政略結婚・6

 

 

 会議は長引いていた。議題が国際関係の時は絶対にそうなるので、厨房は昼食のほかに軽食と夕食、雲行き次第では夜食も出せるように、準備怠りなかった。三時の休憩に備えて焼き菓子をオーブンに入れたところで、会議が小休止になったと従卒に告げられて慌てる。国王陛下や王弟殿下、そして歴々のお偉方にも好評の紅茶のシフォンケーキは焼き上がりまでに、あと二十分かかる。

「陛下は中庭にいらっしゃる。東屋に運ぶ茶菓を」

 従卒は取りに来たのだった。慌ててコックは来客の応接用に常時、用意してある焼き菓子を盛り合わせた。王妃もご一緒だと小声で囁かれて、ドライ・フルーツもざらざらと小皿に盛る。司厨長にしてみれば、これはコアントローやブランデーに浸して、戻してからケーキ生地に混ぜて焼くための『材料』であって、これだけぽりぽりと齧る『お菓子』ではない。

 しかし王妃がそうされたいのならば仕方がない。王妃の為の厨房は母国の料理人がやって来て別に設けられたが、国王と食事をされるときは毒殺を警戒するためにこちらで用意する。その時に王妃の好みを勘案して努力すると、国王からは金一封が、出る。

 そのご褒美は金額以上に名誉であって、誇り高い職人気質の司厨長が異国料理を作らされるという行為に傷ついた自尊心を慰めていた。そのへんの機微をよく心得た国王は、若いが出来た王様だと、司厨長は心から尊敬していた。

「休憩は長くなりそうです。お歴々には、普段どおりにお茶を」

 侍従はそう囁いて、少し笑って出て行った。

 

 

 国際問題についての会議が長くなるのは、臣下の中に色々な利害が絡むからだ。王国の拡大に伴って、大臣や次官といった連中には異国から妻を娶っている者も異国人も多く、それぞれが自分の背景にとって有利なようにと持論を展開する。

 この国の若い国王は短気だが、ある面では非常に辛抱強い。時に白々しく我欲が透かし見える意見にも、じっと最後まで耳を傾ける。ちゃんと聞いた、という事実自体が相手の不満を宥めるということをよく知っているから。

 隣に座る王弟は時々、苦笑を浮かべたりわざと欠伸をしたりのゼスチャーを見せるが、国王はごく真面目な様子で、ほんの時々、かすかに頷く。同意の表現を得た具申者はそれに力を得て、弁論にますます熱が入る。そうやって、何時の間にか、衆議は自然に決していることが多い。

 会議室に侍従が入って来て、国王に小さなメモを差し出す。国王は一読して眉を寄せ、それを隣の王弟に手渡した。王弟はふぅん、という表情。そうして、意見具申が一段落ついたところで。

「休憩にして、お互い少し、頭を冷やすことにしよう」

 議事進行に口を挟む。一同は恭しく頭を垂れてそれを承った。発言者は王弟でも、それを望んだのは国王だと分かっていたから。議長が休憩を宣言し、国王が静かに席を立つ。椅子の背もたれに掛けていたマントを、王弟が兄に着せ掛けてやった。

 やがて。

 若い国王の姿が中庭に現われる。

一人ではない。

隣のほっそりした女はショールで顔を隠していたが、それが誰かは一目瞭然だった。国王が手を繋いでいたから。王妃が『帰って来る』までの間、国王は若い男らしく何人かの侍女を寝室に侍らせたが、その誰に対しても表立って、こんな風に、甘いところは、一度も見せなかった。

会議中に面会を求められ、それをかなえてやることなどは論外。

「……」

 大臣や次官たちは、各自の席から首を伸ばして中庭の様子を伺おうとする。席を立たないのはあきらかに国王がそこに居るのに、『見下ろす』無礼を冒さないためだ。王弟殿下だけが立ち上がり、堂々と窓辺に拠って、兄とその妻を眺めた。

「この寒いのに、なんで庭に出るのかな。中で話せばいいのに」

 なんで、なんて。

そんなのは分かりきったことだ。秘密の話しだから。立ち聞きをされたくない本当の内緒話は、見通しのいい場所でするものと相場は決まっている。

 重臣たちの間には妙な雰囲気が漂い、各派閥の間では視線のキャッチボールが交差する。王妃の母国に敵対する意見の持ち主はそっと額の冷や汗を拭った。

和平の証拠としての人質、半ばは生贄の捕虜として突き出されてきた女を、国王は王妃へ復位した。それが帰国時に返した持参金の返還を求めるためでなく(そして支払いがないことを理由に領土の割譲を求める為でもなく)愛情からだとすると、この会議の行方は微妙なものになる。

 二人は中庭の東屋、といっても夏に日差しを遮る屋根があるだけの吹き抜けの、ベンチの据えられた一角で何かを話している。ベンチはテーブルを挟んで対面にあるのに並んで腰掛けて、そうして国王の上着が女にも掛けられて、やがて。

 紋章を刺繍したマントが国王の肩から外され、それをすっぽりと、二人は頭から、被る。

 ラブシーンを人目から遮るため。もちろんそれもあるだろう。抱き寄せてくちづける動きが見えるようだ。けれどそれだけではない。

 周囲から、双眼鏡や望遠鏡を使っても、唇の動きを読まれないように。

 王弟はそっと笑う。嫂の、黒髪から時々覗く、白い耳たぶを思った。あの耳元に兄の唇が寄せられて息がかかっている。それを考えると腰骨の内側に、きゅんと熱が篭る。もちろんそれは嫂ではなくて、愛しい兄に、向かう欲情だった。

 やがて国王が会議室に戻って来る。ちょうど三時で、厨房から茶菓が配られる。紅茶色のシフォンケーキは甘さ控えめ。代わりに冷たく甘いクリームが添えられていて、甘党はクリームをたっぷり乗せて食べれるようになっている。

「兄さん、クリームわけて」

「おぅ」

 甘党の弟はそうでない兄の皿にフォークを伸ばしてクリームを掬いとった。国王の皿に自分が口をつけたフォークを突っ込める、自身の特権を確認するために。

 愛情は、色々な形で現われる。

「……、と、思われます。しかしながら妃殿下のご出身国であることを勘案いたしまして……」

 臣下たちの論調が変わったのは国王の愛情にあわせるための保身。しかしそれさえも、好意でないことはなかった。