政略結婚・7
愛しているか、いないかと問われれば。
もちろん愛してない。
でも触れると幸せな気持ちになるから好きだ。耳たぶにそっと唇を寄せて前歯で挟むと噛まれると思ったのか、背中から抱き締めた肢体がびくっと竦んで強張る。安心させるように優しく掌で胸の膨らみを服の上から揉むと、そっちに気をとられて肩を揺らす、隙に噛んだ。かなり力を入れて。
「……、ッ」
女の唇から今夜、初めての声が漏れる。掌の中で膨らみがかすかに、さざなみのような震えを見せる。色に欲深い女は嫌いじゃない。それを恥かしがる慎みがあれば尚更。
「昼間の中庭で、兄さんとなにしたたの」
尋ねる息が荒くなる。会議の休憩時間、中庭の東屋。衆人環視の中でマントに包まれて、抱きあうのはどんな気持ちだろう。想像しただけで興奮する。今夜はらしくもなく、最初から熱があった。
「キスした?触った?」
腕の中に今、抱いてるこの女に毎晩、あの兄が触れている。兄の指が触れた体だと思うと、肉体だけの価値でくなってしまう。欲情を超えた戦慄が背骨のあたりを走る。愛とか恋とかさえ越えて、偶像崇拝、いやもっと背徳的に。
偶像を陵辱するような、暗い悦びが、あって。
秘められるほど、煽られるのが欲望。
「ちから抜いて。ほら」
「……、くる、し……」
「暴れるからだよ。余計に苦しくなるよ」
新春を迎える式典が近い。年が明けて暫くしてから、北方領土の雪解けをまって行われる祝典は、新年と春を祝う二重の意味を篭めて盛大に行われる。その準備のための衣装が出来上がって、今の嫂はそれを着込んでいる。胸と肩を出したローブ・デコルテ調の、レース縁飾りがうっすらピンク色を帯びたドレス。本番では肌は宝石の装飾で埋められるが今日は素肌で、男心をそそる露出だった。
「胸ちょっと拡げて縫い直す?七年前のサイズだもんね」
服の具合を見るそぶりでぎゅっと左右の膨らみを、背後から抱いて交差させた掌で掴む。愛撫を繰り返し受けているそこは充実して膨らみ、布はぱつんぱつんに張り詰めて張り付いていて、触れる王弟の指に生に近い感触を伝えてきた。弾力をこめたこの柔らかさは、女の体だけに属する感触。
「男って悲しいな、って時々、僕は思うことがあるよ。性欲ならまだいいんだけどね、もっと切実な願望があるんだ。女に触りたい、っていう気持ちの、この深刻さは、女の人には、分かってもらいにくいかもね」
度胸のいい王弟は自身の欲求と向き合いながら、腕の中の女を弄り続けた。絹の衣装は擦れると音をたてる。それに混じって、
「ゆるめて……、やすませて……」
女の細い哀願の声。刺激を受けて震え出した肩を見て、王弟は拘束した腕は解かないまま、掌から力を抜く。女はすすり泣き寸前で、浅い呼吸をせわしなく繰り返す。
「ちょっと、勝手にイっちゃダメだよ」
波に乗りかけているのに気付いた王弟は、掌でなく指を膨らみに、無慈悲に埋めてわざと痛みを与えた。悲鳴があがり、イヤイヤという風に背中が捩られて、県連がとまってから、指を離す。
「……、ひど、い」
俯いた嫂が泣き声で怨むから、口もとに笑みが浮かぶ。
「あなたが節操ないからでしょ。兄さんが来るまではダメだって何回いえば分かるのさ。美味しい盛り上がりを自分で食べるんじゃないよ。それはあなたの、夫のものだ」
女は夫の所有物で、その性欲さえ自分の快楽のためではなく、主人のために存在するものだと繰り返し、王弟は告げていた。自分の女たちにはもっと物分かりのいい男のフリをしているが、愛しい兄の持ち物であるこの女には率直に、兄への絶対服従を求めている。
当然のことだと思っていた。光が集まって輝くような、あんなキラキラの兄に触れて『もらえる』のだから。
「なんの話だったっけ。そうそう、本能を呪うって言ってたね。心理学どおりの自分の欲求にうんざりするんだよ時々。僕も兄さんも母親と早く死に別れた。だから、女に触っていたい欲求が強いんだ。乳幼児の頃のスキンシップが足りなかったせい、なんて分かったよーな顔で言われるとムカつく。けどそれは、多分事実なんだ。人間には自分で思うほど、個性なんかない、みたい」
その欲求に正直に身を委ねていた時期もあった。
「あなたのカラダに触って眠ったの幸せだったな」
兄夫婦の、婚姻の、ごく初期の、頃。
夫は幼くて結婚は実質を伴わない、白い結婚、だった。
「覚えてる、よね」
「わすれたよ」
「ウソツキ。忘れられる筈ないでしょ」
「おおかかしのこと、だ」
「思えばあなたはあの頃から、大人しくもなきゃバカでもなかったさ。グリードたちの玩具になるのが嫌で僕らを使って、あいつらを反逆罪で追放した、お手並みはお見事だった」
「……報復に、君の兄上と結婚させられたけどね……」
「父上は僕らより義兄たちを愛してたから。でも報復にならなくてよかったじゃない。兄さんはあなたを愛してくれたでしょ」
「恥かしかったよ、とても」
「子供と結婚させられたこと?キモチは分かる、って言いたいけど、よく考えればおかしいよね。歳の差の結婚なんて王家にはよくあることだ。三十も年上だった父上や前夫は平気で、自分が十五も上なのは」
「十四だ」
「大した違いじゃないと思うけど」
間髪入れない訂正と辛辣なコメントは間髪おかずに投げられ投げ返された。
「自分自身が優位じゃないと気がすまない、あなたらしい高慢ではあるけど、ね」
ちゅ、っともう一度、背後から白い耳朶に吸い付く。
「ドレスよく似合うよ。……あの男にも、見せ付けてやれる。」
王弟は優しい声音で、殺し文句を囁いた。
仮縫いが出来上がった衣装を着せて見ておいてくれと、兄に頼まれて弟はやって来たのだ。女の服飾と装飾品、流行に詳しくセンス抜群と評される弟は他にも見立てを何人にも頼まれている。女の服がよく分からない兄は、自分を含めて衣装関連は全部、弟に丸投げするのが通例だった。
例外のこともあった。今日は言葉が添えられた。『おかしかったら、直しといてくれ』と。その一言の価値を妻は理解せず、弟はその裏の心理までを見通す。式典には王妃の母国からの使節も、新しい女王を伴ってやって来る。
「首飾りは今、新しいのを大急ぎで作らせてる。祝典までには出来上がるよ。個人的には真珠が似合うと思うんだけど、格を考えればダイヤモンドしかない。宝物庫のダイヤ底ざらえしてるから、物凄いのが出来上がってくるはず」
自分に贈られる宝石は普通の女なら目を輝かせる話題だ。だがこの黒髪の女はあまり興味がなさそう。物欲が薄くてがつがつしていないところは流石に育ちだった。しかし。
「新しい女王様候補がどんな女か知らないけど、あなたよりいい女があの国から出て来るとは思えないな。身贔屓抜きでさ」
欲望自体が、ないという訳ではない。
女の欲を刺激することに巧みな王弟の囁きは、女の気持ちの底に溜まった澱を掻きまぜ、浮き上がらせて身体ごと揺らす。
「ちゃんと食べて寝て、顔色も艶々させておいてよ。じゃないと兄さんが恥をかくから」
根源の動機は不純でも、この女を飾り立て磨き上げて、のこのこやってくる『後釜』に貫禄勝ちさせたい、という目的は正直。
「……だったら離してくれ。服が汚れる」
王弟の指がドレスの上から腰にかかったのを、自分の手を重ねて阻みながら女が言った。言葉の裏側も王弟にはきちんと伝わる。目的は共通だという意思表示。
「僕はあなたとも性質は近いと思う」
囁きながら手を離す。身体を重ねて時々はすりよせ、甘い欲情を保持させながら、来訪者を待った。
やがて足音、そして。
「お帰りなさい、兄さん」
「おぅ」
衣装合わせを頼んだの時点で予想していた事態に、国王は頷きで応じる。ばさっと会議用の衣装を脱いで、簡単な部屋着になる。
「ほら、嫂さん、着替え伝わなきゃ」
王弟は言ってみたが、嫂がそんなことを出来る状態でないことはよく分かっていた。枕に顔を埋めて、じっと震えて耐えている。
「兄さんにお願いがあるんでしょ、言いなよ。胸が苦しいから外して、って」
肩の出たドレスは背中のジッパーを金具で留めて着脱するようになっている。しかし勿論このレベルの仕立ては隠しジッパーで、留め金は内側に収納され、自分で外せない。
「じゃあ僕は行くね。おやすみなさい」
兄に挨拶して、いつものように尋常に、王弟は退室しようとしたが。
「待て」
自分でさっさと着替えた兄に呼び止められる。振り向くと、兄は女を仰向けに引き起こして唇を重ねていた。ドアの位置からは重なった兄の後頭部して見えないが、ドレスの裾を乱して身悶える爪先の動きに、キスだけではない愛撫を受けていることが分かる。
「……どうなってんだ、これ」
苦しむ女の背中に手を廻し、国王はジッパーを外してやろうとする。しかし女の隠しジッパーを初めて見たらしい兄に、弟は笑って、もう一度寝台に近づく。
「ここを押さえて、外して開くと、金具があるでしょ?それを下ろすんだよ。そうそう」
兄をダイスキな弟にとっては、らしい無骨さまで美点だ。
「下りないぞ」
「うーん。ちょっときつめの上に膨らんでるからねぇ」
金具が下がっていく余裕さえない。二人がかりで背中に触れられて、喘ぎかけの女はぎゅっと、唇を噛み締め息を殺す。
「兄さん、前から押さえてよ。僕が引き下ろすから。せぇのッ」
兄は遠慮会なく女の胸を押しつぶし、そこでようやく出来た緩みに沿って弟はジッパーを下ろした。白い背中が腰骨の近くまであらわになる。はらりとそのまま捲れてシーツに落ちそうになった布を、とっさに女は腕で押さえ込んで屈むが、脇から覗く豊かな膨らみに王弟は唇の端を緩める。
じゃあ、と、もう一度、立ち上がりかけた所へ。
「まだだ。ついでに緩め方を教えていけ」
屈む女の肩を引き寄せながら、王さまは王者らしく言った。
「式次第の細目が決まった。夜はこいつと、床入りの式をする」
「……え」
「あぁ、いいんじゃない」
うそ、という目で顔を上げた女とは対照的に、王弟はさも当然という風に頷いて賛意を示す。
「前の時、それやってなかったしね。式には奥方の側の立会いも必要だし、ちょうどいいよ」
「いま、さら……、そんな……」
それは初夜の儀式だ。条約を伴う王国間の婚姻の場合は、確かに結婚が成立したことを証明するために、夫妻双方の立会い人の前でことに及ぶ。
「もう血なんか出ないよ」
花嫁が処女であったことを証明する儀式でもある。
「鳩の血でいいんじゃない?処女の全員が出血する訳じゃないし、花婿が『事実』を認めれば代用が成り立つ」
「そんな恥さらしはごめんだ」
「事実の追認も大事なことさ。でしょ、兄さん?」
頷き、国王は女の手をとった。胸を押さえていた腕が外れて薄い布が落ちて、下着を身につけていない見事な、熟れた白桃が現われる。トップは充血して、既に尖りきって。
「……、いや……」
「嫂さんの胸、久しぶりに拝むなぁ。相変わらずキレイだ。何年ぶりだっけ」
「床入りしてなくて、また白い結婚認定されんのはゴメンだ」
「そうそう。前もちゃんと、既成事実は成立してたのにね。エッチしてからは僕のこと、一緒に寝せてくれなくなったもんね」
「……ゆるして」
「手早くすませてやる。あんたは見えないようにしてやるから我慢しろ」
「おねがい、ゆるして」
「だめだ。でな、アル」
「うん。まさか、僕が前座を務めるわけにはいかないしね。電話していい?ウィンリィに、今夜遅くなるって」
「おぅ」
引き寄せられ、シーツの上に仰向けに倒されて、裸の胸を若い男の胸板に押しつぶされながら、女は。
「冗談、だよね、エドワード……。なぁ、最近ちゃんといい子にしているだろう?祝典の間もちゃんとするよ。君に腕を絡めて幸せそうに笑うから……、だから……」
「嫌か」
「わたしを幾つと思ってる。……はずかしいよ……」
「順番が狂って遅くなっただけだ。あんたはあの時、確かに処女だった。俺は世界中にそれを宣言する権利がある」
「いまさら、そんなの」
「いまさらでも大事なことだ。俺はもう、あんたを取り上げられるのはごめんだ」
「もう君が王様じゃないか。なんでも君の思い通りじゃないか」
「白くないってあんなに言ったのに、あんたの迎えは聞く耳持たなかった。七年前に俺がどれだけあんたと離れたくなかったか、あんたには分からないだろうな。あんたは七母国に帰れて嬉しそうだったけど」
「……そ、れは……」
基本的にこの国の宗教は離婚を認めない。ただし、人間の悪知恵は不可能を可能にする。離婚できないならば結婚を『していなかった』ことにすればいい。結局全ては権力者の意向次第。力を持った若い国王が、かつての『婚姻不成立』を無効と認定させたように。
「あんたは故郷に帰りたかったんだろ。だから俺に味方して、赤かったとは言ってくれなかった。俺まだ恨んでるぜ。あん時のあんたの、しらっとしたツラは忘れらんねぇよ」
「……、だって……、あの、ときは……」
「まぁ、もう、帰るところはなくなっちまったけどな?」
「そう。……だから」
「床入りから一日置いて戴冠式だ。もちろんあんたのだぜ、王妃様。俺のは親父が死んだときに済んでる。まぁ王冠なんざ、二キロの金がありゃ誰にでも作れる、つまんないモンだって俺は思ってるけど、位はあんたの枷になるんだろ?」
「……、エド、ワード」
「もしもし、奥さん?ぼくー。いままだ王宮でーす。会議がまわっちゃってまーす」
「俺あんたのこと愛してるけど、信用はしてないんだ」
「さきにごはん、たべといてくださーい。……うん。……ん、分かった。君もね。……、うん」
「でも愛してるから、男が女にしてやれることは全部してやるよ」
「はぁい。愛してるよ、奥さん」
「ガキも抱かせてやるぜ。皇太子殿下、をな」
「……、いや……」
「分かってるから言うな。あんたが俺を好きじゃないのは、もう分かってる」
「復讐なら、もう十分だろう。わたしは何もかも無くして、独りぼっちでこんな所に居る」
「こんなトコロっていま言った?兄さんの室室に入りたがる女がどれだけ居るか知っててそーゆー口きくの?」
「いじめられてるのに感謝しろって言われながら」
「しなくっていいぜ。俺がやることはどーせ、全部あんたの気に入らないことばっかなんだから」
「嫂さんヒスったオバサンみたいだよね。話が通じないトコとか」
「でももう決めた。真っ赤に塗りたくって、それから王妃様だ。あんたは奴隷扱いの方がいいんだろうけど」
「エドワード……。戴冠式なんてしてしまったら、好きな人が出来た時に困るよ……?」
「あんたホントに、ナンにも聞えないんだな」
「やめ、よう。君はまだ若い。いま短気を起こすと、後で後悔するよ」
「目ぇ閉じろ。泣きそうな顔されてるとムカツク」
「そうだよね。受け入れてもらえない愛情が零れて割れちゃうと、憎しみになっちゃうもんだよねー」
「な、んでもする、よ。君のカラダの、何処でもキス、するからもう、これ以上わたしに、恥を、かかせないで……」
目を閉じろと、若い国王は二度は言わなかった。代わりに自分の掌で覆う。もう片方の手で唇も塞いで言葉を奪った。この女の、珍しく一生懸命な言葉だったけど、敵意や皮肉で罵られるよりも痛い。
「でもさぁ、ロイ。俺やっぱ、ホントはあんたに、産んでほしかったな」
カラダを重ねて全身で感じながら、王さまの口調はまた優しい。
「なに、代理出産させるの?候補見つかったの?」
「俺あんたの子供ほしかったよ」
「あー、もしかして……?」
左の胸、心臓の上に、若い王様は顔を伏せる。
泣き出しそうな目を、女と弟から隠して。