SSexOne

 

 

 再会した時、うわ、って、思った。

 あんまりぼろぼろだったから。

 いやこっちだって、ほんの数日前までは何日も着替えてない軍服は泥だらけで、それに汗だの血だのが染み付いて、そりゃもう、ぐちゃぐちゃの姿だったけど。

 なんて言ったらいいのか分からなくて、でも、俺から声をかけなきゃならない場面だった。だからまず、挨拶を。

「……お久しぶりです、……」

 その後が続かない。中佐、と言いかけて、いやこの人がまだ中佐やってるわきゃねぇよ、って思い直す。あれからだって、五年もたってんだ。その間の殆どは戦時中で、戦争やってる軍隊じゃ軍人は昇進が早い。

 確認しようと、視線を肩に向ける。でも、そこには何もなかった。あぁ、と、俺は今度は、厳粛な気持ちになる。負けたんだ、アメストリス軍は。

敗軍の将校は階級証を剥ぎ取られる。縫い付けてあるそれを引き毟られたのか、肩がちょっと、ほつれた相手の服装に、俺は現実を再認識、した。

辛い苦い気分になったのは不思議だ。俺はこの国の軍隊から脱走して、敵に属して、五年を過ごしてきた。その時間は青い制服を着てたのよりも一年、長い。でも、気持ちはまだ複雑で割り切れない。追い出されたも同然の逃亡から、それを手助けしてくれた恩人について、必死で生きてたらシン国軍の傭兵部隊なんかに所属して、母国を攻める立場になっちまった。

おかげさまで、俺の属した陣営は勝ったが、俺の心中は複雑。戦勝に喜んでばかりも居られない。長い戦乱に荒れ果てた、この国は俺が生まれた国。

割れた眼鏡の『もと』中佐が、俺の内心を何処まで悟ったか、それは分からないが。

目線を伏せた俺に向かって、自分から肩を竦めてくれた。それを見て、俺はなんだかほっとする。眼鏡の奥の目は、少しも衰えていなかった。相変わらずの鋭さで、俺に向かって、ほんの少しだけ細められる。

「……風呂、入って来られませんか」

 俺はそんなことを言った。いつも櫛目の通ったオールバックの、キメた人だったのに、って、思うと切なかった。相手はこんどは、はっきりと笑った。唇の端が持ち上げられて、裏切りに対する糾弾と寝返った先から母国を攻撃した罪悪を、責められるんだって、俺は覚悟した。何度も既に繰り返し、悪罵を受けていた。以前の同僚や、俺を知っていた奴ら、そして知らなかったけれど話を聞いた連中から繰り返し、裏切り者、と。

「変わってねぇな、ここぞって時に怯む」

 でもその唇から、こぼれた言葉には、親しみが篭ってて。

「まず用件を済ませろ。俺に聞きたい事があって呼んだんだろ?」

 ……はい。

 素直に、そう思った。

 聞きたかった。でも怖くて聞けなかった。アメストリスが砂漠でシン国と膠着してる隙に、軍の本陣ともいうべき中央司令部を、別働隊を率いて襲撃・占拠したのは、俺が一緒に行動してた、あの金髪のもと国家錬金術師。最後まで指令系統を保って抵抗した憲兵隊の、指揮官をようやく、目の前に連れてこさせたのに。

 怯んで逃げた、気持ちを見透かされて。

「大佐は、ご存命ですか」

 答えが。

 怖い。

「……生きてる」

 静かに男が返事を、してくれて。

「何処にッ」

 俺は大声で問う。何処に今、あの人は居る?公式の裁判記録で禁固刑に処せられている筈の監獄には見当たらず、攻め込む経路にあった国内の刑務所は全部さがしたけど、それらしい人は居なかった。

「言えない」

「交換条件なら、呑む用意ありますよ」

「ダチを売るかよ。……上官ならともかく」

「ご家族は、既に保護してます」

 言うと、男は一瞬だけ真剣な目になった。俺の言葉を本当かウソか探ろうとしてる。構わずに、俺は続けた。

「お嬢さん、大きくなりましたね。初対面なのにそんな気がしなかったのは、昔、話を、散々聞いてたせいですかね。見た目は違うけど、喋るとそっくり。あなた誰、って見上げられて、笑っちまいましたよ」

 まだ市街戦が随所で勃発する戦乱の最中、ドアを蹴り開けたのでなく呼び鈴を押してだったとしても、敵国の軍人の来訪は衝撃だっただろう。しかも夫は選挙された司令部から、少し離れた軍法会議所で抵抗戦の指揮をとっているとなれば、人質としての拉致、最悪は報復としての陵辱と殺害、そんなことを警戒されたのも無理はない。結果は似たようなものになった。同行に合意されなかったから、力ずくの拉致。

「奥方に触るのがなんか怖くって、俺はお嬢さん抱き上げたんですが、おとなしいから油断してたら不意打ちで噛まれまして。歯並びいいっスねぇ」

 手袋を外して歯形を男に見せた。大人よりあきらかに小さい、子供の歯の形を。

「脅迫か。洒落た真似おぼえたじゃねーか」

「あんな美人の奥さん居ても、男って浮気できるんですねぇ。びっくりしましたよ」

「男だからな」

「なんで話してくれないんですか、居場所」

「知られるのを、ロイが喜ぶか悲しむか、分からないからだ」

「……どんな風に生きてんスか?」

「だからそれを、言えないといってる」

 軍法刑務所がどんな所かは、俺も少しは知っていた。俺が体験してるのは営倉どまりだが、刑務所っていやぁ、閉じ込められた男ばっかりだ。あの人は、うら若いとは言えないけどたぶん、長期で禁固刑にされてる中では、とび抜けて若い。

 容姿がアレで、職務放棄と逃亡の理由が、年下のオトコノコとの駆け落ちだったんだから。

 そういうコトの対象には、されないのが不思議ってもんだ。

「言えない」

「外、すっげぇ、今荒れてますよ。首都占拠ですからね。うちの軍隊だけじゃなくて市民の男たちが暴徒になって、敵じゃなく商店や女子供を襲ってる。知られた軍人の家は、略奪しても刑罰の対象にはならないとかってデマが広がって、おかげで滅茶苦茶です」

 敗戦は正義を転覆させ善悪を入れ替える。戦争なれしていない首都の男たちが、無法地帯だと勘違いする、気持ちは分からないじゃない。

 でも、もちろん、そんなことはなくて。

 落ち着いたら、罪は洗い出され罰されるだろう。しかし。

「殺されたり犯されたり、したのはもとに戻りませんからね」

 あんないい女の妻と、変質者が見たら涎たらしそーなかわいい娘を持ってりゃ、この治安の悪化は、物凄く心配なはずだ。

「会えば多分、お前は分かるだろう」

「会えるトコに居るンすか?」

「すぐそばだ」

「どれくらい」

「ここに」

 え?

「と言っても、あながちウソじゃないくらいに」

 この、中央司令部に?

「あぁ」

 それがギリギリの譲歩だったらしい。それきり黙った口もとは固くて、もう開きそうになかった。

「風呂に入って、着替えて来てください。服は用意してます」

 腰のホルスターから拳銃を取り出して、鉛の弾丸を詰めながら言った。

「ここで、あんたは、敵対行為の主導的役割を果たした責任で、銃殺刑です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お名前を教えてください。

 栗色の髪の未亡人にそう言われて、俺は名乗った。

 一生、ずっと忘れません。

 いや、その。

 忘れてくれて、構わないんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

「ヒューズもと少将の、遺体は遺族には返されません。これから、どうされますか?」

 シン国の軍服を着た男に尋ねられ、『未亡人』は困惑、『遺児』はきょとんと、目を見開いて首を傾げてる。

「暫く、ご実家のある田舎に行って、騒乱を避けられた方がよろしいのでは?」

「……、は、い……」

「……パ……」

 パパ、と。 

 呼びかけようとした子供に向かって、男は人差し指を唇の前に立てる。お黙り、という仕草。子供は父親に似て聡いらしい。頷いて口を閉じた。

車と鍵と、ガソリンと、シン国憲兵の身分証。紙幣はもう役に立たないだろうから、今俺が持ってる全部の金貨。階級証を剥ぎ取られて肩のほつれた軍服は人形に着せて霊安室に転がして。

「一生、ずっとご恩は忘れません。ありがとう」

 未亡人が微笑む。子供が俺に、手をふってくれる。二人と出て行く男を見送った。強壮なオスのこの人が、このまま田舎で静かに暮らすとも思えなくて、そのうち多分、また会うかもしれない。

 でもまぁ、今は妻子を実家に送って行くだろう。そこで生活費を渡して、その後どーするかまでは俺の知ったことじゃない。軍法会議所の建物に踏み込まれる寸前、部下たちを逃亡させたやり手の男は自分が最後まで残って身柄を拘束されたことで部下たちのを甘くさせ、結果的に逃亡を助けた。

 連中を糾合して、占領軍に反抗する地下組織を、三日後に作りそうな、男だ。

 でもそんなのは、俺はもうどうでもいい。

 興味があるのは、ただ一つ。

 

 あんたに頼まれたから、ずっとそばについて助けてきた。

 あんたの『友人』だったから、逃亡を助けた。

 

 ……俺に笑いかけて、褒めて。