T・Sex・Thirteen
こんなことで、お前を手放してたまるか。
そんな風に、何度も、思った。
最初は俺の結婚式の後で、最初にお前に連絡をとったとき。お前にあんな風に悲しそうにされて、俺は俺なりに戸惑った。お前が俺の結婚をあんなに嫌がるとは思わなかった。お前にそれほど、真剣に愛されてたことに気付かなかった。
怯む気持ちを叱咤しながら、俺は電話を手に取った。こんなことぐらいでお前を、俺の人生からなくしてたまるか。そんな風に思いながら。電話の向うでお前は戸惑った。でも普通に話してくれた。お前がとばされた東方司令部に行くと、一緒に呑んで家に泊めてくれた。同じ部屋で眠った。
恋人同士の証明のセックスは拒まれて、でも俺は、それでも良かったんだ。馴れた肌がそこにあるのに触れない寂しさは、オスの欲求抱え込んでる分、俺の方が強かったと思う。ても俺は我慢していたし、これからもするつもりだった。お前が嫌がる事はしなかった。セックスを拒んでも、お前が友人では居てくれたから。無理に抱くわけにはいかなかった。
だって、俺は、お前の、『味方』。
最初がカラダからじゃなかったから、カラダがなくなっても繋がりは解けなかった。でもやっぱり時々は思い出した。お前を抱いて眠る夜のこと。ごく若い頃から何度も抱き合った。お前は俺の最初の相手じゃないが、一瞥で服の下の形をわかるほど、馴染んで深入りしたのは、お前が初めてだった。ガキじゃなくなった後で愛したのは、お前が最初だった。
結婚したくらいでお前に拒まれるとは思わなかった。でもお前の意思に従ったのは、お前をなくしたくなかったからだ。結婚くらいで失ってたまるものか。セックス出来ないくらいでなくしてたまるものか。それはかなり、やせ我慢だった。
お前を愛してる。本当に心から。だから我慢できなかった。あのガキのことは。
お前に距離を置かれることにギリギリ、耐えてた俺のやせ我慢を、弾けさせたのはお前だ。
あんなガキに。
お前を、渡して、たまるもんか、よ。
男の心の中で女がいつまでも出会った歳のまんまなように、男もその女の前じゃ若かった頃に戻る。だからこそ、最初の恋やセックスは重い。三十近くなりゃ人生にトキメクお楽しみは少なくなる。生々しい刺激が減る代わりに重厚な愉しみを得ていく。俺もそうなった。でも知ってるか、お前に関しては、お前と初めて抱き合った、まだ十代の半ば過ぎだった頃に、俺がすぐ戻っちまうことを。
お前を渡さない。俺以外の誰にも。結婚した俺が嫌だと泣いたから、腕の中に引き戻すことは諦めた。でもあのガキには渡さない。お前は俺のものだ。セックスしないくらいで解けるほど、俺たちの関わりは薄くない。お前に俺より、大事な奴は作らせない。
……寂しかったんだろう?
お前は、本当はまだ俺を好きで、本当はずっと、俺の腕の中に帰って来たかったんだろう?
お前は俺を愛し過ぎていて、俺の結婚を許せなくって、俺に帰って来ることが出来なかった。可哀想に。でもだからってあんなガキに舐めさせて、慰めさせるのは悪趣味だ。それぐらいなら前からお前に惚れてんのがミエミエの、お前の部下の方がいい。
なんであっちを引き寄せなかった。大人の男が怖いのか?怖いことなんか少しもないんだぜ。お前には懐いてくる子犬みたいなもんだ。どんなに図体がでかくても。
それを分からせて、ガキとは手を切らせようとした。お前の方から誰かに手を伸ばすなんて、俺にはどうしても許せない。お前はずっと永遠に、俺を愛してる筈だ。
俺の結婚式の前夜、俺を殺そうとしたくらい、激しく。
ガキを追い払うための、俺の企みは裏目に出た。銀時計を置いて、二人しての逃避行。馬鹿にもほどがある。でも俺には思い当たることがあった。どうしてお前がこんな真似をしたか。
……したかったのか、お前、駆け落ちを、俺と。
本当は、俺としたかったんだろう?
お前本当は俺に全部、棄てて自分を選んで欲しかったんだろう?
だから、あんなガキにおちた。
……ばかめ……。
ガキはナンにも持ってない。だから奴らの愛情は真摯で真剣で全力投球で綺麗だ。でもきれいが一番胡散臭い事を知らないお前じゃあるまい。そんなのは長続きしない、学生時代の純愛と同じ。まだ社会の中で庇護を受けていて、だから人生がリアルじゃない。他がないから純情なだけで、結局自分を愛してるんだ。
そんなのよりも俺が百万倍、お前に真剣だってことを、わかれ。
俺は確かに結婚して、妻と娘を愛してる。でもそれとは無関係に、お前のことを、ずっと愛してきた。いつでもお前の味方だぜ。例えそれが、俺の利益に反しても。
お前になら、やってもいい。やるぜ。
今までかけて積み重ねてきたものをやる。地位も評判も階級も将来も、出世も利益も、お前になら全部、投げ出して惜しくない。あんなガキより俺の方がずっとお前に純情だって事を、わかれ。
「嬉しかったんだ」
お前は、だまされてる。
「一緒に行こうって、あの子が手を伸ばしてくれたとき、とても嬉しかった。そんなことを言ってもらえたの初めてだったから」
価値なんか、ないことに気付け。ガキが差し出した手に価値なんかない。その掌の中は空っぽで、結局お前が責任をとらされる。誘っておいてお前に罪を負わせる、そんな相手がお前を本当に愛してる訳がない。
「幸せだった。一緒に居た間中、ずっと。雲の上に居るみたいだった。あの子は本当に一生懸命、俺を愛してくれた」
だから、それは錯覚。何も失わないままの愛情は結局、自分を愛しているだけだ。あんなガキより俺の方が、ずっとお前を純に愛してきた。
「お前のことを昔、本当に、凄く好きだった。俺のものじゃなくなる前に殺したかったくらい。でも出来なかったときに、俺はもう、お前を諦めたんだ。……ごめん」
ヒューズ、って、俺の名前を呼ぶ声はそんなに揺れて、切なそうなのに。
「お前の、気持ちは、泣きたいくらい、嬉しい。でも受け取れない。もう、お前は俺のものじゃないから」
どうして。俺が結婚しているからか。それとこれは別だって何度言ったら理解する。馬鹿野郎。
「別じゃない。別にできる訳がない。お前は一人しか居ないんだ。お前は俺と一緒には逃げてくれないだろう?」
それは……、出来ない。
でも逃がしてやる事はできる。
「キモチだけで、十分だ。嬉しいよ。だから、お前はお前を待ってる人のところに帰れ」
自分はどうする。どうなるか分かってんのか。
お前には敵が多い。軍隊内でお前を敵視する連中がもう、てぐすねひいて、裁判を待ち構えてる。恋になぎ倒された駆け落ちなんて連中は信じないぜ。敵通、利敵行為、『駆け落ち』は裏切りのカモフラージュと解釈されて、お前を重罪に問う準備はもう、万全に整ってる。
「俺は逃げない。お前の気持ちは本当に嬉しい。でも受け取れない、ごめん」
俯いて、泣いてるのか、雨か。
「ごめん。もう、俺はお前じゃなくて、あの子を愛してるんだ」
……ロイ。
……そんなことは。
……ありえない。
お前は、騙されてる。
「あの子のこと、措いては逃げられない。……ごめんな……」
ごめん、と繰り返しながら、お前の腕が俺を抱く。土砂降りの街角、排水溝から溢れた水が小川のように流れる裏町の路地。冷えた石畳の上に、向う脛をやられて動けなくなった俺を雨から庇うように屈んで抱き締めて。
背中に庇おうとする相手に、男は無力で無防備だ。
あのガキがお前に背中からヤられんのを、ついさっき目の前で見てたのに、まさか自分がそんな破目に、なるとは夢にも思わずに。
手を引いて『襲撃者』から逃げてきた路地裏で、何年かぶりの、お前からのキス。
「お前を愛してた。愛し合えて、すごく幸せだった。だからお前も幸せに暮してくれ。俺のことは忘れて」
……なぁ、ロイ。
恨んでる呪ってやるって、罵られるより、それは辛い台詞。
「お前が愛してくれたこと忘れない」
終わったことみたいに言うな。
俺の中で、俺の愛情はまだ、こんなに、痛いほど生々しい、のに。