さようならではなくて・8

 

 

 慈悲なんだろう、多分。

 重なって来る男の熱と重さを感じながら、目を閉じながら、考える。

 施しだこれは、きっと。結婚前に始末するオンナに与えるのが新しい男ってのは、マフィアにしては優しい振る舞いのうちだ。何年も仕えた情婦へのさよならのプレゼントが弾丸や毒杯っていう裏切りが珍しくもない世界では。

「スクアーロ」

 裸の男は見た目より重い。金髪のハンサムな、ガキの頃の遊び相手。覚えてたよりずいぶん、でかく育って、厚みを増していた。

「辛いなら今夜は止めとくぜ?」

 頬に触れてくる掌があっちぃ。ちゃんと興奮されて欲しがられてる。それだけが俺の気持ちのかすかな救いだった。ボスの命令でそのお古を、イヤイヤ引き取る部下に差払い下げられたりしたらさすがに、立ち直れそうになかった。

「お前からキスしてくれるなら、スマタで我慢してもいい。……抱いて眠ってくれるなら」

 そんなことをごくごく真面目に、喘ぎ混じりに俺を抱きしめながら話す、この相手の事を、嫌いではなかった。

「ヤレよ」

 目を閉じたままカラダから力を抜いて答える。覚悟はしてた。街で隣に並ばれた時から。

「必要、なんだろ」

 俺をこんな風に『始末』することが、あいつには必要だったんだろう。婚約者とその親族たちに要求されたのかもしれない。結婚前に、俺を片付けろ、って。

「悲しいのか?ザンザスをまだ好きか?もう諦めろ。お前を棄てて結婚する男だぜ」

 閉じた瞼にキスされて、腰を重ねられて熱にビクッとした。マジにあっちぃ。焼き殺されそうに。

「俺はしない。後継者には甥を養子にする。お前と死ぬまで一緒に暮らす。俺の全部はお前のものだ。愛してる」

 告白は聞き流した。つもりだった。けどなんでか耳から胸の中に沁みた。そんな言葉を聞きたい相手はこいつじゃなかった。でもあったかかった。

「目をあけろ。お前にものになる男を見ろよ」

 言葉は命令、でも口調は哀願。じっとしている俺に不安がってる様子に可愛げがあった。言われたとおり瞼を開くと、思ったとおり恐がってようなツラが目の前にあった。笑ってやる。腕を廻して、背中を抱いてやった。

「……すくあーろッ」

 抱き返される。熱に侵略される。さすがに、泣けた。でも愛そうと思った。あいつがくれたあいつの身代わりだ。施しを、あいつが俺にくれたのは、これが初めてだった。

「う……、ぉ、ッ」

 男が大きく、オレに息を吹きかける。

「し、まる……。イイ……」

 喘ぐ男を愉しませてやろうと俺は、努力、した。

 

 

 

 

 ガキの頃からヴァリアーの中しか知らなかった。なのに突然、その外に放り出されて、どうしたらいいか分からなかった。

だからとりあえず、女みたいに振舞った。

「起きろ、跳ね馬。時間だ」

 連れて帰られた部屋の中で、俺をここに連れて帰ってきた男に寄り添った。ベッドの中でも外でも。

毎晩、何時間もセックスした。マジの本番は一度か二度、あとの時間は弄られてヨがって泣かされて、時々、俺も舐めたり撫でたりして、可愛がってやった。

「……眠い」

 側近が迎えに来る前に身支度を終えさせようと、ゆさゆさ揺する、オレの手を握りながら、跳ね馬は訴える。

「夜更かしすっからだぁ。起きねーと、もーあんな遅くまでは遊ばねーぞぉ」

「脅すなよ。……起きるから」

 ふにゃふにゃした様子で俺の言うことを聞いて、ベッドから起き上がる跳ね馬には可愛げがある。濡らしたタオルで顔を拭ってやると嬉しそうに笑って。

「シャワー、一緒に浴びようぜ」

「イタズラしねぇならな」

「するつもりだけど、イヤか?」

「……時間は守れよ?」

 いきなり元気になった相手に手を引かれて浴室へ。バスルームの隅に、曇りガラスで仕切られたシャワーブースがある。ミストシャワーの水滴で温まった空間の中、固くて太い腕に抱きしめられて、弄られる。素直にのけぞって喘いだ。朝勃ちの大蛇を擦り付けられて、熱を移されて、零した。

「……、ん……、ッ」

 弛緩したカラダを抱きしめられながら、生身の片手で抱き返す。頭の上から降ってくるミストシャワーの細かい水滴から広い背中で庇われる。全身にソープを塗りつけられて洗われる。くすぐってぇと笑いながら素直に喘ぐ。お返しに跳ね馬にも同じようにしてやった。

 

 

「お前がこんなに優しくしてくれるとは思わなかったな」

 やるだけのことはヤっちまって、朝っぱらからじゃれあって、眠気のとんだすっきりしたツラで、フィッティングルームの座椅子に座った俺の髪を乾かしてくれながら跳ね馬が言う。

「ザンザスともこんな風に暮らしてたのか?」

「……忘れた」

 してやったことはなかった。アイツの部屋に居れたのはセックスの時間だけ。風呂にも一緒に入ったことがないような気がする。コトが終わったら相手をベッドから追い出すタイプのオトコだった。別にそれを不平に思ったこともなかった。あいつに結婚の話が出るまでは。

 妻、とは。

 朝まで一緒に居るんだろうな、とか。起こされたり、着替えを手伝われたりして、朝食を一緒に摂って、部屋から送り出されるんだろうな、とか。

 思ったら泣きたくなった。情けない話だ。

「幸せだ。嬉しい」

 ドライヤーを置いて、乾いた髪ごと背中から、座った俺を抱きしめながら昔馴染みが囁く。俺は笑った。こういう男も世間には居る。若い母親はこいつを産むなりさっさと出て行って、高齢の父親は愛してくれたけど早々に死に別れた寂しがり。ガキがお気に入りのぬいぐるみを手離したがらないみたいに、俺とぴったりひっついていたがる。

 可愛くない事はなかった。その可愛らしさにつけこんで、別の相手としたかったゴッコ遊びに付き合わせてる。自己嫌悪もないでもなかったが、心地よさの誘惑が勝った。俺はアイツとこんな風に過ごしたかった。ベッドの外でも触れてみたかった。

「おい、時間だぞ」

 目を閉じて暖かさを堪能していた耳に時報が聞こえる。自分を抱きしめる腕をポンと叩く。部屋の前では眼鏡の側近が、腕時計を見ながらこいつを待っているだろう。

「仕事しながらバニーニでいいからちゃんと、メシ喰えよ?」

 こいつの『職場』はこの部屋の足元にある。キャバッローネの自社ビルはミラノの街を見下ろす郊外に建ってる。その最上階がこの部屋で、ひどく見晴らしがいい。

イマドキの取引は殆ど電子決済だから立地はそれほど必要じゃないらしい。もっともミラノは首都ローマを凌ぐイタリア随一の経済都市で、欧州経済市場の南方重要拠点でもある。

「うん」

 しぶしぶ、という様子で腕を解いた男と一緒に居間へ戻る。窓の外を眺めて天気を確認して、今日こいつに着せるスーツとシャツを選ぶ。ツラのいいのを着飾らせるのは楽しい。ジーンズにジャケットとしいう格好も悪くはないが、仕事中はキチンとスーツを着てる男の方が好きだ。

 って、言ったらさっさと、ジーンズごと長年の習慣を棄てやがったコイツは本当に可愛い。仕立て屋を呼んで採寸してる間も途中で嫌がらないように一緒に居た。シャツも色もカフスボタンの形も俺の趣味で選んだ。妻、みたいに。

終わったら眼鏡の側近に深々と、長く頭を下げられた。連中にとっても頭痛の種だったらしい。

 ウォークインクローゼットについて来た男は、オレが差し出すシャツにスラックス、ネクタイを受け取って身につける。こいつが結ぶネクタイはいつも形がおかしい。それを引っ張って位置を直してやった。

「お前もちゃんと、メシ喰えよ?」

「朝は喰いたくねぇ。寝なおす」

 自分が仕事をしているのにか、と、跳ね馬は文句を言わなかった。

「ゆっくりしてろ。昼には帰って来るけど、眠ってたら起こさないで置く」

「起こせよ。昼飯は一緒に食うから」

「……うん」

 嬉しそうに笑う男をドアの手前まで見送った。ちゅ、っと、唇の端を吸われる。輝くような笑顔を残して出て行った。

いい男だ。

 シャワーを浴びた後のバスローブ姿だった俺が部屋着に着替え終わる頃、二階下の社長室へお供して行った側近から電話がかかってきて朝の挨拶。そして用事を伺われる。

「朝メシはいらねぇ。これから寝るから、寝室以外、掃除してくれて構わないぜ」

 答えて電話を切った。寝室は、一緒に昼飯を食っている間に掃除されるのが最近の習慣。気の毒してるなぁと思った。こいつらの主人がいま、俺と一緒に部屋に引き篭って過ごしているせいで色々、気を使わせている。

 バスローブを脱いでカーテンを閉めたままの、まだ薄暗い寝室に戻った。ベッドに横たわる。セックスの後でシーツは取り替えたから、ほんのかすかな汗の気配しかしない。それは不快なものじゃなくて安らぐ。ちょっとぐらい自分の匂いがついてる方が安眠できる性質だ俺は。

そして、跳ね馬が朝、ベッドの中でいちゃつかなくなったのは、オレが昼までこうやって眠るから。甘ったれの坊ちゃんと思っていたのに、意外と気配りの男だ。

それは愛情かもしれない。

 ピピッと枕元から警告音。掃除の為に部屋のロックが解除された音。新婚が滞在してるリゾートホテルのスイートルームみたいな苦労をかけてる。

 ……あいつも、こんな風にするんだろうか。

 新婚旅行は何処に行くんだろう。相手の女は確かカジノが大好きなはずだ。バスクか、コートダジュールか。やっぱり出てきて良かったと思った。旅行の支度や家事のの席の予約、二人が篭った部屋から食事に出てきた隙に部屋の清掃をホテルに頼むなんて仕事をしなくって済んだ。

 

 

 出て来て良かった、と。

 本当に本気で思っていた。

 

 

 床に片膝をついた跳ね馬の側近に、組んだ脚の甲にくちづけられながら。

「マダーマ。心からのお願いです」

 そんな仕草をあいつの妻にさせられたら、俺は多分、絶望で息が止まったと思うから。

「ボンゴレ要人の結婚式に出席するよう、ボスにマダーマからもお口添えをお願いします」

 月がキレイな夜だった。街の上空に上る満月を眺めていたら、外に一杯、飲みに行こうかって男が言い出した。男の部屋に連れ込まれて十日近く、そういえば外に一歩も出て居なかった。

 秋の夜風に当たりたくないでもなくて、夜中のデートの申し出ら笑ったら、自分が車を運転するって言い出しやがった。自慢のオープンカーはまぁまぁだったけど、一緒に飲もうぜって俺が言うと、本当に嬉しそうに浮かれた。

 そんなこんなで、玄関前の控え室で迎えを待ってる短い隙に、眼鏡の側近は俺に跪いた。

「ロマーリオッ!」

 跳ね馬が咎める声を上げる。でもその顔を俺が横目でじろりと睨むとすぐに口を閉じた。そのまま足元のオッサンに視線を流す。オッサンは眼鏡を押し上げながら続きを話した。

「ボンゴレ十代目の就任式の翌々日、ボンゴレ要人の結婚式が行われることになっています」

「んな敬語使わなくていいぜ、オッサン」

 このお付きを俺は昔から知ってた。跳ね馬とガキの頃からの知り合いなんだから、当然。

「ワガママ言って困らせてんじゃねぇぞぉ、跳ね馬ぁ。俺を拾ってきた時点で、たいがい迷惑かけてんだからよぉ」

「あんたみたいな極上をひっかけて来たのはボスの、久々のクリーンヒットだったが」

「ロマーリオ。後で話をしよう。今は止めてくれ」

「結婚式に出席しないと言い出して困っている。説得してくれたら本当に感謝する。色々、ボスにも思うところがあるのは当然だが、あるからこそ出席しなきゃならないんだ。同盟にも響く」

「全くだよな。オッサンの言うとおりだ」

「……スクアーロ」

「お下がり貰ってっからこそ顔出せよ。義理だぜ」

「そんな言い方をしないでくれ」

「言い方かえても事実はかわんねーだろーが。てめーがちゃんとアイツの式に出ないとなんか、俺が未練がましく止めた、みたいじゃねーかよ」

「スクアーロ」

「出席しろ」

「無理だ」

「言うこときかねーと可愛がってやんねーぞ」

「お前を傷つけた男の結婚を祝福なんて出来ない」

「バカ言うんじゃねぇよ」

 車の用意が出来たらしい。別の部下が部屋の手前まで来て声をかけきれずに立ちすくんでる。夜風に当たりたくて立ち上がった俺は、向かいに座った跳ね馬の肩に手をかけ、行くぜと促した。

「ホントは俺が行って、おめでとうって、言って色々、カタつけるべきなんだけどよ」

「スクアーロ」

「出来ねぇからよぉ、オマエ代わりに、してきてくれよ」

「……本気でいってるのか?」

 本気だった。その時はその気だった。

「本当にオマエ、あいつを諦めるのか?」

 尋ねられる。頷いた。夜風を受けながら満月の下で。

 その時は本気だった。

 結局、勘違いだったけれど。