政略結婚・12

 

 

 王家の戸籍を司る高等法院が臨時収集され、王弟夫妻の離婚許可がおりた。既に年末休暇に入っていた審議委員たちは私服の気楽な姿で集まり、さっさと署名して、その後は忘年会。前もって稟議書がまわっていたから、必要なのは形式を整えることだけ。

 国王が承認印を捺し、夫妻の離婚は成立した。妻は実家に帰った。といっても国王の従姉妹である彼女の実家は王宮の一部にあり、隣接している王弟の館からそう離れた訳ではない。

 王都の市民たちは彼女に同情した。夫の女癖の悪さに堪忍袋の緒を切った妻が決然として三行半を突きつけた、のだと最初は思われた。しかしながら、離婚許可に続いて下りた高等法院の判断書が、もっと深刻な事情だったことを証明する。それはもと王弟妃の、懐妊中の、子供の処遇について。

 妊娠時には夫妻だったのだから正嫡であることは認める。しかし子供の籍は母親の方へ入れる。それは女系のため、王族の戸籍への記載はされない。ということは王位継承権の順位も与えられない。

つまり、離婚の目的は、それだ。

 王妃の戴冠式を控えた兄王に対する弟夫妻の哀願を、離婚は示している。自分たちには王位継承に野心はない、だから先になったけれど子供を産ませてくれ、という態度だ。兄王が離婚の承認をしたということは二人の願いをかなえたということで、確かにそれは、うまいやり方だった。

「さすがに、知恵者だ」

 若い王弟夫妻のやり方に世間は感心した。王位継承に関わる王族の出産には国王の同意が必要で、過去には多くの悲喜劇も起こった。弟や叔父の子供の誕生を『許可』しなかった国王も多い。ようやく出来た我が子を泣く泣く『処理』する過程で妻まで失って、復讐に反逆を起こした例さえある。

 兄王に子供が出来て皇太子に叙されてから、夫婦が再婚すれば皇太子の次として、王族としての入籍も可能になる。

 上手いやり方だった。もちろんそれが通用したのは、兄王と王弟の間が親しく、信頼関係があったからだ。そうして、その、知恵の出所は。

「おはよう、ばっちゃん」

 実家に帰っても、もと王弟妃には既に両親はない。辛うじて祖母が存命で、その祖母は朝だというのに、小柄な体に礼服を着込んでいた。

「遅いよ、ウィンリィ。さっさと朝ごはんを食べておしまい。迷惑だよ。あんた結婚してから、甘やかされ過ぎてないかい」

 朝食を準備するために厨房もメイドも、定時からずっと待機している。

「ごめんなさい」

 謝ったのはもと王弟妃ではなく、一緒に起きてきた彼女のもと夫。妻が実家に戻るのと一緒について来て、殆ど居着いている。

「いつもはちゃんと定時に起きてるよ。でもほら、昨日は遅かったし、今日はお休みだし。これから気をつけます」

「だって朝、身体がだるいんだもん。ばっちゃんはそんなことなかった?」

「大昔過ぎて忘れたよ。そうだったかもしれないね」

 ぽんぽん叱っていた祖母の口調が、孫娘の訴えに矛を収める。確かに体調を崩しやすい時期だ。

「じゃあ、あたしはもう出るよ。王妃様にお礼を申し上げて来るから、お昼には戻るよ」

 夫妻の妊娠について知恵をつけたのも、それでいいじゃないと兄王にとりなしてくれたのも義姉だ。家庭内の問題について、大抵の男は妻の意見に引き摺られる。若い国王も例外ではなかった。その件に関して祖母からも礼を述べるべく、今日は朝から手土産を用意して礼服を着込んでいるのだ。

「ついでにばっちゃん、ロゼを許してあげてってお願いして」

 朝食のチーズオムレツにフォークを入れながら二十歳のもと王弟妃が言う、隣で王弟殿下はメイドの手からポットを奪い、妻のカップに注いでやっていた。

「それは勿論だよ。カゥントゥの当主からもう、電報が三十通も来てるからね」

「おねぇさんからエドを宥めてもらわないと、重罪になっちゃう」

「王宮内での刃傷沙汰だからね。いくら対象が自分自身でも、下手すりゃ絞首刑だよ。ねぇさんから寛恕を乞われない限り、立場上、兄さんは甘い顔を見せられない」

「全く、王宮内で愛妾に騒ぎを起こされるなんて、エドもヘタをうったもんだ。あんたの要領のよさを分けてやっちゃあどうだい、アルフォンス」

「女の喧嘩をうまくさばける男なんて居ないよ」

 自分に向きかけた矛先をそらしつつ、王弟殿下は兄を庇う。

「女同士が喧嘩はじめたら、男は神様に祈るしかないもんだよ。僕だってウィンリィとばっちゃんが喧嘩してると、どうしていいか分からないもん」

 肩を竦めて祖母は出て行き、残された夫妻は。

「おねぇさん、ロゼを許してくれると思う?」

「ねぇさんは大丈夫だよ。問題は兄さんだ。……怒ってたね」

 小さな声で、昨日の出来事を囁きあう。

「ウィンリィとねぇさんが止めなきゃ蹴り殺していたよ、あれは」

「なんであんな馬鹿なことしたのかしら」

 もと王弟妃は国王のお気に入りの愛妾だったローゼット・カントゥと、わりと親しかった。カゥントゥ家は王弟妃の母親と縁続きで、血縁を辿れば母系ではまた従姉妹になる。

「エドがおねぇさんにべた惚れなのは分かってるのに」

 国王の怒りは主にそこに向いた。王弟の牧場で歓待のお礼にと招かれた王宮でのランチ。珍しく王妃が食卓に同席して、笑っていたから国王までニコニコ嬉しそうだった。その目の前であてつけの自殺未遂までは、舌打ちしつつも、深刻な怒りではなかったのに。

「目の前で罵ったら、そりゃあ怒るわよ」

 刃物を取り上げられ、衛兵に引き摺って行かれながら。

「まぁ全部、本当のことだったけどね」

 堰が切れたように泣き喚く愛妾の言葉は王妃への糾弾で。

「だからこそ、兄さんは怒ったんだけど」

 戴冠式を控えた王妃がかつて彼らの父王に嫁いだこと、母国で王配としての婿を迎えていたこと。歳が十四も年上であること。

「氏と育ちと、美貌じゃ勝負にならないから、ソレしか言えなかったんだろうけど」

 王妃に貞操上の問題があることは分かりきっている。しかしそれは国策に添った時の施政者の判断であって彼女の責任ではない。そうしてそのことで苦しんでいるのも、彼女自身ではない。

 証拠に、罵られた本人はしらっとした顔をしていた。

 青白く激昂したのはその夫の方。

「悔やんでるのも悲しんでるのも兄さんの方だから。でもまぁ、一度は手をつけた女なんだから、あんまり酷い処罰はしない方がいいと、僕も思うよ。ごはん食べたら、僕も行って来る」

 地下の未決囚の牢獄に拘留された罪人をとりなすために。

 自殺未遂までは犯罪者扱いではなく、部屋に閉じ込めて頭ひやさせろ、という指図だったのに。

「ナイフより言葉が痛いことってあるよね」

 どんな理由でも白昼の王宮で女に暴力はいけないと、抱きとめた時の、兄の震えが掌に蘇って。

「……せつないね」

 誰にともなく、呟いた。