さようならではなくて・4
鄭重を極めた同盟の申し出に、輝く金髪のドン・キャバッローネは答えた。否、と。
「……おとなげなーい」
八歳も年上のもと兄貴分に向かって、ボンゴレ十代目を継いだ沢田綱吉は弟分だった昔の口調で呟く。聞こえよがしの愚痴を、ふんと、実に大人気なく、二枚目の金髪は笑い飛ばす。
「本当に俺をオトナと思っていたなら、お前は相当、見る目がなかったってことだぜ、ツナ」
「そんなことないですよ。ディーノさんはむかしはオトナで、俺の事を庇ってくれていました。よく覚えてます」
「昔はオマエが子供だったからな、ツナ」
「そんなに意地を張らないで下さい。必要なことだってことは分かってくださっているでしょう。同盟してください。昔みたいに、身内になってください。一緒に闘ってください。白蘭と」
「いやだ」
「ディーノさん」
「そっちにザンザスが居る限りは嫌だ」
言い張るディーノの口調につられて、沢田綱吉も。
「コドモみたいなワガママ言わないでよ」
つられて少年時代の口調になってしまう。
「俺がザンザスを棄てる筈がないでしょ。走狗どころかウチで一番強い狼のボスだ。兎どころか狐が森に湧いてるこの事態だよ?ボクはあなたも欲しいけどザンザスのことも手離せない。どっちが欠けても勝ち目がなくなっちゃう。それくらいのことはあなたも分かってるでしょう?」
「勝ち負けよりも大切なことがあるんだよ、ツナ」
「ないよ」
「ある。オマエがまだ知らないだけだ」
「知らないのはあなただ」
歴代随一の実力者だと噂のボンゴレ十代目の、瞳がうっすら、オレンジの色を帯びる。
「負けたら何もかも失う。気に入らないから協力しないなんて甘いことは言っていられなくなる。これは真剣勝負だ。負けたら全部、何もかも失くす。自分の命だけじゃないことを、あなたは分かってない」
「……」
金髪の二枚目が言葉を返さなかったのは納得したからではない。敗北を語るもと弟分の表情があまりにも可哀想だったから。なにを言っているのか見当がついたから。マフィアの世界に君臨するボンゴレ十代目が、プライベートでは跪いて仕えるような態度でこよなく愛していた、あの雲の守護者。
「……オレもな、ツナ」
自身の傷に言及した勇気に免じて、金髪の二枚目の口調が隔てのないないものになる。
「あいつが殺したとは、さすがにもう、思っていないんだ」
一度は手にして、有頂天。なのに失ってしまったあの鮮やかな姿を。
「最初のうちは疑って、思い込んで居たさ。政略結婚に邪魔になったスクアーロのことをあいつが殺したんだってな。でも、さすがに……。状況証拠がな……」
流れる年月のうちに、嫉妬に目が眩んだ金髪のこの二枚さえ認めざるを得ないほどの反証が積み重なっている。あの姿が見なくなって以来、あの男は何もかもを放り出した。九代目の養子として当然の権利があった個人財産の相続も、ボンゴレ十代目を日本人に継承させる代償として与えられた美しい花嫁も。自身の結婚式を無視して病床に付き添っていた態度は、反抗の隠れ蓑にしては反響が大きかった。
花婿の無礼を憤る花嫁側の親族、それはボンゴレ一族及び上層部だったが、その激昂を、恋には勝てないでしょうと宥めて、臨終を看取らせてやったのは沢田綱吉。オレの相続祝いと思って見逃してくださいよと、辞を低くして、ザンザスの為に頼んだ。
借りを作った形のザンザスはその後、沢田綱吉に対して義理堅く接している。かつて自身が育ったボンゴレ本邸への表敬訪問を定期的に行い、臣従とまではいかないが反抗的な態度は絶えて見せない。そのザンザスの行動はボンゴレ内部の統率にとって素晴らしい梃子になった。コレとアレとがつるんだのなら逆らえないと戦慄させるだけの実力が二人にはあった。
「ただ本当のことを知りたいだけだ」
「本当のこと?」
くっと、肩を上げて喉の奥で沢田綱吉が笑う。
「おかしいか?」
笑われても金髪の二枚目は怒らない。
「ごめんなさい、よく分からなくて。ディーノさんは振られたんですよね。スクアーロさんがザンザスのところに戻ったまでは本人の意思だったんだから」
「そうだ」
「それが本当のことでいいじゃありませんか。それ以上はディーノさんとは関係ないことでしょう?」
「出て行ったオンナを愛していなかったら、そこで済んだだろうな」
落ち着いて金髪の二枚目は答える。年の功の粘りを感じて沢田綱吉がやや表情を改める。顔輪ほどヤワくも優しくもない相手だということを、よえやく思い出して。
「でも愛しているから、オレを棄てた後のことも凄く気になるんだ。棄てられて恨んでるけどそれより、オレじゃないのとでもいいから幸せでいて欲しいって正気で思っているんだぜ」
「純情なんだ、ディーノのさん」
「そうだ。知らなかったのか?」
「いえ」
知っていましたと、俯いた沢田綱吉がさっきとは違う風に笑った。
「本当のことなんか、知ってもいいこと、なんか一つもないのに」
「知らないよりも苦しいことはないぜ、ツナ。どうしてあいつは死ななきゃならなかっった。ザンザスじゃなくてあの館で、あいつに危害を加えることが出来たのが誰かくらい、オレにも分かっているけどな」
「そのへんのカラミでオレはディーノさんに、本当のことを知って欲しくなかったんですけど」
「でもどうしても、納得できないんだ。むざむざ殺されるスクアヘーロじゃない。喉を差し出すとしたら、あいつにだった筈だ。分からない」
「なんか、祟るなぁ。本当のことを知ったらディーノさん、オレのこと嫌いになるかも」
「オマエじゃないだろう、ツナ。オマエは賢い。篭絡したい相手の愛人を殺そうとしたりしないだろう」
「……父さんが」
「あの人とオマエは別の人間だ」
「ホントにそう、思ってくれますか?」
スーツ姿でキメて訪問していたボンゴレ十代目が、ゆっくり椅子から立ち上がる。
「一緒に来てください」
「何処にだ?」
「ボンゴレの本邸に。本当のことを教えます」
「それが本当だっていう証拠は?」
「はは……。厳しいですね。獄寺君、残ってくれる?」
「はい、十代目」
それまで黙って背後に立っていた右腕が答える。キャバッローネに人質として残していく、と、沢田綱吉は言っている。
「獄寺君が証拠で、いいですか?」
「……いいぜ」
金髪の二枚目は納得した。そばから決して離れない腹心の獄寺隼人は、ザンザスや自分を必要としているのと同じくらい、貴重で大切な戦力だ。
二人で連れ立って車に乗る。駐車場で待っていた山本は、相棒が一緒でないことに気づいて瞬いたが、事情を察して、黙って後部座席のドアを開ける。数年ぶりに並んで腰を下しながら、防弾・防音の仕切りが運転席と後部座席を隔てた後で、金髪の二枚目が口を開く。
「恭弥は?元気なのか?」
嫌がらせで言ったのではなかった。ボンゴレとの断絶以来ずっと、それが気になっていた。金髪の二枚目にとっては初めての、そうして今のところは唯一の教え子。その身に変事が起きたらしいことを知っていた。
「元気、なんじゃないですか。死んだって話は聞かないから」
問われて沢田綱吉は答える。ひどく正直に。声が震えて、顔色が変わった。
「会えていないのか、ツナも」
並盛財団に引き篭ったまま、もう数年、ちらりとも姿を見せていない。
「ええ、ええ。一度も会ってくれません。負けてから、ずっと」
声どころか、肩も背中も震わせて。
「あの人、本当は、オレのこと嫌いだったんですよ」
昔の兄貴分に殆ど涙声で、悲しみを訴える。
「……まさか」
と、優しい兄貴分は答えた。
「そんなこと有り得ないだろう。恭弥はオマエのことを好きだったぜ、ツナ。何かの間違いだろう。オマエの勘違いだ」
「ディーノさんは、知らないから、そんになこと言えるんですよ。本当は、雲雀さんは、オレのこと、ちっとも……」
「ヒバリはお前をあんなに愛してたじゃないか」
ぐ、っと、沢田綱吉が奥歯を、噛み締めるのが、見なくても分かった。涙が出るのをこらえる仕草だった。