政略結婚・15

 

 

 丸一日と四時間しかたっていないのに、別人のように見えた。

二十二歳の若い女。国王に皇太子時代から仕えてきたお気に入り。名門というほどではないがそこそこの領地を持つ地方貴族の娘。明るい顔立ちと大きな瞳が魅力的で、放置ざみとはいえ権力者の愛人らしく、爪を磨き上等なドレスを身につけていたのに。

「……なに?」

 王妃にオトシマエをつけせた王様は笑う。じっと自分を見詰める女に向けた笑顔は少し気弱で、かすかにだったが、機嫌をとるような気配もあった。

 愛人を整理したばかりの夫らしく。

「わりと酷いことするんだなと思って」

 風呂上りの王妃は頬の色艶がいい。上気している上に部屋は暖かく、バスローブを羽織っただけでも寒さを感じない。濡れ髪はさっき、夫の「もと」愛人が乾かしてくれた。愛人の部屋とは比べ物にならない豪奢な王妃の館の奥、大理石の床にパイルのマットを敷きめたパウダー・ルームで。

「ロゼのこと言ってんの?」

 王様は自分の手首を紐で縛りながら尋ねる。

「びっくりしたよ」

「まぁ、アイデアはアルだけどな。女のことはあいつの言うとおりするに限る」

 あんたもこうやって、寝室で口をきいてくれるようになったし。

 とは、王様は口にしなかった。

「あんたをびっくりさせれたなら良かった」

 毒気を抜かれて、王妃様は少しぼんやりしている。朝の戯れの衝撃も忘れた。

 既に側室の地位を剥奪された若い女は、地下室から王妃の館まで、冷え込む屋外の回廊も中庭も、素裸で歩かされて。

 王妃の部屋で、入浴後だった王妃の髪を洗い、タオルで丁寧に拭って、ドライヤーで乾かさされた。その間も、ずっと裸のまま。

 付き添っていた王弟がその後で、彼女の綺麗な、濃い目の栗色の長い髪をざっくり、剣で斬りおとした。散髪用の鋏と違って不揃いに、段々に切れてしまう。容姿に自信を持っている若い女には、残酷すぎるほどの刑罰。

「あんな真似をして、彼女の親族が怒らないか」

「死罪を免じてやるだけで深ぁい慈悲だぜ」

「恥をかかせて、輿入れ先がみつからなくなったら」

「心配ねぇよ、アルが囲うから」

「あぁ、そう」

 やっぱり、という表情で王妃様は納得。裸の彼女を連れてきた時からそんな気配はあった。というより、既に『実質的な』譲渡は済んでいるのだろう。自分の不幸を嘆く力も奪い尽くされた、嘆きを通り越して無感覚、そんな表情をしていた。

 あれは性的な虐待を執拗に受けた女の顔。自分もつい数ヶ月前に、同じ目にあったからよく分かる。この目の前の相手に和平の証拠、人質として突き出されて、それから暫くは、もう。

「あんた帰って来て、そろそろ二ヶ月だな」

 今は自分で手首を縛って床にぺたんと座り込み、懐いている犬か猫みたいな顔をして、寛ぐ女の膝に頭を擦り付けているけれど。

 これは擬態。もっとはっきり言えば嘘。目を伏せて居ると優しい感じに整った顔立ちが目立つけれど、この相手の実質は唇の奥に隠した牙。

「月、でないな……。ウソじゃなかったんだ……」

「そんな嘘をついてどうするね」

「あんたこんなに……、なのに……」

 最近、きちんと三食、食事をしている王妃様はツヤツヤでしっとりで豊かで柔らかい。どこを齧っても新鮮な甘い果汁が滴る、熟れて甘い、大好きな女。

 それが芽吹かないなんて信じられないのだ。

 妻を懐妊させた弟がひどく羨ましくて、憎みかけるほど妬ましい。告白された瞬間、一瞬だったが、本気の憎悪を抱いた。自分の権利が理不尽に奪われた、ような気がしたのは不思議。自分の妻が懐妊しないのは、弟夫婦に子供が出来た事実とは無関係なのだが。

 遠乗りに行った王妃が帰って来て、事情を聞いて、なら離婚すればとあっさり言い出すまで、幼なじみと二人、黙りこくって向き合って過ごした。

 この国の法は離婚を認めない。けれど結婚を無効にすることは出来る。現在では廃れたが、古い習慣では従姉妹は兄弟に準じるとされ、その婚姻は近親相姦の一種として許されなかった。王妃の生まれた旧大国の法典を掘り返し、埃を被った二百年前の、もと宗主国の婚姻法を引きずり出して、王弟夫妻の『離婚』は成立した。

「なぁ、ロイ。あんた俺の何処が気に入らない。あの宰相を好きだから俺のこと嫌いなのか」

「違うよ」

「庇うな。……いまさらウソつくな」

「ヒューズは関係ない」

「ない訳ないだろ。俺からあんたを連れ戻したり突き出したり、忙しいヤツだ。あんたがあいつと結婚したかったの?」

「そんなのは、思ったこともない」

「あいつの前であんたに、這い蹲ってやるぜ?」

 膝に懐いていた顔が上げられて、金目のまっすぐな視線が女を下から仰ぎ見る。長い睫毛の先まで金色で、間接照明の優しい光を受けて輝いていた。

「足の裏でもアソコでも舐めてやるよ」

「それがなんだというのかね?」

「キモチイイだろ?俺があんたにどれだけ骨抜きか、自分をふった男に見せ付けてやれんだから。……それでふっきってさ、俺と仲よく、しよーよ」

「君がナニを言っているか分からないな」

「自殺未遂まではさ、俺はロゼのこと少しも怒ってなかった」

 あてつけの真似をされ、舌打ちはしたが。

「どころかちょっと、気持ちよかったよ。あんたの前で、俺のことスキでたまらない女の居るんだぜって見せつけられて」

「それは居るだろうさ」

「俺があんたにこーしてるとこ、ヒトに見せたら、あんたもキモチイーんじゃないの?」

 傲慢で知られた実力派の若い国王が、首輪をつけられた犬が主人に懐くように、よりそい愛撫を乞う姿を。

「俺さぁ、ロイ。レンアイした事ないんだ」

「そう?手切れ金の目録に七回ほどサインしたけど?」

「あれは主従の延長で、レンアイとかとはチガウだろ。俺王様だから、女とは全部そんな風になる。一緒にメシも食えないしな。俺と向き合ってくれんのはこの世であんただけだよ」

 柔らかな金髪を擦り付けて、若い男は弱みを告白する。仰向けに腹を見せ主人に服従を示す動物のように。

「初めて会ったとき、あんた俺とアルに名前聞いたよな。覚えてるか?」

「そんなのいちいち覚えているものか」

「俺はよく覚えてる。びっくりしたからな。ヒトに名前を聞かれたことなかったんだ」

 新興国の嫡長子。生まれつきの皇太子で、王国の次代を継ぐ立場。自分より身分の高い相手に名を尋ねる無礼を臣下が犯す筈はなく、国中が皇太子の名を承知していた。

「あんたは特別な女だって、俺は最初から分かってた」

 当初は継母になる予定で、出征中だった父親より先に継子に対面した。

「俺がびっくりしてるうちに、アルが先に、ハキハキ答えたっけ。なぁ、もー一回聞けよ。名前はなんていうの、って。エドワード・エルリックですって、大きい声で答えるから」

「馬鹿馬鹿しい」

「どーしたら昔みたいに優しくしてくれんの?ナンか俺にお願いないのかよ。俺は恋愛したことないから、どうすればあんたが嬉しいか分からないんだ。教えてくれたら、なんでもしてやるよ。ホントだ」

 さすがに育ちで物欲は乏しく、母国の行く末にも興味を無くして、どう機嫌をとれば笑うのか、国王は困り果てている。

「自由には、まだしてやれないけど。あんたに逃げられたら俺おかしくなるから。まァ戴冠式が終わって、あんたの身内に俺のガキ孕ませて、それをあんたの実子に二三人、入籍したら、ちょっとは考えるよ。……でもさ、何処に行っても、俺ついて行くよ?」

 若い男の、不器用で精一杯、馴れないたどたどしい口説き文句を女はぼんやり聞き流している。再会から暫くは傲慢そのもの、支配者然としていたくせに、こんなに折れて、膝をついているのは。

「なにしたいのか教えて。俺あんたのこと知りたいんだ」

 セックスがキモチイイからだ。王弟殿下を含んで三人で過ごした夜以来、国王は目に見えて崩れている。覇王の自意識もオスのプライドも、幻想に過ぎなくて、膨らむ正直な欲望の前では色褪せる。

「レンアイしよーよ、俺と」

 見上げてくる金目は真っ直ぐで可愛らしい。母性本能に訴える愛らしさだ。けれど女のプライドは、本能よりも遼に強靭で依怙地で。

 抱き返すことはどうしても出来なかった。