誓約

 

最初から、嫌な感じはした。

夜明け近い時刻。がらがらにあいたファミレスの駐車場。遅れてやって来た啓介が白のFCを見つけ、わざわざその隣にぴたりと派手なFDを停めるのを、その男はじっと眺めていた。銀色のBMW。そして男は啓介がFDから降りるうちにさっさと階段を昇り、そして。

「アニ……」

「高橋ぃ、ナニやってんだこんな時間に」

 学校のレポートなのか最速理論の資料かは分からないが、書類を読んでいた涼介が顔を上げる。男を見て、

「先輩こそ」

 笑った。

「どうされたんですか、こんな時間に」

「ゴルフだよ、ゴールーフ。教授のお供でな。ちょっとその前にメシくいに来たんだ。お前は?」

「ちょっと、人を待っています」

「ふぅん。こんな時間にか。オンナか?訳ありの」

「まさか、違いますよ」

「どうだか。すました顔してお前案外、たち悪いからな」

「人聞きの悪い」

 まただ。涼介が笑う。

 男はさっとさ涼介の、向かい合わせの席に座り朝の定食を頼んだ。運ばれてきたおしぼりで顔まで拭う無作法がでも、男っぽくて、ちょっといい感じだった。

 やや離れた場所に立つ啓介に気づいていた涼介は困惑する。啓介は察して入り口に近い、駐車場が見える席に座った。涼介がほっとした気配。見なくても、分かる。

「今、下の駐車場でな」

 運ばれてきた定食を食べながら、男が言う。大きな声だ。ほかに数組の客しか居ない広い店内に、響く。

「お前の横にぴったりつけた車があったんだ。がらがらなのにわざわざ。降りてきたのもなんかふざけた感じの奴で」

「……はぁ」

「心当たり、あるか。真っ黄色のスポーツカー」

「……えーと」

 苦笑する涼介。啓介は飲みたくもないコーヒーを啜りながら窓の外を見ている。史浩ともケンタのクルマが滑り込み、二人が店にやって来る。赤城の峠を出たのは同時だったから、この時差がそれぞれの速さの差でもある。

「こっちだ」

店内を見回す二人に合図して、啓介は自分の席に呼び寄せる。

「涼介は?」

「なんか、知り合いに捕まってる」

「なるほど」

 そんな会話を交わす間にも、

「カラムつもりかもしれないからな。これ食ったら、一緒に下におりてやるよ。お前ほそっこいから舐められそうだし」

 男は確かに上背も幅も申し分ない、どうどうたる体格をしていた。

 が、週末の赤城で涼介な張り合える男は居ない。史浩とケンタが顔を見合わせて笑う。啓介は煙草に火をつけた。仏頂面が、二人にバレないように。

「大丈夫、ですよ」

「遠慮するな。ホントにヤンキーな奴が降りてきたんだぞ。お前のクルマを、ちょっと眺めてたし」

「同じ車だからですよ、多分」

「お?」

「型違いですけどね。セブンに乗ってる奴はセブンを好きだから、比べたかったんでしょう」

「まぁ、それならいいが」

 定食を片付けた男は、遠慮する涼介の前から紅茶分のレシートも持ってさっさと会計を済ませた。座席の背もたれごしに啓介は男を、じっと眺めていた。

「なんだ涼介、知り合いか?」

 男が居なくなった後で史浩が、席を移って話し掛ける。あぁと涼介は頷き、

「大学の先輩。あっちが随分、年上だけど、ゼミの関係でな」

 二人の穏やかな会話を、

「アニキ、走り屋やってるの隠してんの?」

 啓介の声が遮る。口調がつくって、史浩と涼介は揃って啓介の顔を見た。ケンタは手洗いに行って居ない。

「いいや」

 あっさりと、涼介は否定。実際そう、隠すつもりなら走り屋仕様のFCで大学に行ったりはしない。啓介のFDと違って見た目は地味だがそれでも、見る奴が見れば分かる。

「おかしかったぜさっき。にこにこしてさ」

「教授のお気に入りにつっけんどんには出来ないさ」

「大変だよなぁ、医学部。学閥が厳しいからな」

「何処でもそうさ。ただ、金が絡んでるから大騒ぎになりやすいだけ。史浩、お前だって、法曹界は派閥がキツそうだぜ」

「苦しむためにはまず国家試験だ」

「違いない」

 二人が笑う。笑いあう。医者と弁護士という、花形職業を目指す二人の会話に啓介は入りきれない。

「やっぱでも、ドイツ車って早いッすよねー」

 手を拭いたのか、Tシャツの裾を濡らしながら、ケンタが戻って、そんなことを言い出す。ガラスごしに、銀のBMWが出て行くのが見えた。

「峠はともかく、高速流してっと、すぐ分かりますよ。近づいてくる勢いが違うから」

「そう。五速が早いな。アウトバーン仕様は、さすがにちょっと、日本車の発想にない」

「アウトバーンって、ナンすか」

「ドイツにある、世界で唯一、速度制限のない高速道路だ」

「速度制限が?うわ、ってコトは出し放題?すっげー、いっぺん、行ってみたいっす」

「史浩は走ったことあるよな」

「親の旅行のお供でな。うん……、凄かった」

 盛り上がる会話に、啓介は混ざらなかった。

 

 そのまま、家へ戻り。

 同じベッドに入っても、啓介はおかしかった。

 ぎゅっと抱き締めたまま、先へ行こうとしない。

 抱き締められたまま涼介は好きにさせていた。抱き合うだけも、時々はいいし、なにより。

 ココロの動揺が露骨に出る、あんがいナイーブな弟をよく知っていたから。

「……なぁ、アニキ」

 啓介がようやく口を開く。

「走り屋、って……、恥かしいコトか?」

 思い掛けないことを尋ねられ、

「なに言ってんだ、お前」

 腕の中で、華のように微笑む。

「俺は誇りをもってるぜ。お前は違うのか?」

「……格好いいって、思ってた」

 今日まで、今まで、さっきまで。でも。

 この兄を堂々と後輩扱いした男が行った言葉が胸に、ひっかかる。危害を加えると思われたことが。

「高橋兄弟とか言われてちやほやされてっけどさ……。外から見たら、どうかなって思って」

 気になるのはこの兄の、隣に自分が居てどうかってコト。つまんないチンピラが絡んでるように、見えるんだろうか、やっぱり。

「馬鹿……」

 抱き締められて不自由な手を、涼介は伸ばして弟の頬に触れた。

「お前は格好いいよ、啓介」

「けど、さ」

「単なるヤンキー車と走り屋の改造の、区別もつかないようなのは男じゃない」

「……」

「オートマのBMWに乗る奴なんか最低だ。……お前が格好いいよ」

「……うん」

「あの人とは世界が違うのさ、生きてる。気にするな」

「……あんたは?」

 世間はどうでもいい。男のことなどは、更に。気になって仕方がないのは、ただ一つ。

「あんたはどっちに、居る気なの?」

 あの男の世界が同時に、この兄の居る場所でもあるという、事実。いつか、あっちに行ってしまうかもしれない、人。

「ずっとこっちに居てくれる?」

「もちろん。車と峠が俺の本性だ。……知っているだろ?」

「ちょっとショックだった。あんたがにこにこ、してて」

 峠の兄に慣れているから、後輩然として目上に気を使う様子が衝撃だった。いつも、いつでも、頭の兄しか、知らなかったから。

「そりゃ俺だって、世間に出ればヒヨコだ。へこへこしなきゃならない時もあるさ。……でも」

「ナニ」

「俺は俺だぜ。どんな、時も」

「親切そうな男だったよな、あいつ」

「……先輩風がうっとおしい」

 微笑みながら、正直すぎることを言う。

「あれはな、おせっかい。できゃ余計な御世話だ」

「あんたのこと心配してくれて、いい奴じゃん」

「あんな男に心配されるほど華奢なつもりはない。……あいつ、なんにも知らずに死ぬんだぜ」

 頂点まで吹き抜ける快感、峠を直線をコーナーを、攻め込むカタルシス。違法な、けれどだからこそ、盛り上がるバトル。

「馬鹿な、男だ……」

 語尾は寝息と重なって、涼介は眠った。疲れているらしかった。

「馬鹿は、あんただよ」

 呟きながら、眠る少しでも楽なように、抱き締めながらも枕の位置を調節し背筋を伸ばしてやる。

「俺に甘くって、優しい」

 それでもだから、愛してる。

「格好いい男になるから、俺」

 もう少しだけ待っててと、くちづけて目を閉じる。

 重なる呼吸と、心臓の鼓動。

 夢と未来と、憧れと、愛情。

 将来なんてわからないまま、それだけは誓う。

 このいとしい人にとって、誇れる自己であることを。