政略結婚・4

 

 

 

 昼下がりのひと時、若い国王は一休みのコーヒーブレイク中。奔放そうな見目とは裏腹に、基本的に真面目な努力家で頭もいい金髪の若い王は、重臣らの補佐を得て内政にもかなりの実績をあげている。戦に強すぎるせいで世間からは誤解されているが、政治経済も不得意ではない。苦手なのは芸術文化文芸方面。

「ボクが女のコならいま、兄さんに惚れたよ」

 呼ばれて尋ねてきた弟が口にするとおり、斜めの日差しがガラスごしに降り注ぐ執務室でマグカップ片手に脚を行儀悪く組んで、ぼんやりものおもう国王の風情には色香さえ漂っていた。見事な金髪を首の後でまとめて、目を細めているのはまぶしいからだ。光彩の薄い金目の兄は昔から、強すぎる太陽の日差しが苦手だった。

「今度さ、お忍びで一緒に遊びに行こう。いいところに案内するよ。兄さんゼッタイ、大もてで帰れなくなるから」

「お前、あんまヤバいトコに出入りすんなよ」

「男が色街に行かなくて何処に行くっていうの」

「ウィンリィが許してる限り、俺が口だすコトでもないけどな」

「今夜は奥さん、機械技師の会合で遅いんだ」

 王弟殿下の正妻は彼らの身内で幼なじみ、そして若手の機械鎧技師としてはかなり名がと通っている。ロイヤル・ファミリーの仕事といえば慈善事業と決まっているが、機械鎧技師も社会への貢献度は高く、風変わりながら社会奉仕の一種として周囲にも受け入れられていた。

「だから嫂さんの仕込みなら、しておいてあげるよ」

 兄が言い出しにくいだろうことを、弟は自分から口にして助け舟を出したつもりだった。が。

「今日は、いい。別の頼みがある」

 国王が指差す先の棚には、書類に混じってバスケットが置かれていた。王弟殿下が歩み寄り覆いを取ると、なかには緑色の瓶がリボンを巻かれている。それと色とりどりの乾燥果物。見るなり王弟の、きちんと手入れされた眉が持ち上がり唇は皮肉な形に曲がった。

「生がいくらでも手に入るのに、おかしなヒトだよね」

 それらが誰への届け物なのか、もう分かっている。王妃の故郷は北国で新鮮な果物は手に入りにくく、干し葡萄や干し棗、イチジクにプルーン、といった加工品が多い。

「お前から、って言って届けてくれ」

「兄さん」

「俺からだと手もつけないで何日もそのまんまなんだ」

「そんな女には何もやることないと思うけど」

「……たのむ」

 兄に重ねて懇願され、弟はしぶしぶ頷く。最近、王妃の食がすすくなくて、鳥がつつくほどしか食べないということは知っていた。王族の食事を司る大膳処の役人たちは最近、そのことで痩せるほど苦労している。

この国の若い国王は健啖家だが贅沢を言わない性質で、常識の範囲で美味いものを出せばぺろりと平らげてくれる。しかしその配偶者は食事に関心を示さず、膳に全く手をつけないことも珍しくない。だからといって大膳が叱責を受けた事はないが、王妃の食事量を国王が細かく報告させ、その多寡で一喜一憂している様子を見れば司厨長が責任を感じるのは当たり前だった。

そして司厨長が知らないこともあった。あまりの食欲のなさにハンストかよとキレた国王が王妃を責め、王妃は叱責を受けることが嫌で、猫に自分の膳を食べさせていた。その猫も本当は宮廷では飼ってはならないことになっているのに、迷い込んできたのを可愛がっていたから『毒見のため』という名目で飼育を許したのだ。毒見どころかテーブルに載せて、銀の皿に直接、口をつけさせていた。

現場を国王が目撃し、ちょっとは元気になったかと安心したのを裏切られて頭にきた若い王様は激昂し、あとはお定まりの修羅場。王弟が居合わせたおかげでかろうじて暴力沙汰にはならなかったが鏡の前でストリップ。しかし映った、痩せた姿に衝撃を受けたのは服を剥いた国王の方で、剥かれた王妃は、目を伏せてこそいたが無関心だった。

『女の人って、痩せるとここから削げるよね』

 王弟殿下がそう言って、王妃の胸に掌を当てるまで。

『実はけっこう、カラダに自惚れてあるでしょ。あなた滅多に居ない上物ではあるよ。でも、それもこれまでかな』

 国王の叱責にはしらっとした顔のまま、無抵抗というより不服従、そ知らぬ容子を崩さなかった王妃は王弟の言葉には顔を上げた。

『知ってる?』

 問い掛けに首をかすかに傾げて、次の言葉を待つ仕草。

『急に痩せると、胸の皮がたるむんだよ。おばあちゃんみたいにたれるの。ふっくらで美味しそうなこの胸も、アバラが浮いたら見られたもんじゃなくなるね』

 まるでその、魅力をなくす未来を楽しむかのように王弟殿下はほくそ笑みながら言った。国王は王妃の肩にガウンを羽織らせて、そのまま抱き締めていた。

『あんた、本気で死んじゃうつもり……?』

呟く兄の、酷く衝撃を受けている様子にセックスどころでないと判断した弟はそのまま部屋を出て、その後のことは知らない。

「ロイはさぁ」

 多分兄は王妃の母国に問い合わせて、好きなものを大急ぎであつらえたのだろうと、そのくらいは分かるが。

「……お前をスキなのかな……」

 ひどく、とても、悲しそうに国王が言った。そのまま、いまにも、泣きだしそうな顔で。弟は兄に近づき、そっと頬を寄せる。

「まさか」

 慰めつつ、自信を持って答えた。

「好かれる理由がないよ。僕も兄さんと立場は殆ど同じじゃない。ただ、ナンか、ちょっと、意識されてるのは確かだね」

 見ていて腹が立つほど兄には逆らうのに、自分に対しては柔らかい。それは好意というよりも逆らえない弱みがあるように見える。

「ちゃんと届けてくるよ。食べるように言っとくから、兄さん元気出して」

「……あぁ」

 

 王弟殿下は約束を守り、兄の執務室を出たその足で奥の、兄の私室へと向かう。国王夫妻の居室に最近、この弟が出入りするのは珍しい事ではなくて、侍女たちも皆、頭を下げるばかりで奥の寝室へ通した。王妃は寝込んではおらず、楽な部屋着だったが夜着ではない服装でぼんやり、何をするでもなくソファに座り込んでいた。

そして前触れもなく現れた義弟に怯えたが。

「なんにもしないよ、今夜は。お見舞い持って来ただけ」

 表情後と強張った相手の膝の上に藤のバスケットを置いて。

「シワシワになりたくないなら少しは食べな。あなたもう若くないんだから、一回しぼんだらもう膨らまないよ」

 嫌味、かつ、皮肉に言ってやった。そんな憎まれ口を嫂は嫌がらない。どころか少し、和んだような表情で聞いている。返事はしなかったが、受け取ったバスケットのもち手を指で撫でた。

「好きなヒトいるの?嫂さん」

 自分を好きなのではない。とすると、それしか思いつかなかった。

「ぼくその人に似てたりするの。やめてくれないかなそーゆーの。鬱陶しいから。いい歳してさ、恥かしくないワケ?」

「きみ十九だったね、アルフォンス・エルリック」

 珍しく、というより殆ど十日ぶりくらいに女が口を開く。

「二十歳になりましたー。兄さんとは年子だから」

「シワシワになっても百年生きても、君の業はきっとそのままだ」

「ボクの話しはしてないよ」

「わたしも同じなのさ」

「それってアイツ?昔あなたを迎えに来たあなたの幼なじみ?あなた今度もアイツにだまされて突き出されて、ウチに戻って来たんだよね。だから絶望してごはん食べないわけ?あなたが餓死したら相手は悲しむの?」

「少しはね。……目算が狂って」

「はかない復讐だねぇ。そんなもののために兄さん苦しめないでよ。もっとさ、こぉ、パーッと、前向きになれない?いや別にあなたに性格改善は期待してないよ。そうじゃなくてさ、兄さんにあなたが頼めばそいつの皮、生きたまま剥いでくれるよ?」

「そんなことを望んでるんじゃないんだ」

「危害を加えたくはないの?嫌われたくないから?でもアイツって奥さん居るんだよね?子供も」

「そう。夫婦仲がいいんだ。君と奥方のように」

 女が俯いて呟く。最後の語尾が掠れて、唇が噛み締められたかと思うと、ぼたぼた、涙が流れ落ちる。

「ちょっと。ドライフルーツがふやけちゃう。苦労して手に入れたのに」

「……、ごめん」

「食べなよ。口あけて」

 強い命令口調で言われて、嫂は反射的に従う。唇の隙間に干し棗を放り込むと素直に咀嚼した。ごくり、喉が動いて飲み込むまで待って。

「消えてしまいたい?」

 王弟殿下は、少しだけ優しい声で尋ねる。

「あなたが母国で結婚してた相手、あれあんまり、あなたに相応しくなかったよね。地位とか名声とかはともかく、歳が違いすぎる。親子どころじゃなかったろ。それもあいつの差し金?まぁ実力派の地方領主に叛乱蜂起されるより、とりこんでしまう方が賢いけど、まるで女衒だ」

「ブラッドレイは優しかったよ。何処かの王子様たちと違って」

「あいつの言うとおりの相手に足開いてきたわけだ、あなたは」

「……そう」

「くちをあけて」

 開かれたそこに、干したイチジクを差し込む。

「復讐してやればいいのに」

「そんなことは、望んでいないんだ。ただもう、絶望しただけで」

「生きてたくないくらい?なにに。愛されてないこと?」

「そう……」

 素直に頷く青白い女が少しだけほんの少し可哀相で。

 同情が殆どのキスを額に、施してやった。