政略結婚・13

 

 

 

 同じ朝、王宮では国王夫妻が遅い朝食後のお茶を一緒に飲んでいた。食事自体は別室で別々に食べた。王妃には塩味のアワビのお粥と野菜の煮物が出され、国王には生ハムやローストビーフを使ったハンドイッチが、スープとともにバスケットに入って大膳処から届けられた。

王様は一緒に食べたいのだが、肉の匂いを王妃が嫌うので、別室で片付けて歯を磨いてから王妃の居間に戻って来る。肉を常食する国王には、ハムやビーフの何処がどう臭いのかよく分からない。それらを毛嫌いする王妃にイラついたこともあったが、弟に諭されて、ムリに付き合わせることは止めた。

 自国の食べ物を、自分の好物を臭いと拒まれて、まるで自分が拒絶されたように感じていたけれど。
 よく考えれば、たかが食べ物。喧嘩をするほどのことでもない。食事に時間をかけない国王は十五分ほどで食べ終わって、王妃の部屋に戻りゆっくり粥を口に運ぶ女を眺める。
そんなモノで生きていけるのかよと国王は顔をしかめたこともあった。が、乾しアワビを戻して贅沢に使った粥には湯葉が入っていて、添えられた野菜の煮物にも生麩が入り、栄養的には十分だと弟に教えられて、それからは文句を言わなくなった。
 食後、王妃は緑茶を飲みながら乾したプルーンを二三個齧る。王様は紅茶でリンゴやオレンジを。食事の給仕は侍女でなく宦官が司る。王妃の館に、国王は侍女をほとんど配置しなかった。きちんとした家の出身が多い侍女が、外国、それも敗戦国出身の王妃に対して従順に仕えるとは思えなかったからだ。代わりに、深くフードを被り、性も人格も消された人間家具たちを、二十人近く下働きのために与えた。
 その日のデザートは南方から新年のパーティー用に献納されてきた、真冬には珍しいネーブル・オレンジで。
「半分食べるか?」
 皮を剥く宦官の手元から、柑橘類に独特の甘酸っぱい芳香が部屋中に散った。匂いに誘われてそちらを向いた王妃に、紅茶を啜りながら王様が声をかける。
「じゃあ、一房だけ」
 宦官の手がネーブル・オレンジの皮を剥き、食べ馴れない黄色の果実をそっと王妃は受け取り唇に運ぶ。王宮に献納されるだけあって甘い果実からは果汁が溢れ出し、口の中から身体中に太陽の味が広がった。
「あとで部屋に一籠、届けとけ」
 気に入った様子なのを察して国王は宦官に指示。宦官は小腰を屈めて承る。カップや皿を引いてフードの姿が消えると、国王はごく自然に立ち上がり、椅子に腰掛けたままの王妃を、椅子ごと背後から抱き締めた。
 ベッドの中では縛られて不自由な両手が、今はなんの拘束もなく自由に動く。ふっくら隆起した胸元を拭くの上からそっと押さえられ、形を確かめるように指先が蠢く。
「……いや……」
 明るい部屋の中で触れられることを嫌がって女は椅子から立ち上がろうとする。が、男の顎が女の肩に載せられてぐっと押さえ込んだ。その短い攻防の間にも、男の手は器用に動いて女の服の前合わせから忍び込み、暖かな肌に触れる。
「エド……ッ」
「やっぱり裸だった」
 部屋義は着ている。ただ、まだ本格的な下着をつけていなくて、やわらかな生地越しに胸のトップが浮き上がっていて、それがさっきから気になってたまらなかったのだ。
「指が、冷たい」
「挑発したのはあんただ」
「君が、勝手に、サカって……」
「あー、やっぱアンタのムネきもちいー」
 両掌でぎゅっと力を入れて、膨らみを揉みしだく。女は嫌がって逃れようとするが、逃がす男ではなかった。全体を包み込んで潰すように押さえつけ、かと思えば柔らかく撫で、そっと指先で先端を弾く。色づくトップが固く膨らみ出す頃には女の体からは力が抜けて、男が手を離すと、そのままずるり、ふかふかの絨毯の上に崩れ落ちる。
 落ち着き払って男は椅子を遠くによけ、女の後を追って自分も絨毯に転がった。ぴったり背中から添い寝して震えているオンナのカラダの感触を楽しむ。そうしてオンナにまた手を伸ばす。
 オンナは嫌がってカラダを起こそうとした。すぐに肩に手をかけられて、絨毯の上に引き据えられる。仰向けにされて、馬乗りになった男が笑いかけてくる。その背中に天井の凝った木組みが見えた。
「怖がるな。手ぇ縛ってねぇから、ヤりゃしない。ちょっと、触りたいだけだ」
 寝間では最近、思い通りの愛撫が出来ていなかった。
「なんでそんな泣きそうな顔するんだ?昨夜も散々ヤったのにイマサラ、ヘンな性質だよ、あんた」
 心から不思議そうに男が言う。手首に嵌めていた髪ゴムで邪魔な自分の髪を結んで、自分も部屋着の、やわらかなシャツの前を開く。ボタンやジッパーが女の素肌に当たって痛くないように。そうして覆い被さって、くちづけを交わす間も、

「……、ん……、ん、ん……っ、」

 愛撫に弾力を増した胸のふくらみと、乳首の感触を感じられるように。

「くちゅ……、ちゅ、ッ、……、チュ……」

 両手を女の頬に当てて朝から情熱的なキスを、若い男は繰り返す。女が顔を背けるのに眉を寄せながら、それでも珍しく我慢強く、角度を変えては唇を舐めて女が諦めるのを待った。重なった全身を擦り付けられて、女がやがて暴れるのを止めて、大人しくなるまで。

「……、ちゅ……」

 優しく舌を差し入れて、そっと吸い上げる。頬を掌で包み込んで唇に肉付きの薄い、そのせいで時として冷たくさえ見える美貌をいとおしみながら。

「……俺はアンタに勃ちっぱなしだけど、あんたはやっぱり、俺をキライだな」

 唇を離した女の表情が辛そうで、男は溜息とともに呟いた。

「あんたが怒らなかったのはほっとしたけど、よーするにあれだよな。俺のことなんかキョーミないから、嫉妬しないだけで」

 昨日の騒ぎのことを言っているらしい。

「……昔はあんなに、優しくしてくれたのに、な」

 女は答えず、ぼんやり天井を眺めている。自分を見つめる若い男の存在を素通りしていた目が、やがて、そっと閉じられて。

「おれ変質者かもしれないぜ、ロイ。マゾかな。どっちかってーと、サドだと思ってたんだけど。……アルのアニキだし」

 大人しく静かに、自分のカラダの所有権を明け渡した女を、それでもそっと、撫でる知恵はついた。ここで目を開けろとか何かを言えとか、強要しては拒絶されて、腹をたてて意地になって何度も傷つけたが。

「俺のこと好きなほかの女より、こんなに冷たいあんたを俺は好きなんだ。……なんでだろ……」

 冷たさに傷つく気持ちを宥めるように、暖かな肌を貪りながら。

「あんたを妻だと、俺は思ってる。ガキの頃からずっと。思って当たり前だろ?結婚式もしたしさ、セックスも、あんた俺の最初のオンナだし。……あんたは俺を、夫とは思ってなさそーだけどな」

 男の言葉には悲しみが滲んでいて、女は薄く目を、珍しく開いた。胸元に顔を埋めかけていた男はその視線を感じて笑いかけたが、女は微笑まず、不思議そうな顔をするだけ。

「あんたを他の男に渡してた間、切なかったよ」

 それを誰かに指摘されると、痛くてたまらないくらい。

「……だったら」

「ん?ナニ?」

「若くて可愛い、処女を娶ればいいのに……」

 口を開いてくれたことにほっとした男の顔が、ぐしゃぐしゃに崩れる。

 気持ちが通じない、情けないほどの悲しみはもう、馴れたものだったけれど。

 

 

 ロックベル家の女当主が面会にやって来て、母方の親族で老齢の彼女を待たせる訳にもいかず、国王は仕方なく、自分の館へ戻っていった。

 王妃はまだ床に倒れている。彼女の居室は床と壁にスチームを通した最新の設計で、だから裸で絨毯の上で、国王のマントをかぶせられただけでも寒くはなかった。

 女に意識はある。目も開いているが、身動きが出来ない。身体が受け止められる容量を上回る刺激を、思いがけない振舞をされて、それが本当のことと思えないまま、ぼんやり、現実と夢の狭間を、魂はさ迷っていた。

 部屋の扉がノックされる。聞こえていたが返事は出来なかった。入れと言っていないのに何故か扉が開き、一人の宦官が現れる。フードの中から室内を一瞥して、すぐに扉を閉め、やがてまた現れた時には大きなクッションと、ふかふかの暖かな毛布を手にしていた。

「……」

 無言のまま女の上に毛布を広げ、被せて、そして頭の下にクッションを差し込む。懐から懐紙を取り出し、卓上の水差しで濡らして女の顔を拭ってやる。振り撒かれた、青臭い精液を。

「……優しいな……」

 額を拭われて頬を拭われて、唇と、髪を清められて、喉にまで散ったそれを丁寧にふかれて。

「こんなに優しいのに、どうして」

 女がようやく、口を開いた。

「最後の頼みだけ叶えてくれなかった。……ブラッドレイ」