政略結婚・5

 

 

 新興国の王者の要請にしたがって、旧大国から料理人が到着した。それと同時に、別の知らせも届いた。

「白いね」

 そのことで王弟は嫂に、正式な面会を申し込んだのだが。

「その色に意味があるの?」

 食卓に並んだ、珍しい食べ物に先に意識を奪われる。

 珍しいが、美食に恵まれた若者にはあまり美味しそうには見えない。

 ライスという食材は王弟にとっても馴染みだが、この国では大抵、油脂や調味料、肉と魚介に野菜を炊き込んだパエリアに調理する。王室の料理人は高価なサフランを惜しげもなく使う黄金色の香り高いパエリアを得意にしている。それとは対照的な、味もつけないでただ炊いただけの、真っ白なゴハンはこの国では、最下層の貧民さえ嫌がりそうな味気なさだ。

 並んだ副菜も、大豆の汁を煮て作った膜に包まれた野菜の煮付けに同じく大豆の汁を固めたもの、白身魚が辛うじて動物性蛋白質だが、片栗粉をまぶしてボイルして白味噌を添えてある

あっさりを通り越して清貧。それは、この国で美徳ではなかった。

「そういう訳じゃないが、好物なんだ」

 少し恥かしそうに、でもわらって、嫂は食事を続けた。身分の高い女が臣下の男と面会をする時に昼食時が選ばれる習慣はたぶん、密通の嫌疑をさけるためだろう。

「赤い肉は苦手なんだって?血の匂いがするから?ならそうだって最初に言いなよ。知らないで、兄さんも無駄な苦労をしたよね。今の時期、猟肉は高いのに市場のを買い占めてさ」

 腐敗寸前が最上の美味とされるジビエ。

「なのにどんどん、あなたは食欲をなくして、料理人まで胃に穴をあけそうだった。米と大豆を食べさせてりゃいいんなら、城の食料庫に腐るほどあるのに。……家畜のエサ用に」

「わたしの国から搾取した農産物がね」

「僕の友人にも肉を食べない奴が居たよ。でも、子供が生まれて好き嫌いしちゃだめって教えなきゃならなくて、そいつ我慢して肉を食べるようになった。最初は臭くてたまらなかったそうだけど、馴れると美味しくて大好物になったって。結果、どういうことが起こったと思う?」

「さぁ、分からない」

「性欲亢進に悩んだって。それまでは週一のご挨拶だったのが、奥方に毎晩挑むようになって、夫婦仲は円満、第二子にも恵まれて、めでたし、めでたし」

「そう」

「あなたの体臭が甘いのは、そういうモノと乾燥果物ばっかり食べてるせいかもしれないな。けど、生肉を美味しそうに食べる女の色気も悪くはないよ。脂がのってる方が美味いのは共通だけど」

「若いのに、君は淫蕩なことを言うね」

「女の人を乗り回すのが趣味です」

「そんなことを言うと奥方が嘆かれるよ」

「妻に手抜きはしてないよ。奥さんに一番熱心に乗ってますからダイジョーブです。って、まあ、そんな話はおいて」

 簡素な食事は短い時間で終わった。食後の甘味が出されて、それは『謁見』中の王弟にも差し出された。クマ笹の葉に包まれた白い粽に、王弟は呆れるのを通り越して感心する。はぐっと食いつくと笹のいい匂いがして、中には小豆の餡がうっすらと入っていた。

「あー、これは美味しいかも」

 もち米の粉で作った粽をもぐもぐ、王弟は食べていく。

「粽はねぇ、陣中で食べたよ、時々。こんなお菓子じゃなくて、玄米に塩味つけて、薄茶色に茹でてあるやつ。保存がきくし栄養もあるしで、便利な腰兵糧だった。カンパンより美味しいしね」

「あくまき、だね。もともとはお祭りの食事だ。中に海老や茸の佃煮を入れることも多い」

「乾燥海老を真っ黒に煮しめてあるやつ?それも食べたよ、陣中では。でもうち、生のビチビチ跳ねるのが取れるから、普段にはあんな塩辛いの、食べようとは思わないな。けどあなたには懐かしいんだろうね。故郷の味だから?」

「ごちそうは、あんまり好きじゃないんだ」

「はっきり言っていいよ。レバーとかラードとかを使いまくる、うちの料理が口に合わないんだって。まぁでも、好きなようにしてればいい。そのうちあなたも生焼けの赤い肉を美味いと思うようになるよ。ここに馴染めばね」

 粽と一緒に供された緑色の茶は、発酵し終わった茶葉で作る紅茶を飲みなれた王弟には青臭く感じた。けれどもそれが嫂にはいい香りなのだろう。茶碗を指で包み込むようにして、ほろ苦い液体をおいしそうに飲んでいく。

「あなたの国から知らせが来た。新しい王女様を選んだって」

「聞いたよ」

「王位継承権を持ってるのあなただけじゃなかったっけ。だから前、あなたは兄さんと別れて国に帰ったのに」

「作ったんだろう、新しく」

「子供じゃなかったよ。十七歳って」

「その年頃の従姉妹は何人か居るよ。みんな庶子だから王位には就けなかった。でも奥方と死別すれば愛妾と結婚できるから、そうしたら庶子を嫡出に直す事も出来る」

「あー、なるほどね、納得。でもそれって凄くミエミエの虚偽じゃない?生まれた時点では正式な結婚をした夫婦からじゃなかったのは皆知ってるのに、支持が得られるの?」

「歓迎はされない。でもそれしか手段がなければしかたがない」

「そもそもなんで、新しい女王が必要なんだろう。あなた死んだ訳じゃないのに」

「あいつが好みの後釜を見つけたんだろう」

 小さな、けれどはっきりした声で呟かれる言葉。

「なるほど、やり手のめがねの宰相殿がね。……公式には?」

「外国に嫁いだ王家の子女には王位と財産の継承権が剥奪されて、代わりに持参金がつく。それはどこでも同じことだろう」

「あなたを兄さんが正式な妃に復位させたからか」

 納得、という表情で王弟はテーブルの上の鈴を手にとり、勝手に鳴らした。外聞を憚る話の性質上、給仕の侍女は遠ざけられていた。見晴らしのいい中庭のテラス。

「紅茶を一杯。あと、さっきの粽、余分があったら貰って帰りたいんだけど。僕の奥さんが好きそうだから」

「作らせて、届けさせておくよ」

「ありがとう」

 侍女が頭を下げて引っ込み、やがて金襴のカップにアールグレイの紅茶が運ばれてくる。

「兄さんと、なにか話した?」

 湯気に目を伏せながら、金髪の王弟は探るようにじっと、兄の最愛の女を眺める。

「特に、なにも」

「ふぅん。でも兄さん、最近やさしくなったよね、あなたに。こんな食事の料理人呼び寄せたりして、兄さんにしたら凄い譲歩だよ?妻は嫁した夫の習慣に従うものなんだから」

「……」

 ほんの少し、すこしだけ嫂は笑った。すこしだけだが、強靭に。こんな野蛮人の国にあわせられるものか、という、軽蔑混じりの拒絶が美しい唇の端に浮かぶ。

「兄さんは生まれついてのの王者でワガママだし、本質的にあなたは高慢だし、二人とも気が強いし、周りはやれやれだよ。でも、兄さんがあなたに優しくなった理由を知ってる?」

「気が向いたんだろう?」

「……あなたの前夫、あの隻眼のやけに強いじじぃ」

 王政反対派の最左翼から、最擁護派へと百八十度の転身を遂げた男。その節操のなさを責める声は多いが、反面、同情の囁きもある。女王の配偶者、プリンス・コンノートに迎えられ、娘のような歳の美貌の貴婦人に微笑まれて、骨抜きにされた立場には同じ男として、非難できないものを感じるのだろう。結婚のとき、女王様は二十七歳、異国で七年を過ごして『白い結婚』を体験した不幸せに、生来の美貌が益々冴え、女盛りの色艶は輝くばかりだった。

 あれは、男なら拒否できない。

「フノーだったんだって?」

 にやり、と。

 ハンサムな王弟殿下は性質の悪い笑みを見せる。

「兄さんにそれを話したらサ、暫く動かないで驚いてた」

「……ブラッドレイは、前の奥方との間に子供が居るよ」

「若い頃の子供がね。片目を亡くした戦争の時、男性機能も怪我でなくしたって噂があったんだろ?そんな相手と、よく結婚したね、あなた」

「下種な勘繰りだ。強い男がそのあたりに怪我をすると、妬いた連中が必ずそんな噂を流す」

「男の嫉妬って見苦しいからね。で、ホントはどうだったの」

「力強くて男らしくて、とても優しかったよ」

「欠陥を庇ってやる愛情は今もあるんだね。僕はそっちが重大事と思うけど、兄さんは違うみたい。行方不明のキング・ブラッドレイを探索する手も緩めた、っていうか、もうどうでもよさそうだし」

 そう言った瞬間、嫂がほっとした顔をしたのを、王弟はじっと眺めていた。

「あなたにも優しくなったし」

「つまらない理由だな」

「まあそうだけど、兄さんもある意味、率直で男らしい人だと思わない?ついでに王者らしくもあってさ、僕にも教えてくれないんだ、どうするつもりなのか。……あなたには話したかと思ったんだけど、あなたにも、か」

「なんの、話しをしてる?」

「あなたの後釜の話。知らせが届いた時、兄さんは白っぽく笑ってた。あれは相当に怒ってるんだよ」

 自分の妻の、地位を勝手に奪い取ろうとする動きに。

「あなたは知らないと思うけど、兄さんが大声で怒鳴り散らしてる時は、本当はそんなに怒ってない。怒鳴り終わったときにごめんって謝れば許してくれる。あなたはそれをしないから、兄さんも引っ込みがつかなくなるんだけど、まぁそれは措いて」

「認めないつもりなのか?」

「それが分からないから探りに来たんだけど、無駄足だったみたい。沈黙を守れるのが王者の資質なら、兄さんにはそれが十分にあるよ。あなたにも、だけど。……あなたの幼なじみが、新しい女王さま候補をつれて、近日中に、謁見に来ることになってる」

「……」

「心の準備がしたいなら聞いておけば?あなたには教えてくれるんじゃない。僕はムリだろうけど」

 どうやら本当はそのことをアドバイスに来たらしい王弟は、言いたいことを言い終えて立ち上がる。めがねの幼なじみ、やり手の愛妻家をこの嫂が、心の中に住ませていると、気付いている聡い男。

「じゃあね。そのうち、またこっそり遊びに来るよ」

 手を振って出て行った背中を呆然と見送った。