

 

 

 

 

 

 結局、その気遣いは、ムダになってしまったけれど。

「同盟は?」

 ボンゴレ十代目の申し出を。

「……いいぜ」

 ドン・キャバッローネは受ける。誓約書はなく立会人も居ない口頭での遣り取り。けれどもキャバッローネという組織そのものである金髪の男の一言には羊皮紙に金箔で文言を刻み付けた契約書より価値があった。

 一緒に並んで、ボンゴレ本邸の玄関へ二人は歩いていく。銀色のオンナとそのオンナを愛している男のことは、奥の部屋に残して。

「生きてたことを、どうして教えてくれなかったんだ?」

 同盟は承知したが、不満が胸から消えた訳ではない跳ね馬はかつての弟分に尋ねる。

「生き方が特殊だったからですよ。それに死んだことにしていた方が本人の安全の為だったからです」

 その説明は理にかなったものだったけれど。

「耳打ちくらいしてくれても良かったんじゃないか?」

「ディーノさんが落ち着いてくれたらするツモリでしたけどね、最初は」

 あの銀色が崩れて、ボンゴレ九代目の養子の結婚が破談になっていた時期、ボンゴレも荒れたがこの金色の男も激昂し、怒りは激しかった。手袋を投げつけての決闘を申し込みそうだった。ザンザスがボンゴレ本邸から一歩も出なかったことが幸いして直接対決は避けられたが。

「ボクともそのまま、縁を切られちゃったし」

 同盟は解消された。『妻』に準じる恋人として、国内の主要マフィアの幹部が多く集まる街を、助手席に乗せて流していたオンナを殺されたドン・キャバッローネの立場としては仕方のない選択だったけれど、そうなると沢田綱吉の側にも駆け引きが必要になる。実は『生きている』オンナの存在は切り札だった。その札は先刻、実に有効に切られた。

「治らないのか、あれは」

「医学的には手を尽しましたけど、ムリみたいです。砒素で脳の一部が萎縮して、認知症に似たことになっているって、ドクター・シャルマは言ってました。今のところ、医学的には対策がないそうです」

「そうか……」

 闇医者とはいえ神がかり的な腕を持つシャルマの診断がそれなら、望みはないのだろう。そうしてあの医者に診せたということは、最善を尽したという言葉がウソでないことを証明していた。

「あのバルコニーから離れたがらないんですよ、あの人。毒を呷って発見されたのもあそこだったし、他にも思い出のある場所みたいで」

「思い出?」

「あの部屋はもともと、ザンザスの部屋だったそうです」

 そう聞いて、金の跳ね馬は。

「……ふん」

 面白くない顔をした。少年時代の跳ね馬はヘナチョコで、その頃から威風堂々としていたザンザスに深刻な劣等感を抱いていた。当時のことは思い出しても苦い。

「九代目とザンザスがここをオレに明け渡してヴァリアーに移った時、一緒に連れて行かれたんですけど、何度も何度も逃げ出してあのバルコニーに居たがるから、もう、ここに置いておくことにしたんです」

「人質だった訳か」

 跳ね馬は聡く勘付いた。

「人聞きが悪いなぁ」

 沢田綱吉はしらじらしく言ったが否定はしない。

「どうりでな……」

あのザンザスが足繁くボンゴレ本邸に通い、その主人である沢田綱吉に服従を示していた筈だと跳ね馬が唸る。その声には隠し切れない感嘆が混じっている。あのザンザスが他人の為に辞を低くするなんて信じがたいことだ。けれども確かに目の前で見た。沢田綱吉に押さえつけられ大人しくしていた姿を。

「……あいつも……」

 苦労したんだな、という感心の中には、オンナの為にそんなことをするなんて意外だびっくりだと、言っているのでもあった。

「スクアーロさんの移籍手続きはすぐにします。明日、書類を揃えてキャバッローネに届けさせますよ。ただ」

「身柄は預かっておいてくれ。経費はこっちで出す」

「分かりました」

 食費と医療費、身の周りの世話をする使用人の人件費の支払いをキャバッローネに移しておけば、銀色の鮫がそちらの『持ち物』である証明が成り立つ。

白蘭との戦争でザンザスと沢田綱吉が死亡し、ボンゴレの実権が他者に移っても、キャバッローネとの義理は無視できない。移植用のパーツにされて切り売りされる運命は免れるだろう。

 それは、万一、負けてしまった場合のこと。

「協力への報酬は雨のマーレリングで?」

「いいぜ」

 白蘭の力、過去と未来の運命への干渉、死者を復活させる能力をフェイクのリングを使ってとはいえ目の前で見て、金の跳ね馬は戦う理由を得た。短い時間のやり取りだったけれど、死んだと思っていたオンナと話せた、喜びは戦慄的。

「なぁ、ツナ」

 穏やかな声で名を呼び、跳ね馬は立ち止まる。回廊の角を曲がればかつて御曹司が住んでいた屋敷ではなく、ボンゴレ本邸の本館に入る。人の目と耳が増える。内証話には向かない。

「はい、なんですか?」

「戦いでオレが死んだら、指輪はザンザスに渡してくれ」

「わぁ。すごい。純愛だなぁ」

 沢田綱吉は笑った。目尻に隠し切れない、嫉妬の気配を滲ませて。

 

 

 

 ドン・キャバッローネの見送りを済ませてから医師を呼び寄せ、 手首に大袈裟な包帯を巻いて帰っ来たボンゴレ十代目は、自室に帰るなり。

「痛いよー。ヒバリさん、撫でてー」

 ひどく甘えた声を出す。数字札前から部屋に連れ込まれているかつての情人の、美しい顔がちらりとその怪我を見た。

「どうしたの」

 読んでいた新聞をテーブルに置いてソファから立ち上がる。

「ザンザスに捩じ上げられちゃったよぉー」

「またちょっかい出したのかい。本当にキミは彼をスキだね」

「スキっていうか、仲間ですー。なのにアッチにその気が全然ないんで、時々腹が立ちますー」

「気持ちはちょっとだけ分からないでもないけど」

 ふざけた口調で告げる沢田綱吉が差し出す手を、雲雀恭弥は優しく両手で包み込んでやった。五指の揃った、爪の形まで実に整った美しい白い手で。

「笹川了平を呼ぶ?」

「んー。明日でいい。今日はもう遅いから」

「一晩反省するの?」

「今晩、あなたに撫でてもらうから」

「どうなった?」

「なるようになったよ」

 穏やかに沢田綱吉は答える。ほんの少しだけ背伸びして、目の前の唇にちゅっとくちづける。

「跳ね馬、喜んだだろう」

「うん。凄く。すぐにリングの石が我ちゃって、ほんのちょっとしか話せなかったけど」

「フェイクの雨に大空の焔じゃね」

 短時間なのも仕方がんないだろうと、雲雀恭弥が長い睫を伏せながら呟く。

「ボクの、これは」

 その指には霧のフェイクのマーレリング。その横には真性のボンゴレの雨のリング。横には二つの力を補佐する大空のボンゴレリング。加えて、かつてバイパーが所持していた霧のおしゃぶりを胸に掛けている。

「どれくらい持つの?」

 三つのうちの一つはフェイクだがそれでも三つの力が総悟に作用したところを大空のリングで安定させて、あの大怪我を負わなかった場合の姿でそこに居る美形が尋ねる。

「ずっと」

「ウソツキ」

「本当だよ。マーレリングを、オレがあなたにあげるから。七つ揃えて、永久に」

「そんなこと出来ないだろう」

 リングを他にも欲しい人間が居るだろう。少なくとも雨はザンザスが欲しがる筈だ。金の跳ね馬も。その二人は目的が同じだから、競合しても問題はないけれど。

「するよ」

 オンナをぎゅっと、抱きながら、オレンジの瞳のボンゴレ十代目は言った。

「あなたの為なら仲間も裏切る。なんでもするよ。誓う」

 自分を庇って大怪我を負ったこの恋人が、自分のせいで失った未来をとりもとすためなら。

「オレは卑怯者にだってなれる」

 本気の誓い、心からの告白を。

「ムリするんじゃないよ」

 抱擁にこたえて抱き返してくれながら、けれど少しも、信じていない相手を死ぬほど恨めしく思った。