政略結婚・11

 

 

 冬だが天気のいい日だった。風がないせいで気温より温かく感じる。老大国の辺境領主の住まい、国境を扼する峻険を背後に背負った館は殆ど、城砦といっていい。その城門の、前を一人の農民がロバに乗って通りかかった。

 門番はライフルを持っているが、王宮と違って辞儀を正している訳ではなく、子供たちに挨拶されれば手を振り返す親しみを宿している。だから通りかかった農民がロバに乗ったまま門前を通り過ぎようとした時も、

「あー、もしもし。ご当主さまがご在館だ。下馬をしてください」

 丁寧に声をかける。当主が館に居る時は城門に家紋を染め上げた旗が上がり、領民は門前で乗物を降りる。といっても、バスや馬車は仕方がないので見逃されるが、単騎の騎乗はさすがに声をかけられる。たとえロバでも。

 農民は素直に下馬した。そうしてつば広の麦わら帽子をとって、門番の前へ行く。自分の無礼を詫びているように、周囲には見えただろう。

「元気で居ると、ご当主に伝えてくれ」

帽子の下の頭髪には白いものが混じっていた。ピシッとした騎乗姿から、若い男だと思い込んでいた門番は驚いた。そうして隻眼に気付き、笑いかけられて動揺。ぺこりと会釈し、奥へ連絡をしようとする。が。

「あぁ、よい。君の交代の時に上官にでも、伝言をしてくれればそれで。急いでいるので立ち寄らずに行く。それでは」

 麦わら帽子を被ってもう一度、ロバにまたがりとっとこ駆けて行く。背すじの伸びたその騎馬姿は、そういえば見慣れたものだった。

「そうか。父上のことだから、心配はしていなかったがね」

 この地方の前当主。かつては反国王派の急先鋒、国内最左翼勢力として知られた強面の。

「何処へなにをしに行ったのだか。まぁ父上は、王家に婿に行った方だ。余生を好きなように過ごされればいい」

 この国の権力階級、特に家督を継ぐべき長男は結婚が早い。隻眼の男もかつて十五で結婚し、歳上の妻との間に数人の子供を得た。だから息子は既に四十過ぎの、しっかりと落ち着いた領主。

「冷たいのね、あなたは」

妻に非難され、領主は肩を竦める。戦争させれば怖いほど強いが、普段は飄々としている隻眼の前当主は、身内の女たちに人気が会った。女王さまの色香に惑わされ、王家の番犬に成り下がった、と、男たちには評される今も。

「物分りのいい息子のつもりだよ。父上が追われて逃げ込んできたならもちろん匿う気概は持っているが、本人が何処かへ行くついでに寄っただけだと言うなら、ご無事でなによりと言う以外ないじゃないか」

 弁解しつつ、息子にはなんとなく予感があった。停戦から二ヶ月、戦犯の探索も緩くなった。師走を迎えて、世相は浮き立ち、なんとなく緩んでいる。

 敵軍に連れ去られた女王様は敵王との『結婚の無効』裁定を覆されて、『離婚していなかった』ことになった。かつては皇太子妃でしかなかったかにら、新年には正式な王妃としての戴冠が行われるという。

 この国には別の王女が選ばれて、宗主国となった敵の国王の認証を仰ぎに行く。その一行がつい半日前、お忍びで城下を通り過ぎた。

 そんな動きと父親の行動が無関係ではないことに気付きつつ、息子は沈黙を守っていた。

 

 

 

 

 国境近くの宿に、投宿した女王の一行はその名が浮き上がるほど地味な旅装をしていた。人数は二十人ほど、護衛の兵士も同数。敗戦国の新女王が、戦勝国の新春を祝いに行くのだから、一行の気分が浮き立たないのも、まぁ当然といえた。

「お越しいただけまして恐縮です、閣下」

 一行の主催は眼鏡のまだ若い宰相。左胸の上に右手の拳を当て、床に膝まずき深々と頭を下げる、国王と配偶者のみに向けられる大袈裟な礼が、宿場の擦り切れた絨毯に不似合いだ。

「頭を上げたまえ。既に私は王配者ではない」

「閣下におかれましては、さぞお怒りのことと思います」

「君のことかね?そうでもないよ。むしろ感謝をするべきかもしれん。ほっとしたからな」

 それは、戦争の終盤の、混乱時。

 敗戦を覚悟して、前線指揮を一時部下に任せ、隻眼の男は『妻』の願いを叶えるべく一旦、王宮へ戻った。

 敵に捕まる前に殺して。もう辱しめを受けたくはないから。

 お願い、と言われて頷いたが、願いは叶えてやれなかった。隻眼の男が戻った時には既に、王女様は屈辱的な降服の人質として敵陣に突き出され引き渡され、殆ど即座に、若い敵王の閨に引き摺られて、そのまま数日、敵王は戦線に立たなかった。

 隻眼の将軍はその場から遁走。強固な双方の指揮官が抜けた隙にばたばたと降伏が行われ文書が交換されて、女王様は、そのまま。

「捕虜として連れ去られたとばかり思っていたが」

 そして目の前のこの宰相は、休戦条件を有利に展開するために、女王を人質として突き出したのだと、そんな風に思っていたが。

「色々、ちゃんとしてもらえている様子ではないか」

 戦利品同然に略奪されていった女王さまの行方を、敗戦国の国民たちは心配して、新興国から聞えてくる噂に耳をそばだてている。当初は幽閉や虐待、処刑のデマが流れて彼らを悲しませたが、最近ようやく、安心できる話が聞えてきた。

 正妻としての帰国手続き。離婚をなかったことにされて、当然、母国での再婚も不成立とされた。王女様のために母国から侍女や料理人が送り込まれ、新年には戴冠式もとり行われると、これは噂ではなく公式発表された事実。

「ロイがあの国の国王をあまりに怖がるから、捕らえられれば酷い目にあうのだとばかり思っていた」

 息子より遼に歳若い妻は七年間の異国生活の話をしたがらなかった。ムリに聞き出す事もせず、王配殿下となった隻眼の男は、人生の終盤で思いがけず得た美女を、それはそれは大切にしてきたが。

「だからわたしは彼女の願いを叶えるつもりだったのだが、愛されて生きていけるのなら、死ぬよりいいのは決まりきっている。だから君も、彼女をあちらに突き出したのだろう」

「夫として嫉妬は感じられませんか」

「私より彼女を幸福に出来る男には身を引くよ」

「閣下やロイや、相手がただの、男と女なら、それもよろしいでしょうが」

 眼鏡の宰相が薄く笑う。温和で温かみのある声と外貌の持ち主だが、その内側に物凄い切れ味を隠していることは、既に世間にも知られている。

「それではすまないでしょう、ロイは」

「君は私にどうしろと言うのだね」

「あの国の王都へご同行願いたく、ご連絡申し上げました」

「それは出来ない。君には君の計算があるのだろうが、わたしの女王様はロイだけだ」

「それを是非、とりもどしたい、と」

「そんなことだろうとは思ったが」

 隻眼の将軍は眉を寄せ、厳しい眼光の片目を細める。

「若い勝利者に愛されて、せっかく幸福に暮らしているロイの前に、わたしが現れたらご破算にならないか」

「……閣下」

 眼鏡の宰相は微苦笑。口元は笑みの形だが目の光り方は鋭い。

「閣下にそう物分りよくなられては困ります」

「私の牙は抜けたよ。君の王女様に抱き締められた時にね」

「一度や二度の敗戦で属国扱いされてはたまりますまい」

「戦争に負けても政治で勝てばよい。ロイはその点、頼りになる外交官だ。若い男などひとたまりもない。あの王様も骨抜きになることは保障してもいい。私をそうした、凄腕の女だ」

 自信満々に嘯く隻眼の将軍は、娘の美貌を自慢する父親に少し似た、複雑だが嬉しそうな表情を浮かべ、笑った。

 

 

 

「……、なに……?」

 ゆり起こされた若い男は煩そうに相手を払いのけようとして、だが、指先に触れた吸い付く肌触りから、腕の持ち主が誰なのか察して、頑張って目を開けた。

「食事が届いたよ」

「……いらね……」

「一口でいいから食べて眠りなさい。疲れて空腹で眠ると、体調を崩しやすい」

「……んー。もってきて……」

 男は甘えた。女は仕方なく、食事の載ったトレイをベッドの脇机まで運び、甘い餡の入った半透明の、口当たりのいい粽の笹を剥いて、枕に顔を埋めまた眠りかけようとする、男の口元に運ぶ。

 腹をすかした若い男は殆ど反射で口をあけ、もぐもぐと咀嚼。小豆の粒がピンとした、上等の蜜で煮た餡は美味しくて、むしゃむしゃ、口を動かし食べ尽くす。

 裸のままベッドの上で、お行儀がいい、とはお世辞にも言えない容子だった。けれど手首を相変わらず結ばれ、肩で体を支え、シーツの上に這うザマはちょっと、少しだけだが、ヤバくてセクシーだ。ガツガツものを食べていもきれいな顔立ちをしているから、なんだかそう、人間に首輪をつけてペット扱いして遊んでいるみたい。

「……もっと」

 言いながら、女の掌を若い男は、ぺろぺろ舌で舐める。仕草は猫が食べ物をねだる様子にそっくり。似ているはずだ、わざと真似をしている。今は部屋に居ないがここで飼われている猫や、昼間、牧場で見た馬の。

「目が覚めたなら起きなさい」

 真似をすれば女が優しくしてくれることを、聡い男は、既に学習していて。

「まだ動けない。食べさせてくれよ」

 頭をぐりぐり、女の肩に押し付け擦り付ける。

「そんなにはっきり喋れるじゃないか」

「口は動くけど身体はまだムリ。首から下、ジンジン痺れてる。すっげぇ今日も、キモチよかったよ……」

 目を閉じてうっとり、さっきまでの情交を回想するような甘ったるい表情をされて、自分はさっさと起き上がり部屋儀を着込んだ女は苦笑した。

「きみ好きキライはなかったね」

「うん」

「海老と青菜の春巻きだ」

「うん……」

 本当に猫のように、女の掌の上から食べ物を、美味しそうに。

 一生懸命たべている男の、後ろ髪に、女はそっと、指先で触れた。

 これが、可愛い生き物のような気が、して。